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月と痩せ犬#墓標
あらすじと登場人物
◼️
少女はたったひとりの肉親である伯父を探していた。男は死んだはずの妹に命を狙われていた。探偵の前に現れた女は16年前と寸分違わぬ容姿だった。
彼等が目にするのは死霊かアンデッドか?
この世のものならぬものを追って追われて絡めとられる数奇な運命。ハードボイルド怪奇ファンタジー。
◼️
砌谷 久遠(みぎりや くおん) 失踪した伯父を探す女子高校生
砌谷 櫂 (みぎりや かい) 久遠の伯父。36歳
砌谷 雪 (みぎりや せつ) 久遠の母で櫂の妹。16年前に死亡
糸魚川 朋未 (いといがわ ともみ) 私立探偵。久遠の依頼を受ける
平手 薫子 (ひらて かおるこ) 糸魚川の助手。居合の達人
児島 歳蜜 (こじま としみつ) 昏燈街のギャンブル狂の医者
「昏燈街で死体が出たよ」
「だからってそれが伯父貴だとは限らないでしょう」
「碌でもない男だったってゆうじゃないか」
「……ええ、まあ」
「生粋のろくでなしはね昏燈街まで流れて、それより堕ちるところがないからもうそこで死ぬよりないんだな」
「そんな街で無縁仏なんて珍しくもないのに?」
「背中に卒塔婆の彫りもんがあったらしいよ」
「ああ」
「ぴたりでしょう」
「……おかしいよね。卒塔婆は生前の善行を故人の善行にもなるからと作るものなんでしょ。伯父貴に善行があったとは思えない」
「よく知ってるね、若いのに。……人間生まれて死ぬまで何かしら善行はするんもんだよ、ほら、蜘蛛を助けたりとかね。あるでしょ芥川の」
「蜘蛛、ね」
「何がおかしいんだい」
「そういえば伯父貴って虫も殺せない男だったんですよ」
「虫も殺せぬろくでなしね」
「………だからぼくは生きている、というわけ」
「はい?」
「いや、こっち話」
「さっそくだが、行こうか」
探偵は卓上の黒電話のダイヤルを回し、
「ああ、ボクだよ、そう糸魚川朋未だよ。今からご親戚の娘さんを連れて向かうよろしく」
と先方に用件だけ伝えると切った。
事務机の椅子の背に無造作に掛けられたインバネスコートをこれまた無造作に掴むと、先立って事務所のドアを開け依頼人−砌谷久遠をうながした。
「歩くの?」
外は霧雨だ。隙間なく立ち並ぶ雑居ビルの垢が雨で滲んで往来に澱んでいる。黄昏に先んじて灯った街灯がその澱みばかりを照らしていた。
「車だ」
糸魚川が事務所の横のシャッターを開けると、中でオペルのクラッシックカーが銀色の鈍い光を放っていた。
「ああ、悪くないね」
そう言う久遠に助手席のドアを開けてやり自らは運転席に鷹揚な動作で身をおさめた。
その後ろに助手の平手の長身が影のように滑り込んだ。
エンジン音がガレージに響く。
「探偵さんは悪いこともするの?」
「なんでだい」
「だって悪いことしないとこんな車には乗れないでしょう」
「よく知ってるね、若いのに。でも違うよ。探偵さんは働きものなんだよ、とってもね」
オペルは雨の中、狭い往来へと走り出た。
繁華街を出て環状線に乗り、港の方面へひた走る。工場地帯の明かりが曇天を昼とも夜ともつかぬ薄ら呆けた灰色にしている。その雲に一箇所、黒い穴のような切れ間がある。交差するサーチライトがそこに差し掛かると穴に吸い込まれるように光の先端は消えた。
河口近くに瓦礫と見まごうしみったれた街が現れ、オペルはその中を右へ左へジグザグに進んで、[児島医院]と門中に刻まれた建物の裏口に止まった。
まずインバネスコートが降り、深緑のブレザーにチェックのスカートの制服が続き、最後に焦茶色のロングコートが音を立てずドアを閉めた。
三人は病院の勝手口から文字通り勝手に侵入した。インターフォンが長いこと壊れたままになっていることを糸魚川は知っていた。
消毒薬と、それとは別の消そうとしても消えない何かの匂いが漂っていた。紙束とダンボールの間を抜けて入った奥の部屋は真冬ほどに寒かった。平手が壁のスイッチを押すと2、3度瞬いて蛍光灯がついた。
