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心配事に心を奪われないために

テレビや新聞のニュースを見ていると、事件や事故、犯罪などの報道が目に飛び込んできます。そのたびに、今の社会や日本の将来を心配せずにはいられない。そんな気持ちになること、ありませんか?僕自身も、ふとしたときに「これからどうなっていくんだろう」と思い悩むことがあります。

悩みや心配事というのは、本当に人それぞれで尽きることがありませんよね。例えば、コロナ禍。これはウイルスという目に見える存在が原因なので、マスクやワクチンといった具体的な対策が考えられます。

でも、多くの悩みや心配事には形がないんです。それゆえに、どう対処していいか分からず、もやもやとした気持ちを抱えたままの日々を送ることも。そんな僕たちが、どうやって心の平穏を取り戻せるのか。そのヒントになるかもしれない、達磨大師のエピソードをご紹介します。


慧可(えか)という弟子が達磨大師のもとで修行をしていました。ある日、慧可は悩みを抱えて達磨大師に相談します。
「心配事が頭から離れず、苦しくてたまりません。この心配事をどうか取り除いてください。」
それに対し、達磨大師はこう答えました。
「分かった。では、その心配事をここに出してみなさい。私が取り除いてあげよう。」
慧可は困り果てました。そして気づいたのです。
「心配事には形がない。すべて自分の心が作り出していたんだ。」


禅には「非思量(ひしりょう)」という言葉があります。これは、一つのことに心を囚われてしまう状態を指す「思量」とは反対で、心を無にするという意味です。

例えば、静かで鏡のような池の水面を思い浮かべてみてください。その池に石を投げ入れると波紋が広がりますよね。その波紋を無理に消そうとして手を入れると、さらに新しい波紋ができてしまいます。でも、そのままにしておけば、いずれ波紋は消え、再び静かな水面に戻ります。

これが「非思量」です。つまり、心に生じた不安や悩みを無理に追い払おうとするのではなく、ただそのままにしておく。そうすれば、心はやがて穏やかさを取り戻すのです。

僕自身、以前お寺で座禅体験をしたことがあります。線香が一本燃え尽きる間、無言で座り続ける。たったそれだけのことですが、頭の中ではさまざまな考えが浮かんでは消えていきます。それを右から左へ流すように意識するのがポイントだと教わりました。

正直、数回の座禅ではその境地には達しませんでした。でも、その体験を通して感じたのは、世の中がどれだけ不安定でも、心が静かであれば自分の中に平穏を見つけられるということ。

心配事に心を奪われそうなとき、少し立ち止まって「非思量」を思い出してみませんか?

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