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「DIE WITH ZERO」の落とし穴―未来を犠牲にする生き方の危険性

「DIE WITH ZERO」という考え方が注目されているが、それを誤解すると未来の自分を苦しめることになる。若いときにお金を使いすぎた結果、中年以降に苦しい生活を送ることになれば本末転倒だ。


「DIE WITH ZERO」が見直される時代

「DIE WITH ZERO」は、人生の終わりまでにお金を使い切るという考え方だ。貯めた資産をただ抱え込むのではなく、経験や思い出に投資しながら生きることを推奨している。特に、老後に使わないまま死ぬよりも、若いうちにお金を使い、充実した人生を送るべきだという主張は、多くの人に支持されている。

しかし、ここで重要なのは「未来の人生を犠牲にしない」ということだ。無計画にお金を使いすぎると、中年以降に苦しい生活を送ることになる。

若いときに散財しすぎるリスク

例えば、20代や30代のうちに「思い出作り」と称して、海外旅行、高級レストラン、ブランド品などに大金を費やしたとしよう。その瞬間は楽しく、充実した時間を過ごせるかもしれない。だが、その結果として貯蓄がほとんどなくなり、中年以降に収入が減ったらどうなるだろうか。

40代、50代になっても十分な資産がなく、Uber Eatsの配達員として自転車を漕ぎながら「あの頃は楽しかったな」と思い出すことになるかもしれない。もしそうなれば、それは「DIE WITH ZERO」の失敗例だ。

「経験に投資すること」と「将来を犠牲にすること」は別物

DIE WITH ZEROを実践する際に気をつけるべきことは、「経験に投資すること」と「将来を犠牲にすること」を混同しないことだ。経験に投資することは重要だが、それが中年以降の生活を危うくするなら、本末転倒である。

たとえば、老後に備えて資産を形成しながらも、適度に経験へ投資することは可能だ。投資の基本は「分散」であり、人生においても「資産」と「経験」のバランスを取ることが重要になる。

しっかりとした基盤があってこそ実践できる

私は中年に差し掛かっており、今まさにDIE WITH ZEROな生き方を実践している。しかし、それは確固たる経済的基盤があるからこそできることだ。FIRE(Financial Independence, Retire Early)という考え方も同様で、資産がしっかり確保されていればこそ、自由な生き方が可能になる。

一方で、若いころに資産形成を無視して遊びにすべてを費やした人は、後になって厳しい現実に直面することになる。

アリとキリギリス、どちらが賢いのか

昔話の「アリとキリギリス」は、まさにこの問題を象徴している。夏の間、アリはコツコツと働き、冬に備えた。一方で、キリギリスは遊び続け、冬が訪れたときに困ることになった。

現実の世界でも同じことが言える。確かに、若いころにお金を使って楽しむことは魅力的だ。しかし、それが行き過ぎれば、後に苦しい生活を送ることになる。

キリギリスはアリには戻れない

人生において、「やり直しがきかないタイミング」が存在する。若いうちは、多少の失敗をしてもやり直せる。しかし、50代、60代になって貯蓄がなく、仕事の選択肢も限られている状況では、取り返しがつかない。

「DIE WITH ZERO」は、適切に実践すれば素晴らしい考え方だ。しかし、未来を犠牲にしてまで今を楽しむべきではない。そのバランスを間違えれば、「あの頃は楽しかったな」とUber Eatsの自転車の上で思い出すだけの人生になってしまう。

結論として、若いときに経験へ投資することは重要だが、それと同時に中年以降の生活の基盤を確保することも必要である。「DIE WITH ZERO」を実践するなら、未来を見据えた上で慎重に計画を立てるべきだ。


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