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共同の・・・部屋で暮らすの大変だ・・・ルームメイトはとても大切!?〜女子寮時代の「部屋替え」の思い出(1)

 20年以上前の女子寮生活の思い出である。

 拙noteでも、度々、綴ってきたが、大学時代の、人里離れた森の中で送った女子寮生活には、無数の思い出がある。その中でも、1年に1度の「部屋替え」は、特に思い出深いイベントだった。

 新年度、学年が変わるタイミングで、同じ部屋で過ごすルームメイトが変わるのである。

 当時、基本的に、同じ部屋で過ごす人は、学年が異なる学生同士というルールがあった。誰と誰を同じ部屋にするかは、寮生が決めていた。全員に、共通のアンケートを書いてもらい、そのアンケート結果を考慮して、誰と誰を同じ部屋にするかを、4年生が、夜を徹して議論して、決定するのだった。

 奇跡的に優しくて、あまり意地悪ではなくて、自分をしっかり持っている女性たちがすこぶる多い環境だったとはいえ、他人同士が同じ寮に暮らす上では、どうにもできない、相性というものがある。特に生活時間帯はとても重要だった。朝型なのか、夜型なのか。

 部屋替えをするにあたって全員に答えてもらう、アンケートの回答項目には、今にして思えば、ちょっとゾッとするものもあった。

「この人とは、一緒の部屋になりたくない、そう思っている人を2名まで書いてください。その理由も書いてください」という質問項目である。

「(今風に言えば)共演NG」の人を書かせる。(島崎和歌子と小泉今日子は共演NGだそうだ)このアンケートは、確かに、とても大事だった。

 共同生活の中で、「相性が合わない人」というのは、どうしても、存在するのだった。切実なるアンケート結果をもとにして、部屋割りを決めているのだった(ちなみに後で先輩が、自分と「一緒の部屋になりたくない」と書いていた人の名を、ふとした瞬間に明かしてきた。それは、結構、ショックだった。まあ、確かに、合わなそうな人だったけど、それは明かさないでおくれよォ!墓場まで、持っていってくれよォォォ!)。

 1999年代後半、2000年代初頭。ノートパソコンは30万円くらいの値段が当たり前だった時代である。ノートパソコン(パソコン、という言い回しが何やら死語である)は、学生にとっては高すぎたため、個人で、ノートパソコンを持っている人は、ほとんどいなかった。もちろん、スマホなど、世界に存在しなかった。

 今でこそ、世界中のあらゆる人々が使っているappleだが、当時はappleのパソコンは、デザイナーやアート志向のある人だけが使うものとみなされていた。

 ああでもない、こうでもないと、深夜に長い時間をかけて、ソーシャルルームと呼ばれる1階の部屋で、4年生たちが部屋割りを熟考する。新しい部屋割りの結果は、大きな紙に手書きでマジック(!)で書かれて、次の日の朝に、中二階の廊下に張り出されるのだった。その結果を、朝、寮生たちが、見る。これからの1年間を占う結果である。まるで、大学の合格発表のような熱い眼差しが、手書きで書かれた大きな紙に、向けられていた。

 ルームメイトが誰になるかということは、その後の寮生活に大きな影響を与える。気が合う人がルームメイトなら本当に楽しいが、ちょっと合わない人がルームメイトであったら、大変につらい。

 生活時間帯が違う人同士が、うっかり同じ部屋になると、大変だし、性格や趣味趣向、掃除をするかあまりしないか、というような感覚が、まるで合わない人同士が同じ部屋になると、その後の1年間は、すこぶる大変なものとなってしまう。

 
 女性同士の集団生活というと、恐ろしいものを想像する人もいるかもしれないが、基本的に、奇跡的に、おおむねみんな仲が良かった。ただし、相性というものはやはりあって、ルームメイト同士が、全く合わない人同士になってしまう、というケースもあった。

  相性が合わなかろうが、その後生涯を通じて、仲良くなる可能性がある人と同じ部屋になろうとも、どんな結果であっても、部屋割り決めた4年生の先輩たちを、絶対に恨むことはできないのだった。そして、部屋割りが決まって新たな部屋での生活が始まった後には、それを決めた人たちは大学を卒業していて、大学からも、寮からも、いなくなる。

 今思い返しても、本当に濃密な日々であった。学年が変わると、運営側へと立場が変わる。新入生が入学し、各国からの留学生も入れ替わり、ルームメイトが変わることで、今の、のっぺりとした、ぽやんぽやんした日々の50倍くらいの密度のある、変化のある日々を経験できた。あれが数年の出来事だったなんて、信じられない。本当に10年分くらいの変化があった。

 今にして思えば、あの部屋割りのシステムは、長い時間をかけて、熟考されたものだったと思う。非常に民主的で、女性たちが、自分たちの生活のあらゆることを、真剣に議論を重ねて決定できるという、日本においてはとてつもなく、稀有な場だったと、今は思う。

 当時は、あまり気づいていなかったが、その後何十年と続く、非常に民主的なシステムを考えてくれた先輩方には、今更ながら、感謝の念を覚えるのだった。

(2)に、続きます・・・!

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ねすぎ
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