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璦憑姫と渦蛇辜 2章かりそめの②
島から島へ村から村を廻り季節は流れた。食べ物が尽きれば魚を釣り、水が尽きれば島に寄った。波間に漂う椰子の実を見つける日もあった。遥かな南の島から流れきていくあてもないそれに「気をつけてなー元気でよー」と呼びかけるタマヨリだった。昼の遊び相手はいるかや亀だった。夜は星を数えた。さみしい時は唄をうたった。すると海からふわんふわんと白く透明なものが昇ってきて光って消えた。それが何なのかタマヨリにはわからないのだった。
育った島から出たことのなかったタマヨリには、立ち寄る島々が珍しかった。どの島も故郷と同じように長閑な漁村であり、畑があり、ヤギや牛が草を食む姿があった。時々、海彦に似た青年を見つけ後を追ったがどれも似た他人だった。
島に長居することはめったになかく、ワダツミは人との交わりを好まなかった。タマヨリがすなどった貝やウニを野菜と果実に換えるのは彼女の仕事だった。
島民たちは兄弟のようにも親子のようにも見える風変わりな旅人についてあれこれ詮索した。男の方は雄偉な体躯、髪の色は金とも銀ともつかない光彩を帯びて豊かだ。大国の名のある武将ではないか、娘の方はゆえある家系のものではないかと噂した。タマヨリの肌は島の子どもと変わりなく日焼けていたが、内側から真珠のように輝き髪はいつでも海からあがったばかりのように濡れて黒かった。
「おおかた人攫いの類じゃろう」
老いた漁師のがさがさした声に、村人たちが振り返った。女が六人男が二人集まってタマヨリと物々交換をし終えたその場でよもやま話をしていた時だ。
「男の、あの目……」
放った鶏を追い回す子どもに交じり、タマヨリも走り回っている。それを松の木の影からじっとワダツミは見ていた。
「蛇の目じゃ」
老漁師の声に合わせ村人が目をやると、松の影から背筋の凍るような一瞥が返ってきた。
「ああこわい」と女が顔を伏せると、漁師は声をひそめた。
「おおよそ人の魂が入っておらぬ」
「だども、娘どもはええ男じゃと、ちらちら見よるぞ」
別の男が眉をひそめた。
「娘は隠しておいたほうがええ。かどわかされても知らんぞな」
「じゃな」
と男は頷く。
「あの女のわらべも攫われたのかのう」
気の毒にと女が云った。
「ありゃ人魚さ」
老漁師が云った。
「若い頃見た人魚もああいう肌をしておった。人魚というのは好奇心の強い生き物でな、たまに陸にあがってきよる」
「そりゃそうかもしれんな……。娘が泳いどるとこ見たか?」
「いんや」
「おらは見たがな、まるで魚じゃ」
みな顔を見合わせたあと、タマヨリに一斉に視線を注いだ。すると、
「卵、ありがとな!」
と篭の卵を見せて娘がにこにこと手を振った。
「……あれで人三化七かいな」
村人は首を傾げつつ、ワダツミに手招かれて舟へ戻っていくタマヨリのぴょんぴょんと跳ねる後ろ姿を見送った。
「おらには、ただの親子に見えるがよ……」
女がぽつりとつぶやくと、老漁師は見てみろと顎をしゃくった。
道には並んだ二人の影が重なり合い絡み合った。そのかたちは双頭の海蛇のように長く伸びた。
「親子だろうとなかろうと、鬼の連れなら子も鬼じゃで……」
二人の姿が松林の向こうに消えても、海蛇の影だけは村人の眼の中からしばらく消えなかった。
「なあワダツミ」
焚火に小枝をくべながらタマヨリは言った。
「今日、卵をくれたうちの姉さな、あれ、もしかしておれのお母さでねえかな?」
流木に腰をおろし、串の魚を齧っていたワダツミはちらりとタマヨリを見た。
「そんなわけがあるか」
「だって、櫛で髪をとかしてくれたぞ。ほれ、髪も結ってくれた。おれのことかわいいかわいいゆうてな、浜で寝るならうちに泊まれと云うんじゃぞ。……ああ、おれ、あの人がお母さだったらええのになぁ。やさしいんじゃ」
「ふん」
「おれ、もういっぺん行ってこようかな。なあ、今夜は姉さのうち行かんか?」
「行きたければ行くがいい」
ほんとか、と立ち上がり寸刻惜しんで村に駆けていこうとするタマヨリの背に、
「戻ってこぬでよいぞ」
と云う声が届き、眉根を寄せて振りかえった。
「なしてそんなことが云えるかな」
「人の中で暮らしたいならすればよし。ただ奴ら、俺のこともお前のことも鬼じゃと噂しておったぞ」
「鬼……」
タマヨリから勢いがすーっと消えた。
「……やっぱ行かん」
流木の端に腰掛けたが、おさまらないのか無暗に脚をぶらぶらさせている。やがて昇りかけの月が海ににじみ遠い波間が藍くかすんだ。
「姉さはな、ちいせえ娘を病で亡くしたんじゃと。おれはその子に似とるんかな、どうやろか?」
タマヨリは心のうちに何度もめぐらせた甘いものをもらしたが、ワダツミが相手では返事はつれない。
「知るか」
「もしな、自分のお母さとお父さに会ったら分かるんやろかな?おれは赤子のときのことなどなーんにも覚えとらん。じゃで、会ってもきっと気がつかん。でも向こうがおれのこと分からんかったら、分からんまんますれ違ってしまうかもしれん、心配じゃ」
はだかになった串を焚火に投げ入れるとワダツミは鼻で笑った。
「でも、まあそん時はそん時じゃな。じゃが、あの貝殻片なら覚えがあったかもしれん!ワダツミが腹の中に入れてしまったから見せられん。どうしてくれるんじゃ」
「そんなに親に会いたいものか」
「……島におったなら思わんかったかもしれん。おれは親にあったら、話したいことがたくさんある。婆さのことやろ、兄ィさのことやろ、島のことやろ……。なんで捨てたか知らんけど会えば話くらいは聞いてくれるやろ。兄ィさが見たちゅう女の人ならそりゃ優しくてきれいなんじゃろな、おれのお母さは」
そこまで話すと満足そうに息をはいた。ワダツミは聞いていたのかいないのか、流木に阻まれ右往左往する子亀を足で蹴り飛ばした。
「あ!」
「海亀の子は孵れば親のおる海をめざすが、一生親に逢うことはない。そういうものだ」
見れば浜のそこここで、ちいさな亀たちが海をめざして砂まみれで進んでいた。海から昇った月はまあるく膨らんで、亀を照らして海へ呼んでいる。
「生まれたんかあ!ようけおるな。がんばれがんばれ!」
タマヨリは踏まないように気を付けながら子亀を励まし波打ち際で、「こっちじゃこっち!」とまねいている。
「大きゅうなったら迷わずここへ帰って来るんじゃぞ。食われるな、食われそうになったら逃げろ!」
ワダツミといえば蟹に襲われる子亀を面白くもなさそうに眺めている。
「亀の子でも生まれた場所にいずれ帰るものを」
「はい?なんか言ったかワダツミ―!」
ゆっくりと立ち上り歩く彼の重みで砂が沈んだ。亀がそのくぼみにはまり込んでもがいて抜け出す。波打ち際まで続く足跡には、藍色の影が濃くたまった。
2章 おわり
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