薄っぺらい明かりの下にその男は横たわっていた。
「きみの伯父の砌谷櫂さんだ」
そう言うと糸魚川は男を覆っていた白い布をはいだ。
久遠は一歩進み出て、平手は一歩下がった。
「………伯父貴。やっと見つけた」
久遠は櫂の全身に視線を這わせた。寝巻きのようなものを着せられ裸足で、見たところ外傷はない。顔も青ざめてはいるがきれいだ。
久遠は後ろを振り返った。
「探偵さん、すまないけど、ふたりにさせてもらっていいですか」
「もちろん。ボクらは医者と話してくるよ。ああ、もうしばらくするとお巡りさんもくるからね」
「はい」
糸魚川と平手は霊安室から出た。
「糸魚川さん、あれで本当に正体が分かるんですか?私にはやっぱり普通の女の子に見えます。あ、普通と言ってもかなり綺麗なほうですが、人形みたいですよね。
死んでる砌谷さんとも似てましたし、やっぱりただの伯父と姪ってことには………」
平手が低い声で早口に言った。
「いや、あの子には何かある。もしかしたら人智を越えた何かかも知れないが」
「いやです。ブルブルです。私、怖いの苦手なんですから」
診察室の前まで来ると糸魚川はロビーで立ち止まった。
「平手くん、それで仕事に支障が出るってことは………」
「まさか」
平手の眼鏡の奥の目が三日月の形になった。
「糸魚川さん、私と何年仕事しているんですか?相手が何であれ美少女ならむしろ捗ります」
「なら、いいけどさ」
糸魚川が煙草を咥えた時、診察室のドアが勢いよく開いた。
「何をやっとるんじゃ、早くこっちこい」
背の低い頭の薄いギョロ目の男が手招く。
「ああ、先生。診察室は禁煙ですかね」
「当たり前じゃ。ほれ見てみろ、早く、早くじゃ。この不良探偵にあばずれが」
ふたりが診察室に入ると児島医師はぴしゃりとドアを閉めた。
「私、あばずれなんかじゃありません。私の初恋は幼稚園の時、じゅんいちくんという子でそれから彼一筋…………」
平手の反論は聞き取りにくい声質と早口のせいで黙殺された。
灯りを落とした診察室の中で、モニターの荒い画面が眩しい。そこに映されているのは霊安室。
画角には横たわる砌谷櫂と周囲1メートルほどが収まっている。
斜め上からのアングルで砌谷久遠も映っている。彼女の端正な横顔や薄くさみしい肩は、映画の死を悼む1シーンのようだ。
「ありゃ!」
児島医師が椅子から身を起こし画面にかぶりよった。
「先生、離れて。初めてAV見る中学生ですか」
「死姦モノですか?」
「平手くんは黙って」
糸魚川はふたりを左右に退けるとモニターをのぞきこんだ。緊張が走る。
櫂の頬に添えられた久遠の右手から何か黒いものが這い出ている。這い出て蠢いてゆっくりと、死体の顔を覆っていく。
「蜘蛛?」
脚の多い黒い虫が少女の身体から続々と出てくる。
「行くぞ!」
と糸魚川は霊安室へ向かって走り出した。
「あれが砌谷久遠の正体だ!」
廊下を塞ぐガラクタを薙ぎ倒して進む糸魚川のすぐ後ろに平手が続き、遅れて児島医師もついてくる。
「何なんですか、あの蜘蛛っぽいものは?」
「砌谷雪の死体に取り憑いていた[何か]の本体だ」
「じゃあやっぱり雪さんという方は死んでるってことですね」
「ああ、きみの出番だ平手くん」
平手が走りながら脱ぎ捨てた焦茶色のコートの内側から日本刀が現れる。
糸魚川が霊安室のドアを開けると勢いを殺さず平手が飛び込んだ。
久遠は死体の上に馬乗りになり、右手のみならず左手、口からも黒蜘蛛のようなものを吐いている。
久遠の口は櫂の口と蜘蛛で繋がり、先頭の蜘蛛は死体の口の隙間に今まさに身を滑りこませようとしていた。
それを平手の日本刀は一刀両断した。
驚いて身を引いた久遠は、もう17歳の少女の顔をしていない。
つるりと美しい顔の表には見えない年月の鱗が生えている。4、50年では足りない年月を生きた老熟した目が睨めつけた。
「ひどいなあ……」
久遠はこぼれ出た蜘蛛の一匹を飲み込むと、平手とその後ろの糸魚川を見た。
「探偵さん、あなた何か知ってたのね。でも櫂の死体はぼくのものなの最初から」
「残念ながら」
児島医師が護身のためかメスと聴診器を構えながら告げた。
