見出し画像

土器を見に行く 松本市立考古博物館

頭でっかちを打ち砕くのは常に現物。
というわけでわざわざ殴られに、ホームタウンの伊那から縄文銀座の諏訪、岡谷をすっ飛ばして、大都会松本市へ。
ここは遺跡の数も半端なく、発掘物もなんだか堂々としている。
今回は残念ながら主役級のブツが数点、山梨に出張中だけど、展示されてる量がかなりあるので、むしろ他に集中できて助かった。また来る楽しみもできたし。

しかしは何度見ても、どこへ行っても縄文生成物の現物には興奮作用がある。
見ていると頭がカーっとしてくるというか、「なんかどうにかしなきゃ」という気持ちになる。
つっても結局やることはひたすら写真を撮りまくって、スマホの電池が心配になる頃にようやく我に返って、今度は同じコースをひたすら凝視。
で、また我に返って俯瞰。凝視で気がついた箇所を再び撮影。そしてまた観察。

こんなことを繰り返しているだけで、1時間はすぐに経つ。
ここみたいに収蔵量が多いと、縄文コーナーだけで2時間はかかる。
他の時代も気にはなるけれど、限られた時間で集中したいので、できるだけ縄文時代の生成物だけを見るようにしている。こと縄文については、どの館も圧倒的な文字情報の少なさが不思議な信頼感を醸している。

縄文時代は、専門的な表現になるほど余計な情報が少なくなる。
もちろん、事実に対して厳密になればそうなるのかもしれないが、ここは拡大解釈させて頂いて、情報の少なさは博物館側の善意だと勝手に理解している。
おかげでフルアクセルで妄想を展開できる。


で、いきなり難物

iPhoneらしさはゼロ。冒険できるのはサードパーティーの特権だ


あえて裏側の写真を掲載。正面は上部にシンプルな顔が刻印されてます。しかしは佇まいといい、サイズ感といい、もう言い訳ができないくらいスマートフォン。

いや、「古代にもスマホが!」的なことを言いたいんじゃなくて、なんというか、このサイズ感って、時代や場所を超えて「なんとなくいい」ってみんな思っちゃうんじゃないか、と妄想したんですね。
今から20年くらい前、ipodが出てきた時の「てのひらサイズの超越ガジェット感」を思い出すと、「手のひら」と「ヤバイ」の間を橋渡しするツールとして、このサイズの貴重品っていうのは一番ジャストな気がしてくる。
これは2つに折って、わざわざ重ねられて出土したそうです。そういうところ、相変わらずのパーフェクトな縄文廃棄。


こりゃもう家紋だろ


耳飾りもたくさんあった。たくさんすぎるくらいあった。
細工も細かいし、かわいかったり格好良かったり、なんだか普通に「売り物」って感じだった。
面白いのは、装身具という目的が固まっていると、想像がこれらの造形から向こうにまで届かない。「きれいな模様」に留まってしまう。
身を飾る行為があまりに現在と地続きすぎて、びっくりするくらい「謎感」がない。謎でありゃいいって訳でもないけれど、貴重で普通、という不思議な感覚。
とはいえ耳たぶの穴を直径5センチまで拡張するのは、それは、まあ、普通ではないですよね…やっぱすごいな。


花見の場所とり


不思議な有孔鍔付。区画だけ用意されて、なんにも描かれてない。
有孔鍔付って、南箕輪のあしゅら男爵みたいに「キャラクターを描くためのキャンバス」になっていることが多い気がするけど、このブツは建設予定だけでポシャった工事みたいに、区画以外はなんもない。

飽きたのか?とも思ったけれど、妄想でカバーする。
たぶんこれは、先輩土器マスターから後輩に「ここまで作っといたからあとはやりなよ」という親切心で与えられたのではなかろうか。
でも後輩、もらったはいいものの正直ありがた迷惑で、とはいえ先輩の善意を無碍にする訳にもいかず、気まずいままもらった状態で現状維持を続けてしまい…

それが5000年後に掘り起こされて文化財扱い!なまぬるい悲劇!(妄想です)


やっぱうちら(長野県民)は、蛇よね。

蛇さんたちも元気いっぱい。
ふしぎな穴っぽいものがいくつかあるのでよく見ると、細かい模様が入ってる。僕が勝手にアルフォートと呼んでる楕円区画、その幼虫?つーかか卵?

