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円空たちは電気羊の夢を見るか?

円空の何が好きかって、それはもう12万体の仏像を作ったところだ。
そりゃすごい。めちゃくちゃすごい。いくらなんでも盛ってんじゃねえか?と勘繰りたくなるくらいすごい。

この「すごい」は、たくさん作って偉いですね、という個人の評価とかじゃなくて、なんかもう、マーライオンみたいに口から無限に仏像が出てくるというか(…空也?)、とにかくそういう感じの、人の範囲を超えて仏像生成マシンになっちゃったカッコよさに対しての「すごい」だ。

かつて、お坊さん向けに卒塔婆のプリンターが発売されたことを知った時の興奮にも似てる。「どんどん出来る!どんどん出来る!すげえ!」みたいな。

わっしょいわっしょい


いろんな有識者が、個々の仏像の素晴らしさについては語っているので、ここでは割愛する。

とまれ、実際に円空が生成AI的であったかというと、あまりそういう感じはしない。
願いを込めて一体の仏像を彫る行為は、ジェネレーターにはできない。なんというか、思いが濃すぎるというか、真っ当というか、つまるところそれらは、人が人に向けて行う人間行為だ。まったくもって、血が通っている。


血が通いすぎて、おもわず具象してしまった円空


いやしかし、それを、120000体?
気が狂いそうだ。

気が狂わないためには、ぼんやりせざるを得ない。
で、ぼんやりしてくると、自分の理解できる範囲におさめようとする。

いや、逆に、円空が12万人いて、ひとり一体づつ彫ったんだ

12万人による労働争議


それなら理解できる(できないが)。
きっと陰謀論はこうやって始まる。

12万人の円空。トンデモ話だ。思いつきなので何の信ぴょう性もない。
だから、信じる訳にはいかない。いかないが、ちょっとだけ面白がっている。

円空はひとりか、12万人か。

これなら12万体いけるか?


これを禅問答的に展開、格闘すれば何かの効果はあるかもしれない。
けれど、できれば禅問答にしたくない。
どっちも半信半疑のまま、どっちもよくわからないまま、その中間をぶらぶらウダウダしていたい。もう、ダブルバインドですらない感覚というか。

みんな悩んで円空になった

「たしかに円空は12万人いた。でもわたしが会った円空はひとりなのです」
「昨日会った円空と今日あった円空は確かに別人ですが、やはり、私の会った円空はひとりでした」

できるだけ解釈しないように、どっちつかずを維持するように。

常識に針が振り切れたらつまらん奴になってしまう。
トンデモに針が振り切れたら陰謀論者になってしまう。

どうしたものか


ジェネレートするためには、ジェネレーターにならなくてはいけない。
でも、人間の思考は、クリエイトしかできない。ジェネレーターにはなれない。
人体におけるジェネレーターは、ゲル状の傷口だ。
キズパワーパッドは、傷口のゲル状を維持してくれるから、治りが早いらしい。
どっちつかずのゲル状であった方が、細胞をたくさん増やしてくれる。

はやく治してくれ

12万体の円空仏はそこから生成され、生成された円空仏からは、12万人の円空が投影されている。えらいこった。

この感じ、なんとなく既視感があったので、本をめくってみたら、あった。
雑誌スペクテイターvol.39、「パンクマガジン『Jam』の神話」内、当時の再現ページだ。さすが伝説のエロ雑誌。


1979年に発売されている(これだけAI画像じゃないです)


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