「その男は死んではおらん」
「騙したの」
「ああ仮死状態にしただけじゃ。その砌谷櫂のたっての頼みでな」
「探偵さんもお医者さんも助手さんもみんなグルだったのかよ。ぼくが櫂の死体に入りたいのを知っていて、騙したんだね」
久遠はよたよたと立ち上がった。最初に切られた蜘蛛は絶命せずもがいていたが、糸魚川はそれを足で踏み躙った。
行き場をなくして這い回る蜘蛛を平手は片っ端から切り捨てていった。
その間に児島医師は久遠の背後をおっかなびっくり進んで、櫂の蘇生に取りかかっていた。
「砌谷久遠なんて人間はいない。きみは死んだ人間を操る化け物なんだろう。これ以上切り刻まれたくなければ雪ちゃんの体から出ていくんだ」
糸魚川の「雪ちゃん」という言葉に久遠は静かに笑った。
「ぼくを殺したいならこの体ごと切ればよかったのに、なるほど砌谷雪の縁者だったわけだ」
「切れますよ」
と平手は眼鏡の位置をなおしながら言う。
「切ったら[あなた]はどこへいくんですか?消えるんですか?死ぬんですか?それとも」
「ぼくは死なないよ。でも砌谷雪の体は死ぬよ。
ひとつ言わせてもらうと、最初に話を持ちかけたのは櫂だよ。…………ぼくも貰ってばかりじゃ悪いから、せめてひとつ櫂の頼みを聞いてやろうと思ってさ。
あの時、こう言ったんだよ。
『神さまでも仏さまでも悪魔でも何でもいいから、雪を生き返らせて下さい』って……………」
ストンと刀の峰打ちを受けて久遠は気を失った。倒れ落ちる直前に糸魚川が抱き止めた。
➖ ➖ ➖
「と、久遠は言っていたけどどういうこと?ボクに話してないことがあるよなぁ、きみはぁ」
診察室のベッドで目覚めた櫂に糸魚川は詰め寄った。
彼を挟んで反対側のベッドにはこれでもかとグルグル巻きに縛られた久遠が寝かされている。その脇には平手が控えている。
児島医師はボールペンを玩びながら競馬新聞を見ている。賭け事狂いなのだ。
「ちょっと待てよ、よく分かんねえ」
「だから最初に持ちかけた話っていうのは何なんだ?」
「まったく身に覚えがない」
「そんなこと言ってどうせ身から出た錆なんじゃないのか、きみはいつもそうだ。人を巻き込むだけ巻き込んで」
「いやそれはおかしい。久遠の件に首挟んできたのはおたくでしょう、朋未ちゃん」
「亡くなったって聞いてた雪ちゃんが生きて動いていたら、そりゃ真相を確かめたくなるだろう」
「よかったじゃん。確かめられて」
「どの口が言えるんだ。蜘蛛のような妖怪のような、仮にそいつを[クオン]と呼ぶが、それが雪ちゃんの遺体に入り込んで動かしてるってことは、信じ難いが……、突き止めた」
「………まったく気分の悪い話だよな。オレの妹の体を好き勝手してくれて」
「それがだよ。[クオン]はきみが頼んだからだと言っている。いや、神頼みもしたくなるのは分かる。なんたってきみが原因で亡くなったんだからね」
櫂は何か言おうとして言えずじまいのまま薄い唇を舐めた。それを見届けて糸魚川は続けた。
「状況はわかるよ。でもどうしてそこで[クオン]が都合よく現れたかってことだよ。
それになぜ[クオン]がきみを執拗に探していたかも、きみには心当たりがあるはずだ。
雪ちゃんが亡くなる前から、[クオン]ときみには関係があった。そうだろう」
「うん、まあ、そうやって言われると関係がないのはおかしい気がしてくるんだけどさ…………。知らないよ、そんな蜘蛛の妖怪」
「助けたんじゃないでしょうか?」
平手が口を挟んだ。
「え、何を?」
「蜘蛛っぽい[何か]を」
「オレが?何で?」
「私には分かりませんよぉ」
「助けてもらった」
縛られて天井を見たままの久遠が言った。
口に貼られたガムテープは平手が視線を移した隙に、内側から蜘蛛が剥がしてしまった。
慌てる医師と臨戦体制に入る平手を櫂が制して、ゆっくりと久遠の脇に体を移した。
「物覚えはいい方なんだけださぁ、どうしても思い出せないんだわ。どっかで会いましたっけ?」
