【人生】歳を重ねるほど危険な「正しさ」の罠。
30代にもなると、
やたらと増えてくる「正しさ」のバトル。
そして些細な「正しい」を巡る議論が、
人間関係をギクシャクさせることがある。
振り返ると、
こうした衝突の背景には自分の中で
固く信じている「正しさ」の存在がある。
年齢とともに経験値が増え、
それが自信に変わる。
気付けば自分の「正しい」がいつの間にか
絶対の真理に変わってしまっていることもある。
「正しい」の押し付けはなぜ起こるのか?
20代の頃は、
「へぇ、そんな考え方もあるんだ」と
新しい意見を比較的すんなりと
受け入れてることができていた。
だけど30代に入ると、
「いや、それは違う」
「こうするのが普通でしょ」と
他人の意見に首を傾げることが増えた。
この違いは、自分の「正しい」が熟成され、
根を張り始めるからだ。
年齢を重ねるほどこれまでの経験や実績が
「これで間違いない」と思わせてしまう。
自分が築いてきた小さな成功体験の集積が
他人の意見に耳を塞ぐ壁になる。
だけどその壁が高くなりすぎると
人間関係の入り口を狭めてしまう。
大事じゃない「正しい」を手放す勇気
先日、職場の人たちが
商品の並べ方について激論になっていた。
「後ろ側は寝かせて横に入れるべき」
「いや、多く入るから縦の方がいい」
熱く語り合ってる横で
「どちらも外側からの見た目は同じだよなぁ」
という事実を考える。
ルールがあるものは、従った方がいい。
そうでないのであれば大の大人ふたりが
重要じゃない「正しさ」を押し通そうとしている
姿は滑稽に思えてならない。
ヒトノフリミテ、ワガフリナオセ。
それからは普段から
より「この正しさ、本当に大事なのか」と
自分に問うことを癖づけている。
どうでもいいことなら、相手に譲る。
それで相手が気持ちよくなってくれるなら
こちらの負けなんて安いもの。
年齢とともに自分を見失う理由
もっと厄介なのは、
「正しさ」が固まることで自分自身が
見えなくなること。
30代にもなると変にプライドが邪魔をして
自分が間違っている可能性を考えなくなる。
だからこそ常日頃から
「ニュートラルな姿勢」を意識するように
心がけている。
自分の「正しさ」に縛られず
相手の意見をフラットに受け入れる
練習をするようにもしてる。
(もうとにかく
ただただ老害になりたくなさすぎるひと)
相手の主張を取り入れることで
新しい視点が増え、
自分の偏りに気づけることもある。
大人の人間関係は「正しさ」を手放すところから
自分の中にある
「正しさ」を完全に捨てる必要はない。
むしろ自分の中の「これだけは譲れない」という
大事な価値観は守るべきだ。
だけどそれを必要以上に振り回すのは危険。
やめたほうがいい。
大事なのは、相手の「正しさ」を尊重しつつ、
自分の「正しさ」を柔らかく握ること。
正しさを盾に戦うよりも、
共存する道を探す方がよっぽど心が軽くなる。
アラサーともなると(アラサーの皆さまへ土下座)
気づかぬうちに
「正しさ」を振りかざしがちになる。
だけどその「正しさ」が
全ての人に通じるわけじゃない。
「正しい」かどうかより
「楽しい」人間関係を作れるかどうか。
一歩引いて「そうなんだ、おもしろいね」と
笑えたら、きっと人生は楽しくなる。
そんな感じ。