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女子と語学力(6) 〜やりたいか やりたくないのか 分からない やれば両親 喜んだから〜

母親は、噂話は大好きなのだが、あまり自分のことを話さない。叔母の話していた母の思い出などから推測したところ、かなりのド田舎の出身であった。

今でこそ、これが正式名称で本当によいのかな、と思われる「バスタ新宿(バスターミナル、の略称?)」から、高速バスでたった数時間であらゆる地域に行けたり、新幹線に乗ればあっという間に日本を縦断できる時代だが、当時の環境を思うと、結婚して別の地域に嫁ぐということが当たり前で女性にとっては大変な時代であったと思う。

叔母の話から想像するに、母は、3姉妹の長女として、その地域の県立トップ校に進学し、東京都内の大学に進学。同時期に上京して国立大学で学んでいた父と出会って、数年のOL生活を経て結婚。結婚を機に、長男の住む地域に嫁ぐ、というルートを辿った。戦後間もなく、決して裕福な家庭ではなかったが教育熱心であった祖父母のもとで育った母は、叔母いわく「今でいうヤンキー(!)」のような人で、いろんなグループの抗争のようなものに関わっていたのだそうだ。言われてみると、自分の身内のような存在には頓珍漢な愛情を注ぎ、異なるグループに属する人や地域を思い切りこきおろすようなところがあって、人の美醜に相当に厳しかった。ヤンキーの定義もいろいろだとは思うが、「田舎のヤンキーイズム」を体現していたような人だったと言われればそんな気もする。

そんな母は、母が育った農村地域への愛がとてつもなく強かった。「そこまで悪く言わなくても…?」と思うほどに、嫁ぎ先であった地域をdisりまくっていた。disり先はつまり、私が生まれ育ち人生の半分近くを過ごした故郷、であるのだが、その地域を、うわごとのようにことあるごとに、けなしていた。

けなす理由は様々だったが、とにかく母は自分の地元の地域にとてつもない愛情とプライドと自負があった。その自負により、その地域と比べて見劣りがすると感じられた引っ越した先の県(つまり私が生涯のほとんどを過ごした地域)をけなしまくっていた。そこまで言わんでも…。美味しい野菜も取れるし、そんなに高い電車賃でもなく、1時間半くらいで東京にも出られるし、4万円くらいで2LDKとかにも住めていいジャン!と今なら肩をポンポンと叩いて「ガンバ!」と伝えたい。しかし母は激情型のヤンキーイズムを体現したような人間で、絵が一切描けないアーティストのような人だったので、とにかく地元のことを否定しまくっていた。

母の地元は、自然が豊かで、美味しい果物が多くとれたり、教育に強い意識がある(今はそうでもないらしいが)地域で、全国からも避暑地として観光客が多く訪れる。現在は他の地域からの移住者も増えているらしい。そんな地元を愛する気持ちが強い母にとって、元々縁もゆかりもなく、故郷から遠く離れた、のっぺりとした地方都市の狭い団地に急に住むことになった孤独は相当なものであった想像される。その孤独な生活の中で、「東京都内の」「女子大の英文科」の卒業生であったことに、ギンギラギンとさりげなくない、強い強い自負があり、そのプライドの高さは、時に映画「セブン・イヤーズ・イン・チベット」においてブラッドピットが演じる登山家が登っていたくらいの世界に名だたる登頂困難な雪山から、下を見下ろすがごとくあっぱれな高い高い目線だった。

私が英語、英語を学ぶための一つの手段であった映画が好きになるよう仕向けられたのも、母親の地方都市での孤独感及び、お金に余裕もなければ遊びに行くところもない、暇すぎる専業主婦としての日々の欠落を埋めるためのものであったのではないか、と今にして思う。戦後まもない時期に物資も少ない中、古い慣習や女性への根強い差別があった時代に、地方都市から東京の大学に行けた女性は数少なかったはずで、そのような環境下で育った母の海外へのあこがれ、特に英語への頓珍漢な情熱はとても強かった。

狭い団地の一室には「ラボ」と呼ばれる、英語学習のための巨大な機材があった。私はそれを使って、幼少期から「オバケのQ太郎」や「素敵なワフ家」という犬がピクニックをする物語、ラフカディオ・ハーンによる、「耳なし芳一」の物語を英語と日本語で毎日のように聞いていた。耳にだけお経を書いていなかった芳一の耳がむしり取られる展開の、耳なし芳一の怖さは圧倒的だったが、ラフカディオハーンが小泉八雲、という名前だが日本人ではない、ということも知った。こんなに日本の古い物語を書いている人が日本人ではない、ということは…どういうことなのか?ととても驚いた。

音声だけを聞いてその中で映像をイメージする、と言うのは自分にとっては読書とも近い楽しさがあったと思う。長年の映画視聴の甲斐あって、今はあらゆるジャンルの映画が好きになのだが、特に、映画館のシートに座り高音質のBGMが流れる中、オープニングで”Once upon a time…”と言うような美しい声のナレーションで始まる場面がとても好きなのは、この時に英語の音声をたくさん聞いたことが関係しているのかもしれない。

