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集中力が数日しか持たないタイプの飽き性。

いくつか趣味があるものの、どれも継続が必要なため長期間継続出来た試しが無い。
具体的には絵、ピアノ、文章を書くこと。
昔は毎日の習慣だったそれらが、大人になった今では数か月おきにそれぞれのブームが訪れるというサイクルを繰り返している。
絵を描くのを数日楽しんだと思えば作品が完成する間に飽きて、ピアノを弾き始めたと思えば一曲分の耳コピを完成させる前に飽きて、小説を書き始めたと思えば佳境に差し掛かったところで飽きる。
次のサイクルがやって来る頃には、もう次の絵を描きたい衝動に駆られ、次の曲を弾きたい衝動に駆られ、次の文章を書きたい衝動に駆られる。
中々完成させることが出来ない。

どれも最中は楽しみながら取り組んでいるのだが、一度完成を意識してしまうと終わる。
え、これ完成させなきゃダメ?やっぱり?と自分で自分にプレッシャーを勝手に感じて勝手に玉砕する。
プレッシャーとも呼べないようなこの僅かな「目標」が大の苦手なのだ。

しかしながら振り返ると子供の頃の自分は、周囲の大人から真逆の評価をされていた。
「努力家」「継続が得意」「粘り強く最後までやり遂げる」などである。
何故あんな評価をされていたのか考えてみると、当時求められていた「完成」「終わり」はたかが知れていたから、と思い至った。
勉強にしろ家のことにしろ、簡単に終わりを見渡せるものだった。
「どこまでやれば終わるのか」という範囲も明確だったし、「どの程度を目指せば終わるのか」も把握し易かった。
自分の意思が無くても出来る。

悲しいことに、現在の私が苦しんでいるのは、自分の意思が明確ではないからだろう。
アラサー(それもアラフォー寄り)にもなって、思春期の子が思い悩むようなことを未だに真剣に考えているのである。
「自分」の頭で考え、「自分」が納得する結果を追い求めることに喘いでいるっぽい。
絵もピアノも文章も、取り組んでしばらくの間は心躍るのだけど、ある程度勤しむうちに「これいつ終わる?」「どこまで頑張る?」「どの程度で完成?」と脳味噌が不安を覚える始めるっぽい。
どの程度で完成?なんて…言わずもがな、自分が納得すればそれが完成なんだけど、絵もピアノも文章もその「納得するまで」がむちゃくちゃ長い趣味なので、脳味噌がずっとデンジャーデンジャーピーピーという類の警告音を鳴らしてる感じ。

飽き性と相反しまくる性格の一要素として、私は「納得するまで終わりたくない」という性質も持ち合わせている。
飽き性のくせに「納得するまで終わりたくない」って、どっちなんだ。
中途半端に終わらせたくないという意地。
この矛盾を解消することは、私の趣味を完成へと近付けさせるための第一歩と思いながらも難しい。

なので実験的に、「納得しなくても終わって良しとする」を意識した時期もあった。
それでもやっぱり「せっかくだから綺麗な形を目指したい!」という願望が生まれ、数日間は頑張る。エネルギーをそこに費やす。そして飽きる。

今年こそは!と毎年意気込むけれど、どうなることやら。
今年こそは、「ほんとに全く全然これっぽっちも終わってなくても良しとする」を目標にしようかな。
ハードルは下げてナンボだからね…。

ちなみにこのイラストも、いつ終わることやら?
確か描き始めたのは2024年の秋でした。
完成させたいね…!

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