【ワタシ、不妊治療してました#10】この日を忘れない
13年前の12月13日、ワタシは上海に降り立った
上海での仕事は、今までの研究とは全くの関係のないことで、
唯一、リンクするものがあるとすれば、茶だった。
面接で茶の研究をしていることは話したが、それが茶道にも精通していると勘違いされたようで、主な仕事の内容は、日本文化の普及と現地の対日報道の分析だった。
上海に降り立ったその日、中国では南京大虐殺の犠牲者を追悼する日であり、到着したその日の午後から、その追悼行事を報道している現地記事の内容をまとめなければならなかった。「我々はこの日を忘れない」という内容の見出しばかりで、ワタシも違った意味で忘れないよと思った。
前日の渡航準備で寝不足気味の中、気が休まることなく仕事がふりかかり、しかもその仕事は日本文化の普及、対日報道、どちらもいままで1ミリも興味のない仕事、それでも仕事。労働の対価をいただくのだから、くらいついてやるしかない。ここまで振り返ってきて、「思っていたのと違う」ということを乗り越えてきた、が、中々しんどかった。
でも、職場の方々は皆、人として常識のある方ばかりで、ワタシのアホな仕事ぶりにもあたたかな目で見ていただけたのが救いだった。
と同時に、大学、大学院を通してワタシのまわりにいた人たちがいかに変わった人たちだったかを思い知った。腐れ縁教授や青い森の熊先輩だけでなく、他にも人としてどうなの的な発言や行動をする人が多く、それが普通だと思っていたワタシにとって、上海での職場は至極真っ当な人々だった。というか、スーパーハイパー仕事ができる人たちばかりで、ワタシ、ここにいていいのだろうか、いわゆる、頭がいいって、こういう人たちなんだろうと思わない日はなかった。
思わず、腐れ縁教授が言っていた「病院、少年院、大学院、院と名のつくところに入院するのはまともなやつじゃない」という話を思い出した。そうか、ワタシは、イカれてたのか笑
毎日慣れないことだらけで、ほぼ毎日残業して帰って、ソファでそのまま寝ていた。食生活も朝は食べてるか食べてないかよくわからない状況で、昼食はたまに外に食べに行くかコンビニで買うか、夜は会食がなければ、日系の牛丼屋とかラーメン行くか、家で食べるならインスタント麺か冷凍水餃子かコンビニ弁当。仕事中に飲むものは基本コーヒー、小腹空いたらチョコレート。ひどいときは板チョコをポテチ1袋食べるのと同じ感覚で食べてた。茶の研究してました、と言いながら、ほとんど茶は飲んでない…なぜなら、茶殻の処理すら面倒だから。
そんな生活を続けていたら、半年で太ったというか、正確には全身浮腫んで、日本から持ってきた服はほとんど入らなくなった。そして、肌荒れも加速。そして、生理のたびに下腹部が痛い、そしてドロっと経血。けど、何のプライドか、絶対に薬飲まないと決め、痛みを堪えて仕事。
たまに自分を労わる名目で、足裏マッサージかリンパマッサージに行くと、痛すぎて、癒しではなく、むしろ拷問かという痛さで涙出た。
頑張らないと、頑張らないと気を張るのと比例して、不健康生活も加速、でも自分の健康を顧みるためにマッサージとか行ったら痛みでドロップアウト。食生活では脱女子みたいな生活をしていたのに、しかも2年しかない上海勤務なのに、上海行く前、ワタシに結婚なんて無理だわ〜なんて思ってたのに、あれよあれよという間に結婚して帰国することになった。