「ぼくらは宿借みたいなもの。住処を探して屍から屍をわたり歩く。ぼくらって言ったけど、仲間はたぶんもういない。日本でいい死体に巡り合うことは少ない。すぐにちゃんと火葬されるし、あまり年寄りだと住み心地が悪い」
「人間でないと不都合なのか、寄生するには」
糸魚川が聞いた。
「知性に見合った生活ができるのは人間に宿った時だけだから。でもやむをえず動物の死骸に入ることもある」
「なるほど」
「動物は勘がいいから、違うことにすぐ気がつく。鴉なんかに入ってしまうと、他のやつから攻撃されることもある。鴉の攻撃はしつこい。実体験だよ。たまらなくなって体外へ出た。でも鴉の攻撃は止まなかった」
「黒蜘蛛の状態をやられたんだな」
「鴉にだいぶやられて数が減った。数が減れば弱くなるんだ。そこへ櫂が来て………」
「え?オレ?」
「薄汚い子どもだったけどまだ生きていたから、ハズレだもうダメだって思ったら、思ってもいないことをした」
「………鴉?蜘蛛………、そういえば昔住んでた場所にやたら鴉がいたような、でもほんとガキの頃の記憶だ」
「櫂はぼくを連れ帰って虫籠に入れて、キャベツの切れ端とスナック菓子のクズも入れられて………。でもぼくは宿主の体を借りてしか食べ物を摂取できない。
しばらくして、ハムスターの死骸を入れられて、ぼくは一命を取り留めた」
「やはり助けてますね。なかなかの推理だ平手くん」
糸魚川に褒められて平手は得意げに鼻の穴を膨らませた。
「なんかそんなことがあったような。死んだハムスターが生き返ったんだ、そうだ!
思い出した!蜘蛛を飼ってた。ダチに聞いたら蜘蛛は肉食だっていうから、ちょうどハムスターが死んだってんで食わせてみようって入れたら、蜘蛛が消えて鼠が動き始めたんだ!」
「事の発端はやはりきみじゃないか。何だよ蜘蛛にハムスターを与えるって。人としてなにかが欠けているは幼少期からだったのか」
「それがさあ、今日の今日まで夢だと思ってたんだけどな!」
糸魚川の皮肉を意にも介さず櫂は興奮気味にまくし立てた。
「そのハムスターが喋ったんだよ!オレはこいつをテレビに出したら有名になれるかもって、貧乏暮らしとおさらばだーって取らぬ狸の皮算用ってやつだったよ」
「何を話したんだ」
「…………覚えてない。オレの名前とか言わせてたような?」
「おまえも苦労してるんだな、と言われたね」
久遠が櫂に代わって答えた。
「死体を渡り歩かないと食事もできないと知って、自分の体がないって不自由だねというようなことを漏らして」
「え、オレそんな賢そうなこと言ってた?」
「はい。賢そうではなかったけど優しかった。幼少期から櫂は」
「へー」
「こうも言いました。『じゃあオレが死んだ時はオレの中に入っていいよ。そしたら周りが驚くから』と」
「うわー、そんなこと言ったの」
「だから櫂の死体はぼくのものです」
「オレ余計なこと言ったね」
「だから早く死なないかと楽しみに待ちました」
「だからオレの前に現れる時、おまえはいつもオレを殺そうとしてたんだな」
「なるべく若くて健康なうちに入りたいに決まってるからね」
「蜘蛛の恩返しではなく、ストーカー殺人の匂いがしてきました」
と平手が感想を呟く。
「ハムスターから色々渡り歩いて、砌谷雪の体に辿りつきました。やっと側にいられると思ったら、櫂は消えちゃった」
「だって死んだはずの妹が寝首をかこうとしてきたら逃げるでしょう。とりあえずは」
「探しました」
「逃げました」
「探偵さんが協力してくれることになって。でも、ぼくはまんまと餌に釣られたわけだ」
「そういえば糸魚川さんと雪さんはどこでどう繋がっているんですか」
平手が聞きたくてうずうずしていた疑問を早口でぶつけた。
「1年前、偶然[久遠]を見た時は目を疑ったよ」
と糸魚川が言った。
「瓜二つだったもの。でもおかしいよな、生きていたら30は越えているはずなのになにも変わってなかったからね。
砌谷雪はボクが学生時代バイトしていたガソリンスタンドで働いていた。可愛くて守ってあげたくなるような女の子でね。当然、恋した。でも碌でなしの兄貴の喧嘩相手に間違えて刺されたって聞いて………、刺したやつもその兄貴も死んじまえって思ったね」
