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女子によるマウント とても しんどいが・・・特に面倒臭いのはァ! 「美意識(センス)」のマウントォォォ!一番厄介ィィィ!(ジョジョ風)

 私のような三文ライターとしては、その活躍を尊敬せざるを得ない、酒井順子先生も言及しておられたが、ある年代を境に、女性の多くが「伝統芸能」に興味を示し出す。突然、着物を着たりする。日常的に、小学生の息子ととんがりコーンのうまさに感銘を受けたりしている私にとっては、この「伝統芸能」にまつわる女子の「センス(美意識)」を軸にしたマウントほど厄介なものはないと断言したい。断言、させてほしい。誰を思い描いているのか。いや、フィクションだ。何の影響力もない三文ライターによる駄文である。どうか適当に読んでほしい。
 伝統芸能とまではいかなくとも、「器(うつわ)」や「皿」なども厄介だと思う。皿、(有機野菜などを使った手作りの)料理、高い酒(特に「日本の」酒)着物、伝統芸能、などへの一連の流れに、心の底から、嫌〜な予感がする。消費に飽きた人たちが手を伸ばす、そんな領域、という感じがするのである。(もちろん、純粋に楽しんでいる行為そのものをけなすつもりはない…けなしてるけど!)

 引っかかるのは、純粋に好きでそういった分野に関わってきた、というよりは、「伝統芸能などを好きな自分」を輝かせたいと思っているような、どこか、無理をしているような感じがあることだ。特に自分のことを(自分で)「賢い」女性だと思っている人たちが、さらに自分の「格」を下げずに新たな領域へと進んでいきたい、というような、なんとも言えない自分ブランディング、みたいなものを感じさせるところが面倒臭いのだと思う。(もちろん、純粋に楽しんでいる行為そのものをけなすつもりはない…けなしてるけど!アゲイン)

 一時期就職活動に関わる仕事をしていた際に、就職活動の世界においては、体育会系スポーツ、御三家、あるいは大学も含めた高学歴ぶり、さらに「道(空手、弓道など)」のつくものが高い評価をされていることを知ったが、私のように人生のほとんどを寝て過ごし、遅刻してばかりの奴らが大体友達、だった猫背の人間にとって、これらの「精神性」「目に見えない何か」を重んじる世界は、どうにも真っ先にピンポンダッシュで逃げ出したくなるというか、とにかく伝統芸能みたいなものからさっさと離れたいというような感覚がある。伝統芸能とは違うけど、有機野菜もあんまり食べたくないし、コンビニの百円コーヒーを飲み干してSDGSに反して紙コップを投げ捨ててやりたくなる(ちゃんとゴミ箱に捨てる。プラスティック部分は分別する)というか、とにかく走って逃げ出したくなる。スタコラ!という感じである。

 何が嫌かというと、伝統芸能やら器を愛でるような「美意識(センス)」の戦いには、はじまりも終わりも全くないというところで、カッコよく言えば、いくらでも探求し続けられる世界でもあろうが、でも、普通にこんな消費社会に毒されて、恐ろしく搾取しているであろう百円のコーヒーを飲み大量廃棄しまくる感覚に生きる日々を送る人間が見てもそうそう面白いと思えないようなジャンルのものでもあるわけで、「面白いって言ってる自分が素敵」って思ってないかな、などと、とんがりコーンを指に刺してパクパク食べながら思うのであった。別にいいんだけど・・・。

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ねすぎ
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