【ワタシ、不妊治療してました#7】念願と引き換えに
念願の留学ではあったものの、腐れ縁教授の登場から始まった中国留学は思ってたのと違う展開のオンパレード
ワタシは茶の流通を主な研究としていたのであるが、「茶」の部分だけ切り取られた結果、某大学の茶学科の研究室に所属することになった。では、指導教授は茶の流通とか社会科学系のことをしているのかな、と思ったら、茶の成分を研究している先生だった。え、ちゃうやん、その1。
そして、その時、その指導教授はアメリカの大学から出張で戻ってきたばかりのタイミングで、めちゃくちゃアメリカにかぶれて帰ってきた結果、毎月の研究報告会は英語ですることにします、と。ん、中国語に加えて英語も、中国に来て英語で報告することになるとは思っていなかった。え、ちゃうやん、その2。
でも、この環境は、ワタシが所属している日本の大学のほうが遅れていて、このスパルタ環境はむしろスタンダードなんだと、後に研究室に3か月だけ留学しに来たスイス人によって明らかになった。
そして、ちゃうやん、その3は住環境だった。
実際に生活してた留学生寮は二度と住みたくないほど、いや逆にこの住環境を経験したからこそ、当たり前にある衣食住のありがたみを再認識できた場所だった。
1人1部屋(2人の部屋もあった)、1人1ベットと机が割り当てられ、南向きの部屋と北向きの部屋に別れていて、南向きの部屋の方が部屋代が高かったらしい。私は奨学生でかつ他の留学生とは違って聴講生という立場での留学で1年半と短いため選べる余地なく北向き。で、部屋の真下が留学生共有の調理室…ということは、下からの湿気がワタシの部屋へと流れ、北向きで日当たりも悪く洗濯物はもちろん乾かず、梅雨時期には壁からカビが生える部屋だった。ある日、カビが生えたままは良くないと壁を磨いたらレンガが見えて来て、これはヤバいかもと思って、カビを完璧に無くすとこを諦めた。
そして部屋から出たらそこはもうプライベートなんてない、ワンフロアに女子トイレ1つ、そのトイレの横にシャワー室1つ、男女共同の洗面所、の向かい側に男性シャワー室。
ちなみに、ワタシの校舎は農学部だったらしく、農学部に進学している留学生がほとんどで、アフリカや東南アジアからの留学生が多く、欧米諸国からの留学生およびほとんどの日本人留学生はメインキャンパスに通っていた。なので、日本人として農学部の留学生寮にいるのはかなりのレアケース。ワタシの他に2人の日本人がいたが、お二人とも日々、実験や調査で忙しく、なかなか会って話す時間は少なかった。
しかも、この留学生寮には大学に進学する前の中国語研修をするアフリカや東南アジアの公費留学生もいた。つまり、彼らは英語ができても中国語はできない。ドアを開けたら英語か中国語の世界、語学を習得するには最高の環境だったと思う
比較的前向きな性格のワタシは、「ちゃうやん」のオンパレードであっても、“自由に野放しにしてくれる指導教授最高“、“語学習得には最適“と言い聞かせ、もう2度と住みたくないような住環境の酷さにも慣れていった。
でも、今思えば、精神的には楽になったものの、身体には負担がかかっていたのかもしれない。
もともと冷え性だったのが、シャワー生活によりさらに冷え性がひどくなり、今まであまり気にならなかった生理痛もひどく、経血量も増えたのか、生理のたびにナプキンからの横漏れがひどく、生理が来るたび、外出が億劫になった。
でも、生理って、まず人と比べたりしたことがない。せいぜい、「お腹痛いよね」とか「頭痛ひどいわ」とか個人が感じたことを吐き出すくらい。
客観的に痛みや量を数値化して、人や過去の自分の生理と比較したことがないから、「あれ、ちょっと前より痛いかも」、「ちょっと量増えたかも」と思っても、「でも、また来月は軽いかも、次にならないとわからないから、まぁいいや」と、リセットして(妊活のリセットとはまた別の感じ)、自分自身の身体の変化に向き合わないまま、どんどん事態を悪化させていたのかもしれない。
とはいえ、この時のワタシは20代後半、若さゆえ「いつかは子どもができる」と信じていた。