櫂が今まで見せたことない複雑な表情になった。
「それは黙って声をかけた。
分かったのは、見た目や声は砌谷雪そのままでも中身は違う。[クオン]が人体に入れば記憶も人格も別物になるんだ。[クオン]はシングルマザーだった母親が亡くなって、伯父だけが身内だって説明してきた。
でもそれは嘘だろうと探偵の勘が働いたのさ。雪ちゃんに似過ぎている。伯父に執着し過ぎている。目の前のこの子は、多分、本当の娘じゃないって」
「やっぱり探偵さんは悪いことをする人だった。ぼくに全部黙って、櫂を餌にして……悲しいな」
久遠の目から涙が溢れたが、それはただの綺麗な水のようなものでその場の誰も意味を測れない涙だった。
しばらくの沈黙の後、櫂が言った。
「オレはおまえに殺されなくても、いつ死んでもおかしくないような男だ」
羽織っていたシャツを落とすと背中に墓標が掘り込んである。卒塔婆と墓石を背中に背負って、野垂れ死んだ場所が墓場だ。
「らしくないが、雪はオレのせいで死んだから雪の姿の[何か]殺されても、文句は言えないような気がしていた。
おまえが蜘蛛で喋る鼠だったのも分かった。男が一度言ったことだ。死んだらオレはくれてやる。なるべくきれいに死んでやるよ。
でも雪の顔した雪でない[何か]をオレは受け入れられない。どうしたら出ていくんだ。
切っても切っても、結局最後の一匹が残っていれば[クオン]は消えないんだろう」
「………ほかに具合のいい屍があれば、出ていく」
久遠の答えを聞いて櫂は児島医師から新聞を取り上げた。
「そういうわけだよおっちゃん。どっかに具合のいい死体はないの?ここ病院だろう」
「そんな具合のいい死体があったらワシのほうが欲しいわい。今から引き取りが来るからな」
平手と糸魚川は顔を見合わせたが櫂は眉をひそめた。
「そっちの方まで手を染めちゃったの?」
「もうワシ、借金で首が回らんのだわい」
「今から何が来るって言いましたか?」
糸魚川がかぶせるように聞いた。
すると診察室のドアがガタリと開き、ふたり連れの男が入ってきた。巨軀の男と痩せて背ばかり高い男だが、見るからにカタギではない。
「おう先生、集荷に来ましたぜい」
「あッ、ああ。えーっと、あれだぁ、あれだな」
男のもの言いは気さくだが児島医師は明らかに動転している。
「え、まさかないの?」
巨軀が児島との距離を詰めると、児島は口をパクパクしながらギョロ目を櫂にロックオンした。
「おっちゃん!集荷ってまさかオレを売ろうとしてたの!仮死状態にして!」
「じゃなかったら何でこんな眉唾物の芝居に手を貸すかい!」
「ひでー」
「そうじゃ今日の施術代、および3年分の治療費、無保険じゃ、100万ツケておるから今払え、櫂!」
「あるわけないだろうそんな金」
「腹のもので賄える」
「臓器抜いたら[久遠]が困るだろう」
久遠が何か言おうとするのと、男達の目が縛りつけられた久遠に落ちるのと同時だった。
「なーんだ先生、ちゃんと準備できているじゃないか」
「しかしも若くて美人ちゃんだ」
男たちは慣れた動作で久遠を運び出そうとする。
「ちょっと待ち」
櫂が男たちの行く手を塞いだ。
「なんや」
「それのガワ、オレの妹なんだよ。勝手に持っていかないでくれよ」
「と言っとるが先生、どーすんの?」
「その娘は16年前に死んだんだ、戸籍もなにももうない。好きにしてくれて構わんよ」
児島医師はそれで完済じゃと自分を納得させるように続けた。
「そういうことだニイチャン」
男は久遠を抱えたまま肩で櫂を押しのける。身長差およそ10㎝体重差およそ20㎏。櫂はこらえた。
「どけって言ってんだよ!」
もう一人の男の蹴りが櫂の腹部に食い込んだ。
「はいはい業務妨害はやめましょー」
口笛をふいて男たちが去ろうとする背中に、今度は糸魚川が採血台をおもいきり振り下ろした。
巨軀がよろめいて久遠を落す。もう一人の顎をねらって台を振り回せば、音を立ててヒットした。
「何やってるんですか、糸魚川さん!相手みてください!やばいです!激ヤバです!」
平手は日本刀を抱きかかえたままおろおろしている。
