女子と語学力(2) 〜中高の 英語の授業の 虚しさよ〜
自分が入学した大学は、恐らく全国の大学で、英語教育に最も力を入れている大学だった。今でこそ、全授業を英語で行っている大学もあり、学部によっては英語で開講する授業を行っている大学もいくつかあるのだが、当時「英語を勉強したい」という理由で大学を受験しようと思った場合、私立大学では、最も入学が難しいとされる大学の一つであったと思う。
(入試問題が特殊なので、偏差値のカテゴリー枠からは外されてしまい、インターネットに掲載されている偏差値ランキング表によっては、大学そのものの掲載がないこともあるのだが…一卒業生として、受験者数の圧倒的な減少を非常に心配している…)
高校の自習室で、偏差値ランキングの「語学系」というような表を毎日眺めながら、「地元に残りたくない」「東京の大学こそ至上」と、狭すぎる視野と偏狭なヒエラルキー意識を燃料に、受験勉強に明け暮れていた自分は、「英語ができるようになりたい!英語ができたらきっと、なんだかすごい!国際的(国際的の定義は非常に曖昧)になりたい!こんな時だってえのに、オラ、わくわくしてきた!(Ⓒドラゴンボール悟空の台詞)」というような暗示を自分にかけて、そのランキング表を見て、自分を鼓舞して勉強していたが、英語の成績は、いまいちパッとしなかった。当時は、高校の授業は全授業9割9分9厘眠っていたので、家で通信教育(進研ゼミからZ会に変わった)を受けていたものの、模擬試験の成績はぱっとせず、こっそり模擬試験のたびに、第一志望欄に丸をつけていた、外国語教育に日本で最も力を入れているとされる、オアシズ光浦靖子氏を輩出している難関国立大学の判定は、D判定だった。
「なんとかしなければ…」と焦っていた頃、「英語専門のすごい塾がある」と教えてもらった。そもそも、その塾を教えてくれたのは、高校の同級生だったのだが、彼女曰く「教え方は、確かにとてもうまいと思うのだが、その先生の人柄がキツ過ぎる」と言って、友人は途中で塾をやめてしまっていた。自分は、東京都内で英語(あるいは外国語)を勉強できる大学に進学したいと思っていた割には、模試の点数がまるでパッとしなかった。一見のほほんとしているようで、目は全く笑わない、いつもピンク色の割烹着を着ていた担任のおばあちゃん先生は、面談の際、英語の点数を指さして「あなたは(あなた、のイントネーションが、空の彼方の「かなた」と同じで独特のイントネーションだった)…ここの大学を受けるには…ちょっと…英語が…」と厳しい指摘を受けていたので、危機感があった。
地方都市の塾は限られていたし、父は「地元のトップ校出身かつ、都内のとても有名な私大を卒業した先生が教えてくれる、進学実績もちゃんとある」というそのことだけで、「いいんじゃないか?」と、狭い団地の一室で、背中を丸めてだらりと横たわりながら言っていた。事前の見学すらしなかった。他に選択肢もなく、通っていた高校から歩いて行ける場所にあったのと、他にも県外の大学への進学を希望している友人たちが一緒に通うことになったので心強く、その塾に通うことになった。
途中で塾をやめてしまった友人から、「人柄がキツ過ぎる」と称されていた塾の先生は、林家こぶ平(現:林家正蔵)から、育ちの良さをすべてなくして、卑屈さと尊大さを大量に混ぜ合わせてほっぺたを少し膨らませたような、小柄で眼鏡をかけた、目つきの悪い色白の男性の先生だった。地元のトップ校出身で、都内の有名私大卒であることを唯一の縁(よすが)としていそうな先生ではあったが、地方都市の狭い世界では、そんな難関大学出身の人は、周囲にほとんど存在していなかったので、その学歴だけで「すごい人」に違いないと思い込んでいた。その先生の指導のもとで、受験英語の対策に明け暮れる日々が始まった。
先生の教え方は確かに上手だった。
最初の授業の際、その先生は、開口一番「これまで中学校、高校の英語の授業で教わったことは、すべて忘れて、一から自分が教える方法で学ぶように。何一つ、役に立たないから」と、不敵な笑みを浮かべて自信満々に言っていた。私は、とても驚いた。毎日毎日、来る日も来る日も、何時間も行われている、あの膨大な、ちょっと上から目線な感じの、本当に英語が話せるかどうかはあやしく、大学まで英語の試験の点数が高かったようなことのみを武器にして先生になっておられるであろう、先生たちが教える授業は一体何のために存在しているのだろう…?
グローバル化が進むことなど、当時は想像もしていなかったが、英語ができるようになりたい、できたらきっと良いだろう、というような気持ちを持っているピュアな気持ちの生徒はたくさんいたと思う。むしろ全員そうだったと言ってもいい。そんなピュアな気持ちを弄ぶような、文科省(当時は文部省、だったような)監修の、英語の教科書も、先生たちの存在も、無意味なんだろうか。
指導要領を必死にこなす、地元の訛りがある女性の先生たちの「音読」にあわせてみんなが声を出して読むあの時間は、何もなかったように、空に溶けてしまったのだろうか。東京及び東京周辺から、その存在そのものを猛烈に蔑まれている、そんな地元の地域の空に、あの膨大な英語の授業の時間たちは、暴走族が深夜に鳴り響かせるエンジン音とともに、吸い込まれてどこかへ飛んでいってしまったのだろうか。
あの膨大な時間が無意味なのに、そのまま続けて同じような授業が行われている…。私の実家のそばにある、アメリカの思惑の影響を受けて建てられたとされる、日本で初めて、建てられた、夢のエネルギー施設のことを思い出す。自分が上京したのち、深刻な事故が起きたのだが、その時に放出された膨大な量の物質とその影響と同様、中高の英語の授業の無意味さと、そこに関わるたくさんの人々の、ピュアな思いと深い失望は、もっと大きな何かにとりこまれ「まるでこの世になかったこと」にされているような気がする。
女子と語学力 その(3)へ続く…。