見出し画像

土器を見に行く 高遠町歴史博物館

昨日も行ったのに、また土器を見に行ってしまった。
醒めたらすぐに忘れてしまうので、鉄は熱いうちに、善は急げなのだ。きっと。


礼儀正しく5000年前


入口のすぐ近くに縄文コーナーがある。
シレッと並んでいるけれど、左手前と奥の差は千年以上あるみたい。
製作年は千年も離れているのに、似たようなものとして隣同士に並んでいるのだ。
千年分の30センチ。ちょっと頭が痛くなってくる。


うまそうな窓


この四角い窓みたいなやつがすごく気持ちいい。
ちゃんと縁に厚みがあって、スナックチョコのアルフォートみたいに品がある。


こっちも美味しそうね


ふたつ隣の土器にもいい感じの窓がついている。この窓枠もキリッとエッジが立ってて気持ちいい。

気持ちいい形を覚えておくと、他の土器に同じような意匠が出てきた時なんか、ちょっと嬉しくなれそうだ。
似た土器も多いので、似て異なるあちこちのブレも、きっと楽しそうだ。


非常ボタン?


縁になんかついてるのは、縄文土器ではよくあるらしい。だいたい人の顔だと思い込んでいたら、これはボタンじゃなくて蛇らしい。とぐろを巻いてるとか。


縦に這うぜ!


そう言われてみると、隣の土器にウネついてる模様が蛇に見えてくる。

蛇は畑においてもレアキャラだ。
農作業、ずっと下を見ていることもあるけれど、奴らは人間の周囲にはめったに登場しない。たまに出てきても、こっちがびっくりしている間にウネウネとどこかに消えてしまう。
なんかほんとこんな感じなんだよな。

真ん中の鎖みたいなやつは、さすがに蛇じゃなさそう。こんな鎖状の蛇も面白いけど、トポロジー的に別物、という区別はちゃんとしているような気がする。


最古の丸ゴシック


前の黒いやつの腹に、逆Sの刻印が。
これだって見ようによっちゃ蛇かもしれない。かわいいな。

しかしどのウネウネにも蛇の頭がないな、なんて思ってはみたものの、考えてみれば農作業中に目撃するのはいつだって蛇のしっぽばっかりで、頭はもう藪に隠れてる。

これらの土器たちを這い回る蛇もきっと、頭は既に土器の中に埋没しているのかもしれない。
いつだって目撃されるのはうねる身体だけ。

そういえば土器製作者は女性だと聞いた。
土器には人体を模したものもたくさんあって、それもおそらく、女性を象っているようだ。

そこに蛇。…さては「わたしの体を這い回る」?
いかんですね。これはけしからんですね。
そういうダメな目線で土器たちを見直せば…あらやだ。

勝手な実感を勝手に再現して、勝手に機嫌よくなっている。


ペイズリー感


不思議と、同じうねりでも「これは蛇っぽくないな」ってものもある。なんか植物とか風とか、そういうニュアンス。即物的じゃない抽象概念というか。
こういうのはここからどんどん立体感が薄れ、最終的に本当に模様になってしまう。まるで肌に入れ墨が染み込んでゆくように。

しかしはこの博物館、高遠町の「すごく偉い感じの歴史」がギュウギュウに詰まっていて、予備知識なしで迂闊に行っちゃうと情報量に跳ね飛ばされる。今回の僕がそうでした。

江島屋敷の軟禁具合も、辛かったのか辛くなかったのか不思議な感じだった。ひたすら不穏でジトッとした空気で満ちていた。あと、座敷牢なのに僕の新居より広かった。

仁科五郎のラストシーン、切腹した己の腸を壁に投げつけて介錯という、大人が聞いても耳を塞ぎたくなるような話を小学生の頃に遠足のクライマックス、五郎山の頂上で聞かされ、一生クラスのトラウマになったことを思い出したり等、ビビッドなネタも目白押しだ。

その中でもトップクラスに地味で意味もぼんやりしている縄文エリアだけど、隣り合う千年分の数十センチは、やっぱりありえなすぎて笑いが漏れてくる。


みんなより千年パイセン

いいなと思ったら応援しよう!