土器を見に行く 伊那創造館
「数千年前の現実界にプリントアウトされたAI造形物」を体験すべく、いよいよ自分の脳を液晶モニタからひっぺがし、ケツをサドルにくくりつけ、ヒイヒイ自転車をこいでフィジカルを取り戻す。
向かった先は地元が誇るすてきな地域学習の総本山、伊那創造館だ。ここには重要文化財があるのだ。
…いかん。
いきなり価値に頭が縛られている。
重文に会うては重文を斬り、国宝に会うては国宝を斬る。しょせんは単なる粘土細工。全力でナメてかかるくらいがちょうどいい。
で、現物。
どんだけナメてても、やっぱりグッときてしまう。圧倒的な現物力。
写真の情報だと、どうしてもシンボリックな捉え方になってしまう。
上に載せた写真を見返すと、撮っている時には気にならなかったはずの穴の周囲にあるレリーフが妙に気になったりする。現物を見ている時にはあまり気にならなかった。
現場で見た時はもっと、正面から見た時の、全体のペロンとしたカーブが美しかった。
なので、そう思った角度から撮った。
だけどその感じがぜんぜん写ってない。撮影が下手なだけなんだけど、それがまた楽しい。
表面はフラットな皮膚外の世界で、背面はグロテスクな内蔵の世界。
長い後ろ髪と背骨がトポロジカルに融合してる。
同じメソッド(asメソッド外し)で、肋骨と両手五本づつの指がだいたいおんなじものとして表出してる。
正面から見ると指先が「穴」になってるのも妙な気持ちよさがある。
この、背後から両手のひらで「ワシッ」と掴んでる感じがいい。「モノですっ!!」という強い主張がある。
他の土器も気持ちいい。
とにかく作業がマメで、実直な線引きに伊那谷ならではの「拭いきれない真面目さ」がその都度その都度刻まれている。
もういっこの土器の縁、これは実直すぎる。
ド真面目さが過ぎると既視感が出てくる。こういう子、いたな。自分だったかもしれない。
これらを俯瞰で広く見れば、「AI的なプリントアウト」として思考を展開できるかもしれないけど、細部のフィジカル感に滲む人間が、どうしようもなく肉の弾力と骨の温かみを主張してくる。
開始早々いきなり「数千年前の現実界にプリントアウトされたAI造形物」というテーマが揺らいでいる。
が、気にすまい。揺らいだまんまで、ここを皮切りに信州全域の縄文生成物をひたすら見まくろうと思う。
そして、飽きたらすぐに手放して忘れようと思う。
心配ない。僕はいずれ死ぬが、土器はこの先何千年も生きる。
伊那創造館、見応え抜群のいろんな展示を見られるのに無料…いいのか? 申し訳ない気分になった。