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モノ書きのかじりかけは、お茶でも飲んで❹書けなくてもモノ書き?

「小説が書けない」というテーマで、書こうとしたら、考えただけで鬱ってきて、胃腸炎になり、さらに自宅に居るのに熱中症になった💦なんだかもう、ダメダメだぁ。
そんな僕が伝えたいのは、この二つ。

クーラーかけてても水分は取ろうね!
窪田悠希さんの一言が、深かった!
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書けない時間、書けない自分…。
ああ、また胃が捻れてきた…。
書けない辛さを思い起こすだけで、ダメージがくるとか…。
もう、何で書いてるんだかわからんないや。
というどうしようもない時、タイムラインにこの一言…。

もう自分が書いていた「モノお茶」(タイトル略してみました)とか、どうでもよくなってしまった…。
全部、この一文に凝縮されているので。

窪田さんのnote!









でも貧乏性なので、窪田さんの一文に会う前に書いた吐露の一部を抜き書きしました。以下、完全に蛇足です…!!!

*   *   *

一概に書けないと言っても、時間がない(ない時は本当にないよ)とか、体調とか、邪魔が入る(ex.猫、子ども、恋人、エアコンが壊れた)と言った外的要因から、モチベーションが上がらない、何をかいても気に入らない等の心的要因、いい表現が思いつかない、話の着地点が見えない等の技術的要因、あと、なんかありますかね?
人の数だけ「書けない」理由はありそうですが…。


「#書けない」でnote を検索したら、267件もありました。
内容は千差万別のようですが、こんなに「書けないこと」を「書く」人がいることの驚き!


「書けない…書けない…」と言う時、僕は、あなたは“何”を見ているのか。

猫なのか、電器屋のアドレスなのか、誰かさんのド上手い小説なのか、白紙の原稿か文字の羅列か、あなた自身の枷なのか…。

何にしろ、目を外らせない「書けない理由」を見ているのだと思います。
僕が、あなたが立ち止まってる場所こそが、「書きたい」僕をあなたの姿を浮き彫りにしてるように思います。

自分は技術向上を当座の目当てにしてますが、「書けない」というとき、下手で書けないというより、下手なのに“何で”書いてるんだ、という気持ちの方が強いです。
これに陥ると、芋蔓式にネガティヴになります。
そうやって自分でしかけた罠にやすやすと嵌って、自問自答を、同じことの繰り返しを演じます。
かなりたちが悪いです(ーー;)

僕の場合は、誰かに頼まれたわけでもなく、世の為人の為に書いてるのでもない。
文章で身をたてようとか、お金の為でも夢の為でもない。
何にもならない、趣味というにはあほみたいに身を削る。
辞めたところで誰にも咎められない、誰も困らない。

そんなやつが「あああ、書けない~!」と悩んでも、他人からしたらこれっぽちも興味のわかない、どうでもいいことだと思うんです。
「書けた」ものを読んでくれる人はいても、「書けない」ことを受け止めてくれる人が、あなたのまわりにどれほどいますか?
「頑張ってね」くらい言ってくれる人はいるかもですね。
僕にはいませんけど・・・(._.)

せめて「書けない」って言わなきゃ、書かなければだって作家(書き手)でなくなってしまう。
その焦燥感が大なり小なりある気がします。
「書けない」ことを、書けない自分を綴る人が多いのは、そんな感覚もあってのことかな、と思いますが。
え、お前と一緒にすんな💢だって?
ごめんなさ〜い( ̄▽ ̄;)

じゃあ、書くこという行為を信頼しているんでしょうか?
書けない自分自身を、書くことで炙りだそうとする。あるいは書けない自分すら、書くことで肯定する。
言葉があなたを離さない?
僕は書けない時、コイツとは縁を切ろうと、切った方が身のためだ、とたまに思います。
反対に、コイツが離れていくことがとても怖い。
なんかもう、腐れ縁のバカップルみたいだな(笑)
こんな執着はみっともないと思います。
でも煩悩に取り憑かれてて…。

手を変え品を変え、結局同じこと自分に聞いて、何度も自分で答えて、書けない時間に書きたい僕がいる。だから書く。
書けないたびに、書きたいということを確認するような、感じです。

*   *  *



そうそう。誰も気にしてないだろうけど前回、文体についての続きを書くと予告して、違うこと書いちゃった(´ω`)

文体については、もうちょっと色々考えてみたくなってしまって〜。


そして今回、完全に人様に乗っかるスタイル…💦
窪田悠希さん、すごいタイミングですとんと胸に落ちる言葉をありがとうございます。
小説家でも、なんでもないんですが。


読んでくれてありがとうございます。