「どう見たって雪ちゃんなんだよ!分かっていても雪ちゃんなんだよ!」
糸魚川はそう叫んでさらに採血台を振り下ろそうとする。
「もうよしとけ、死んじまう」
櫂が止めに入り、床に落ちた久遠を担いだ。
「車は?」
「裏口だ」
三人は診察室を後にした。児島医師の悲嘆にくれた悲鳴のような叫びだけが狭い廊下を追ってきたが、足早にオペルに乗り込んだ。
➖ ➖ ➖
「暴力は嫌いじゃなかったの、探偵さん?」
オペルの助手席で櫂がたずねた。
「きみと違って嫌いだよ。でもやむをえなければ手段を選ばん」
「お得意の口八丁でなんとかしようと思わなかったわけ」
「…………雪ちゃんが目の前からまたいなくなるんだと思ったら、たまらなくなって」
「惚れてたんだ」
「過去のトラウマだよ」
「トラウマ、ね」
探偵は窓を開けて煙草の煙を車外へ流した。かわりに湿気を含んだ冷たい夜気が入ってくる。昏燈街の油と獣の匂いを混ぜたような空気がまだ纏わりついていた。
満ち欠けする月のように死と生を渡る[クオン]。今は糸の切れた操り人形のようにだらりと平手にもたれている。
「ほら、今回の請求書だ」
糸魚川は胸ポケットから出した紙切れを櫂に渡した。
「えー、今回のは朋未ちゃんプライベートで動いてくれたんじゃないの?」
「依頼は依頼だ。砌谷雪らしき人物の正体を突き止め、身柄を確保。100%こなしたぞ。成功報酬だ」
「ぶーぶーぶー」
「それからそっちの」
とミラーの中の久遠を見た。
「失踪中の砌谷櫂を見つける、もコンプリートだ」
と言って別の請求書を平手に渡す。平手はそれを久遠の目の前にかざした。
「探偵さんは悪徳だ…………。グルだったくせに」
「そうでもないよ。櫂の居場所を突き止めるのは結構骨が折れたよ、別に仲良しってわけじゃないからね」
「あのう、この子どうするつもりでしょうか?」
平手は久遠の重みを支えながらたずねる。
「ああ、もう自由にしてやってもいいぞ。オレを殺さないなら」
平手がもたもたと縄とガムテープを外すと、久遠は居ずまいを正した。
「…………助けてくれてありがとう、二回も」
「ああ、うん。そういうことになるなぁ」
「もう、殺さない。待つよ、櫂がちゃんと死ぬまで」
「そうしてくれるとありがたい」
「だから側にいていい?」
「その顔じゃだめだ」
「どうして?1000年にひとりの美少女だと思うよ」
「美少女は口から蜘蛛なんて吐かない」
久遠はしゅんとしてみせる。
「いや待てよ……。蜘蛛を吐く女子高校生なんてなかなかにトリッキーな代物だ。これは金になるかもしれないな」
「おい、悪いこと考えてるだろう。ボクが許さないぞ」
糸魚川が慌てた様子で言った。
「身内のことに口はさまないでくれる」
「身内か?」
「朋未ちゃん、お金好きだよね」
「…………人を守銭奴みたいに言わないでもらいたい」
「オレたち2人で額面通り支払える方法を思いついた。オレは割り切るよ、生きるってそういうことだ」
「金勘定で大事なところ曲げるなよ」
「だとしても朋未ちゃん、雪のことも好きだよね。ヤクザに向かっていくほどに」
「だから?」
「[久遠]が出て行ったら雪は荼毘にふされるだけだよ」
しばらく沈黙が続いた。
「雪の姿がこの世にあるってことを、オレは諦められない。おまえもだろう」
根負けしたように糸魚川が頷いた。煙草の火を消してハンドルを握り直す。
「じゃあ行こうか」
櫂が明るく言う。
「どこへだよ?」
「とりあえず飯。それからケーキを買おう」
「なんでケーキ?」
「知らねえのか?お誕生日はケーキを食うもんなんだよ」
「誰のだよ」
「ハッピーバースデイ砌谷久遠。雪じゃない。おまえはおまえ。今日が誕生日だ」
オペルは濡れた路面を駆って住み慣れた街へと戻っていく。
おしまい
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どんな記事や作品が集まるのか期待が膨らみます(^ー^)
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