怖かった男性(ひと)はなぜだか好好爺(こうこうや)・・・あの厳しさはなんだったのか!?
今更ながら、自分の家族のことを思い返すと、明らかに地元では浮かざるを得ない人々だったと思う。本当に誰も読んでいなかったが、マルクスの「資本論」などの蔵書(!)が部屋を埋め尽くすほどにあって、これまた誰もまるで楽しめなかった地獄のピアノ(涙)があり、滅多に聴く人のいなかったLPレコードもたくさんあったし、これまた一度も再生されている様子のなかった大量のドイツ語の教材のカセットテープ(笑)などがあった狭すぎる団地の部屋。勉強は、しないよーりも…しておーいたほーぅがいいわ♪と「二人のロッテ」の主題歌だった森高千里の曲を思い出すけれど、とても肯定的に捉えれば、文化的な家族、だったのだが、まぁ、今にして思えば、「その家庭環境、病むよね〜…どんだけ〜!?」という感じの家族では、あった。ピントがズレた典型的教育熱心家庭、であった。
世の中はバブル景気に沸いていたのに、我が家はそういった浮かれたムードの恩恵を一切受けている様子はなかった。母は、私にとっての2023年現在のバイブルである漫画である「定額制夫の小遣い万歳」の中に登場する、作者の吉本浩二さんの奥様、アクションさん(通称)のような生活を先取りしていたのだった。アクションさんによる、日高屋飲みのエッセイは、名文すぎて100回くらい読んだかもしれない。教科書に載せてほしい。載らないか。
母はアクションさんと同様、長きにわたり同じ調理器具を使い続けており、お玉の取っ手部分が溶けていたが、それでも使い続けていた。お玉のプラスティック成分も私の血肉となっているはずで、プラスティック・ラブならぬスーパー・プラスティック・ミーである。文法間違ってるかも。
両親の生き様は、結果的に今の時代にフィットし始めた。両親に対して、複雑な気持ちを持っているが、好好爺(こうこうや)になった父の姿には、険しい顔をしてとんねるずなどが出ていたバラエティ番組や肩パッドがキツめのトレンディドラマなどを「くだらん」と全否定し、喘息持ちの兄に無理やり勉強をさせ、機嫌が悪い時には(今にして思えば母は、メンタルの調子が悪かったようで、いつも寝ていた)母親に「寝てばかりでだらしがない、遊んでばかりでいい身分だな!」と怒鳴りつけたり、母が作った餃子が口に合わない、と「ふん」と言って皿を押しやったり、そもそも美味しいともありがとうとも一言も言わずに、もそもそと食事を食べ、洗い物など一切やらない記憶の中の怖い父はまるでいない。父も大変に華奢な体型で、機嫌に波があり、おそらくは体力至上主義の日本社会で生きることが苦手なタイプの体質、性格であったと思われる。ダイエット至上主義の世界では、痩せているだけで「ムキー!」となる方が、たまにおられるのだが、痩せていると気圧の変化の影響を受けたり、胃の調子が悪かったりするので、残酷なガンバリズムが支配する、休むことをよしとしない価値観が強い日本社会で生きるのは大変なのだ。体型が自分と似ている友人と、「我々は医療の進歩によってかろうじて生かされた存在だ」というような話をして意気投合したことがある。世が世なら、とっくに淘汰されていたかもしれない。日本にはびこるガンバリズムへの違和感は強烈にあれど、祖父母や両親が生きた時代と比べると、著しく進歩した医療技術には感謝している。
戦争を経験した祖父が病弱だったことから、漆黒の闇のような暗い家庭に育ち、家族で和気あいあいと話すような環境で育ってはいなかった父は、ときどき恐ろしく怖かった。怖い、というか、とにかく態度がラージ、なんならグランデサイズで威張っているというか、万物がすべて自分よりも下にあるかのような、高い高い、目線をもとにした怖さがあった。父は東京都内の国立大学を卒業しており、学歴の尺度で言うとそれほど高い教育を受けたわけではなかった祖父母に対して、異様なほどに高圧的だったらしい。若かりし頃、母は祖父母の家に行くことがとてもとても嫌だったそうだ。父は祖父母の前では終始むすっとしていて一切笑わず、なぜか威張っていた、何度もその様子が嫌だ嫌だオラこんな村嫌だ!と伝えたら、少しずつ変わった、と母は言っていた。祖父母も、そんな怖すぎる父に怯えていて、母と結婚してくれて家を出てくれてとてもホッとした(!)と言っていたそうだ。
父曰く、父は3人兄弟の一番上の立場で様々な重圧があり、当時は、弟たちをかばうつもりで両親に対して対抗しようと必死だった、そうなのだが、今では亡くなった祖父と、老後生活を謳歌している父と叔父たちは、兄弟全員好好爺な上に、全員、ほぼ同じ顔(私と息子も同じ顔)なので、見分けがつかなくなってきた。特に、おでこの形状が、全員、同じなのである。生物のメンデルの遺伝の授業(豆)をリアルに再現しているようだ。
登場人物がアラエイ(アラウンド80)、アラセブ(アラウンド70)になり全員好好爺(こうこうや)になった2023年、自分の幼少期に影響を与えた、怖かった父、癇癪持ちの母の面影は、嘘みたいにまるでなくなってしまった。孫もできて、幸せいっぱいの様子なのである。
時々、そんな幸せいっぱいの両親の様子を見ると、複雑な気持ちになる。
尊敬する映画監督の方が、映画上映後のアフタートークで、「昔パワハラなどをしてきた男性たちが、みんな驚くほど好好爺になる説」を語っていて、頭がもげそうなほど頷いたが、父がパワハラをしていた、訳では(一応)ないのだが、あの怖かった父は一体どこへ・・・と驚かされるほどに、今はふくふくとしている。癇癪持ちの母も、今やすっかり後期高齢者で怖くはなくなった。ありがたいことに、二人ともとても元気なのだが、昔、志村けんが演じていた「あんだって?」と聞き返すおばあちゃん、の役の設定よりも、恐らくずっとずっと年上になってしまった。
こんなに小さくなった両親が、どうしてそんなに怖かったのだろう、とは思う。私の心の中には、最も怖かった時期の両親の記憶が、今も鮮明に残っているのだった。