わたしの投資歴は20年です
懐かしい書類が出てきた。SBI証券(旧イー・トレード証券)の申込書だ。
もう20年以上前になる。
申込書によると、金融資産は100万円未満で申し込みをしたようだ。口座を開設して、入金してからはそれはもう楽しかった思い出がある。ちょうど今のみなさんのような心境かもしれない。
株式投資のきっかけはもちろん、この本(金持ち父さん貧乏父さん)だ。
改訂版ではない方の、初版を大切に手元に残してある。それからは、ZAIという雑誌にはまり、日本の個別株と素人街道まっしぐらだ。
2001年は時期も良かった。
ロバート・キヨサキのキャッシュフローゲーム会で、たまたま元証券マンと知り合いになれたのもよかった。
その彼にFXをすすめられた。当時FXってかなり先発組だったと思う。手数料0円でスプレッドという概念にかなり混乱した記憶がある。そして、スワップ金利に目を輝かせていた。レバレッジ20倍は当たり前で、レバレッジ100倍できる取引業者もあった。
当時は、米国株取引というキーワードはなかった。誰もやってなかったし、そもそも外国株取引口座が個人では作れなかったかもしれない。
デイトレ、IPO・・・いろいろ経験をした。信用取引の追証で地を舐めたこともあった。リアル証券会社(みずほインベスターズ証券)で口座を開設したこともあった。ここで証券マン(というより、金融業者)は、未来を予測できるプロでなく、手数料を稼ぐプロだということを実感する。こちらにも戦略があったので、手数料は払ったが、損はしなかった。むしろIPO当選分だけ、プラスで終わった。システムトレードはやらなかった。
IPOブームが加熱していた時期があった。旧マザーズ市場で連日ストップ高というのも珍しくなく、1日で含み益100万円以上のプラスというのもあった。20代でこれを経験したので、完全に金銭感覚が壊れた。
そして、2008年のリーマンショックで、一旦、株式市場から退場することになる。この辺の思い出話は、機会(需要)があれば、個別に取り上げてみたい。
このように当時は色々な「投資手法」というものがあった。米国株ETFを積み立てるだけというのも、広義の手法といえば、手法だが、私には受けれ入れがたいし、多くの日本人を巻き込んでいるので、心配している。企業業績うんぬんではなく、誰がいつまで買い支えるのか?という疑問があるからだ。当たり前だが、株は誰かが買わないと上がらない。
今私は米国株トレードをしている。これからも、強弱をつけたり、出たり入ったりを繰り返して行く予定だ。
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