その後、いろいろあって大学在学中からメンタルの調子が悪くなり、就職した後、人間関係に悩み、全面的にメンタルの調子が転がり落ちるように崩れていく中で、「家庭での親や兄弟とのかかわりに問題があったのでは…」「幼少期に学校生活で経験したことが辛過ぎたのでは…」「高校時代の勉強を無理して根をつめすぎたのでは…」「大学は楽しかったが、就職氷河期における進路先にまつわる大学内のスペック競争が厳しかったのでは…」「働いた後にあまりにも周囲の人に嫌われ過ぎてしまったのでは…」などなどのことが積み重なり、自分の脳内は常に負の記憶、自分に対するネガティブなセルフイメージばかりが占めていることに気づくようになった。

日々脳の半分が麻痺しているような感じの中、苦しむ中で、田房永子さんの「母がしんどい」という漫画や、母娘問題の第一人者である信田さよ子先生の本(「母が重くてたまらない〜墓守娘の嘆き〜」は名著なので悩む方には是非読んでいただきたい!)、その他、母と子の問題について書かれた本などを読み、自分の体験と似ている経験をしている人がこんなに多かったのか、と驚いた。

一番の問題は、自分は「自分で決めたこと」が人生で何もなかったのでは、という欠落感だった。これも、妙齢になっても親との葛藤を抱え続ける子供の「あるある」なのだとわかったのだが、自分は母親、父親に強制的に、かつやんわりと勧められたものについて、「なぜ、これをやらなければならないのか?」とか「本当に自分はこれが好きなのか?」と考えることを、いつも、全くしてこなかった。習い事や英語の勉強などは、こちらに断る権利がなく、ある日突然に始めさせられるので「やりたくない」とも言えなかった。やるかやらないか、を考えさせられたことがなかったのである。

母親は、時折、猛烈なかんしゃくを起こす人だった。そのかんしゃくは相当なレベルのもので、かんしゃくを起こしているときの目つきの怖さは、すでに何人か人を殺めている人のそれだった。子供ながらにその恐怖は尋常ではなかったし、なぜそこまで怒るのか、その理由がいつもよくわからなかった。自分は幼いころから、ささいなことで日常的に怒鳴られた。子供ながらに、意地悪な気持ちになって、敢えて母親を怒らせるようなこともしていたとは思うが、ある年代に差し掛かると、かんしゃくが起こらないよう全力をつくすような癖がついていた。また、その母親のかんしゃくは、いつ何時どういう理由で発生するかが全く見当がつかなかったので、母親の機嫌が悪くならないことを、全力にやろうといつも必死だった。そのため、かなり幼いころから、なんとなく、あらゆることを、諦めていたというか、自分のやりたいことや自分の意思を最優先にすると厄介なことが起こるので、母親の感情の先回りをして「とにかく親の意向にさからわずにやっていこう」と思っていたのだった。

これも家庭内で親や子供、兄弟の関係に問題があった場合の「あるある」だったのだと気がついたが、基本の関係性が「怒鳴られたり恐怖で支配されていて、からかったりからかわれたり、見下したり見下されたり」するもので、家族同士の関係においてお互いに対する信頼感が全くベースになかったので、私は母の頓珍漢な情熱や素っ頓狂な振る舞いや謎の服のセンスなどを心底見下していたが、かんしゃくは怖いので常に母親の機嫌が良くなるように振る舞っていた。

英会話教材の先駆けのような存在だったらしい、「ラボ」という巨大な機械で特製のテープを使った教材を日々、聞いていると、母はかんしゃくを起こさず、とても機嫌がよかった。自分が子育てをするようになってみると、確かに、子供が何かに夢中になってくれていて、自分のそばから離れてくれていると、とても楽だということがよくわかる。狭い部屋で、幼い子供とずっと一緒にいるのは辛すぎるということも今ならわかる。そして自分では住む場所も選べず、インターネットもない時代、友人もほとんどいない地域で子育てをしていた母の孤独が、今なら多少は理解できる。その中で母は、子供の学歴、子供の英語力、を育ませることで孤独感を埋めようとしていたのではないか。母の孤独は、労働市場からも追いやられ、母親同士の人間関係からも阻害され、どこにも居場所のない専業主婦、の女性の、特に「高学歴」であるとみなされそれに自負を持つも、社会での活躍の場がないことに直面した多くの女性が今に至るまで、抱え続けている問題であったと思う。

当時は英語力をつけたい、などと自分では思っていなかったが、ラボは、物語も面白く、そして母親の機嫌もよくなるという、1粒で2度も3度も美味しく手の上で溶けないそんな原色の着色料でコーティングされた、最近はあまり見かけないちょっと薄い紙のような素材のパッケージで小粋なキャラクターに彩られた、アメリカ製のチョコレートのような存在だった。

女子と語学力(7)へ続く…

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ねすぎ
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