【日常】誰かを想うとき、私たちは少しだけ幸せになる。
本屋さんの空間に併設されている
雑貨屋の棚に、
なんとも愛くるしい猫の姿をした
クッキーを見つけた。
「ほんの気持ちです」や「For you !」
「お疲れ様です」の一言が添えられている
トラ柄やブチ柄が見事に表現された
お昼寝姿の猫型クッキー。
それを見た瞬間、
ひとりの友人の顔を思い出した。
猫がとても好きだけど
猫と暮らすことができない友人のことを。
「これは、きっとあの子が喜ぶな」
そう思った瞬間から
自分の中で何かが温かく広がっていく。
それは可愛らしいクッキーを
見つけた喜びというより、
友人の笑顔を想像する幸せだった。
最近になって気づいたのだけれども
自分は買い物をしているとき、
頭の中でよく誰かの顔を探している。
カフェで見つけた
しあわせの香りがするコーヒー。
「これ、朝食が楽しみになりそう」
と言いそうな友人の声が聞こえる。
本屋で出会った一冊。
「これ今の自分の状況に
ぴったりでおもしろかった」と
つぶやきそうな友人の表情が浮かぶ。
それはまるで自分の中に住んでいる
大切な人たちが、
次々と顔を出してくるよう。
先日、ある人が言っていた。
「プレゼントって
相手のことを深く考える時間をくれる」と。
その言葉に、全自分が共感した。
確かに誰かへの贈り物を選ぶとき、
私たちはその人のことを
普段より少し丁寧に思い出している。
その人の好みや暮らしぶり、最近の様子。
些細な会話や、何気ない仕草まで。
そうやって誰かのことを想うこと。
それは実はとても贅沢な時間なのかもしれない。
たぶん、贈り物を渡したあとの
自分自身の幸せは、
相手の喜ぶ顔を見られることよりも
もっと手前にある。
誰かのことを想って選び、
その人に届けたいと思う気持ちそのものが
すでに幸せなのだ。
それは自分の周りには大切な人たちがいて、
その人たちと幸せをシェアできる
関係があるということ。
贈りものとはそんな豊かさを実感させてくれる
小さな儀式なのかもしれない。
時々、考える。
幸せというのは
誰かと分かち合えるものなのだろうか、と。
答えは、おそらくイエスだ。
でもそれは分けると半分になるような
幸せではない。
誰かの顔を思い浮かべながら選ぶ贈りものは
選んでいる時間も、渡す瞬間も、その後も、
自分の中で幸せを増やし続けてくれる。
そしてその幸せは必ず
また誰かへの贈り物になっていく。
そうやって幸せは
人から人へと巡っていくのだ。
特別な日じゃないから、届けたくなる。
そんな感じ。