蛇はDNAのようにアルフォートを運ぶ。そして飛行機雲的に、軌跡にアルフォートを置いてゆく。
そりゃ煮物だって旨くもなるだろうさ…と思ったけれど、煮物にアルフォートは闇鍋のアウト具材だ。本当にやってはいけない。法律で禁止すべきだ。


東信に来たのだ!と土器を通じて実感中


そしてとうとう焼町式土器と対面!ノー区画!気持ちいい!
まだ南信州の土器しか目にしていないので、縄文中期は勝坂式の独壇場だったのですが、いよいよエリア外になってきたと感慨しきり。
ここから北上すると、模様は極太になって新潟の火焔型になり、東に上れば山梨の水煙型になる。たぶん。
ゆっくりマッピングが出来てきた。こういうのすごく楽しい。


やっぱこれですよ。ハードコア勝坂


もちろんおらが村の象徴、ザ・勝坂も健在。
松本の勝坂たちは、どれも凸凹が深くて丁寧。惰性で作っていない感じがする。


縄文らしからぬ健康的寸止め感が逆にエロい!

そうかと思えばセクシー土器。絶対狙って作っただろう。


火は仲居さんがつけてくれます

旅館の夕食で固形燃料入れる鍋みたいなやつもあった。
当時の日本にチャッカマンはまだない。


爆発に向けてヒョロヒョロ昇天する花火にも見える

唐草から発生する「ザ・マン」の先端。たまには男だってレリーフされたいのだ。


土偶って面構えだけで挨拶感がある

あちこちに土偶もいっぱい。
不思議と中期の顔はガーリーだったり子供っぽかったりするけれど、後期になって具象が解禁されてくると、だんだんオッサンっぽい顔が増えてくる。
ゴルゴ13の女性キャラに、ついつい男性ホルモンが多めに混入しちゃってる感じというか。


いとをかし!いとをかし!


やっぱりミニチュアは、あえて雑に作られてる。
あと、たぶん、粘土紐をわざわざ作らずに、手びねりでグニグニ作ったように見える。そのグニグニ感を意図的に残しているように感じる。

で、同じミニチュアなんだけど、以下のブツたちには本当にふっ飛ばされた。


シレッと現代の台所


縄文時代にザル? しかもミニチュア。
いや、そりゃ、あったっていいんだけど、なんだろうこのナナメ上からふっかけられる違和感。
でも思い返してみれば違和感だらけの時代じゃないか。だからいいのか? いや、いいとかそういう問題じゃなくて。


タイムマシン


で、ザルの隣にこのミニチュア土器。
確かこれ、晩期のミニチュアだけど、底が尖ってる。
最近読んだ本に、底が尖っているのは「早期」の特徴だと書いてあった。
早期は15000年前〜7000年前で、これが作られた晩期は3200年前〜2400年前。
つまり短く見積もって、当時の目線でも「4000年前」の土器のミニチュアを作った、ってことなのか?

彼女たちにとって、4000年前ってどういうパースペクティブで捉えていたんだろう。数字に意味はないのかもしれない。過去は過去で、昨日も1万年前も同じなのか? いやいやさすがに…と頭が行ったり来たりする。

ただ少なくとも、過去にそういうものがあったという情報は、早期から晩期まで伝達はされていたということだから、つまり、「自分の作ったものが、時間を超える可能性がある」ということだ。それを製作者が自覚していた。

4000年前に手を伸ばせる土器製作者が、3000年後に僕がいる「ここ」を想像できない訳はない。
ちょっと、ゾッとした。これを作った人の視界、射程は、ここまで届いている。

いいなと思ったら応援しよう!