「論文」を書けたことなどなかったし…ちゃんと読めたことなどなかった…!独特の口調わかりづらいよ!
そういえば、大学生の頃、いわゆる学術論文というようなものを読んでみようとしたが、当時から、何が書いてあるのか、さっぱりわからなかった。
結局、レポートの書き方すらわからないままに卒業して今にいたる。学費はどこへいった・・・?バターはどこへ溶けた・・・?
「あなたの強みを英語で教えて」といわれて「マイルド」とこたえたことで短期留学の面接に落ちたという男子寮の先輩がいたが(※落ちる人はほとんどいない面接)私もそのくらいマイルドに的外れな感じで、アカデミックな世界の根本的な表現や意味が、なにもわからなかった。
よく、一生懸命研究内容について語った大学生や大学院生に対して、人事の面接官などによって放たれたり、今やご意見番のひろゆきが言う言葉である、
「それがなんの役に立つの?」
この言葉が胸を去来する。
よく、大学で発行されている薄い冊子。
あれは何のためにあるんだろう。
あ、研究の成果があれなのか。
・・・薄い冊子・・・
一応アカデミックな「ワンランク上の自分になりたい!(海外旅行のガイドブックに書いてあった表現)」そんな風に憧れてパラパラめくったことはあるが、ホントに、何が書いてあるのか、分からないままだった。
私は、きっとこのまま、学術論文を読めないままにこの世を去るのだろう(120歳くらいまでは生きていたいが)。
学術論文で一番気になる表現が、「ご存じのように」というような、当然この研究や研究者のことについては知ってますよね?的な表現である。
「ご存じのように」言われましても・・・?
ほとんどの言葉や研究者の名前を、そこで初めて聞いたんだけど・・・。
でも、ああいったものをちゃんと執筆することができているひとたちは、本当に凄いと思う(これは本当に凄いと思っている)。特殊技能である。
とてつもない時間をかけて、文献を読んだりしているわけである。
読んだだけではなく、新たに何か、大事なことを書いているわけである。
本当に凄い能力だとは思いつつ、現実社会との乖離が凄すぎるとは思う・・・。
現実社会の代表格「ワタミ」でアルバイトをすることや、渋谷で女子学生に対してナンパをしまくりテレクラ(死語)を利用しまくることで、現実社会との接点を持つべきだとは思わないが、
居酒屋でのアルバイト時代に、ミスをして、居酒屋の店長からドロップキックをされたことのある友人が、地元の公立中学校の教員になった。
彼女は国立大学の教育学部を卒業してそのまま教員になったが、この時代に今も多分やめていない。
ドロップキックはれっきとした暴力なので
それが必要だとは言えないけれど、彼女は今も辞めていない。
ドロップキックをしてきた店長は男性だ。当時の彼女は大学生、店長はたぶんオッサンだ。
正直言って、オッサンからドロップキックをされても、平気で居酒屋の仕事を続けて行ける力の方が、学術論文を書く能力よりずっと必要だと思う。
そんな世の中、本当にいやだけど、それが2024年の教育現場や、多くの労働現場の実態だと思う。
文系の世界のアカデミックな「学術論文」って
いったい何!?
「それが何の役に立つの?」
以上です!