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宗教と、鬱病。





ひとつの「特徴」を知ると
あたかもそれが「その人自身」かのように
見てしまう。


日本人の苦手なところ。
(いや、自分も日本人なんだけどさ)




それが顕著に現れるのが
宗教鬱病だと思う。



宗教。



自分は無宗教(だと思ってる)だから
よくわからないけど
聞かれれば答えるけどみたいな感じで
皆結構隠して生きてる気がする。

逆に堂々としてると引かれる。
(勧誘がすごいのも原因だと思うけど)






違うように見えて、
鬱病も同じだと思ってる。

恥ずかしいもの。
おそらくそう思われてるもの。




周りの人間からも、当の本人からも。




恥ずかしいかどうか
隠したいことなのかどうかは
正直どうでもいい。


ただ、どうして人はこんなにも
ひとつの面だけを見て簡単に
ラベル付けをしてしまうのだろうか。



他人にも、自分自身にも。

〇〇という人間が持つ
ひとつの特徴←ではダメなのだろうか。

絵心なさすぎるけど、こんなイメージ。


自分自身は世間的に言われる
「鬱病」ではない。



だけど自分で絶対に
鬱病にはならない←と決めて
生きてこなかったら
とっくに「鬱病」というものに
なってたと思う。

名前がついてないだけで
その特徴を完全に持ち合わせてた。

完全に精神的に異常だった時期がある。
もちろん今も完全にはなくなってはいない。



薬の存在もよく知らず
代わりに自分自身と相談し
うまく解決していく方法を
身につけたけど、
「鬱病」の特徴って多かれ少なかれ
こんなふうに誰もが持ってるもの。

なにかひとつのことに
こだわりまくるところも
つけようと思えば病名なんて
簡単につく気がするし。



神様じゃなくても
なにかを心の底から信じてたり、

実行するかどうかは別として
なにやってんだろうって自分にうんざりしたり
人生を終わらせたいって思ったりすることなんて
全然ある。

コントロールが効かないことなんて
日常茶飯事だったりする。


別になにもオカシイことじゃない。




もちろん病名がついて
安心できる人もいる。

だけど海外みたいに
他人がそういう風に見る風潮が
少しでもなくなるといいのになぁ
って思うのです。

お国柄か、きっと。




そんな感じで、絶賛謎の大不調。
そんな感じ。

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