【ワタシ、不妊治療してました#2】ワタシって
「人生は思い通りにならない思い通りに生きている人は一人もいない」
(ゲッターズ飯田さんの日めくりカレンダーより)
現在、ワタシは横浜の元町にあるよもぎ&モリンガ蒸しのサロンで働いている
諸事情により、ここ最近はお店に出る日は週一にしていただいているが、先週はお休みし、約10日ぶりに出勤したら、このお言葉でした
まさに、その通りの人生
前回、簡単なワタシの紹介をしましたが、
今回はもう少し詳しめに紹介させていただきます
そしてこの紹介はしばらく続くので
話の内容が不妊治療とは少し離れてしまいます
ワタシは大学進学までは関西地方で育ち、
ごくごく普通のサラリーマン家庭、母は専業主婦のもと
一人っ子で育ちました
引っ込み思案で、とにかく静かでおとなしく、常にぼーっとしていて
小学校時代はいかに目立たないかを意識して過ごしていました
しかし、小学5年の二学期、とても仲が良かった友達が
引っ越しにより転校
小学5年の女子にもなると、特定のグループもしくはコンビが成立しているもので、新たにそのグループやコンビの仲間に入るには相当の勇気がいること
まして、目立ちたくない、おとなしい性格の自分には、それがとてつもなく高い壁に感じ、どうしようかと思ったところに、新に転校生が来た
が、ワタシの言われたら断れない性格をわかっていたのか、万引きをしてこいだのと、根本的に性格が合わないと感じ、距離を取っていたら、さらに性格強めの子とつるんで、ワタシを攻撃してきた、いわゆるイジメ
そして小学5年の3月、実家からはワタシが通う中学校が見える
その中学の卒業式、毎年荒れに荒れている
家から徒歩で2,3分で通える公立中学だけど、
ここに行ったら私はつぶれると感じ、
ワタシはこの中学には行かないと決めた
でも、中学受験って、早い子は小学3年生から対策しているのに
ワタシは6年生の春からスタート
小学校で習う算数とは全く別物の算数に夜な夜なチャレンジするものの
初めての模試で2点からのスタート
幸いほのぼのとした両親は「一つ解けたならよかったじゃん」「2点、2といえばアヒル、がんばれ」と前向きなエールを送り続けてくれたおかげで、自宅からは比較的通いやすい私立の女子校に合格した
このころから、徐々にずれてはきているが
目立ちたくないという性格は変わらないはずが
中学1年生のときの担任の言葉でかわる
担任もワタシの言われたら断れない性格を知っていたのか
「生徒会だれもやらないからやってほしい」
え、誰もいないなら、やってみますと
結局、誰もやらないからということで、会長までやってしまった
目立つから嫌だとかもう関係なく
誰かのためになっているのならいいやという風に変わっていた
進学した女子校の高校は普通コースと進学コースに分かれていて、
進学コースを選択した
ワタシの時代の進学コースは大学受験を念頭に置いていたため
部活動は禁止だった
が、今思えば、世の中、部活動と並行しても大学に進学している人は
山ほどいるのに、なんて措置なんだろうとは思うが、時代は時代である
そしてとにかく勉強したが、ワタシはもともと医療系の大学を目指すも
高校1年の模試であきらめる、そして高校2年の某大学のオープンキャンパスで農学系を目指すように
つまるところ、ワタシは生物が好きだったが、それ以外の理系科目の成績がどうしても追いつかない
とはいえ、国語や歴史に興味が持てなかった
そして高校3年生の校外模試で致命的な欠陥を見つける
校外模試、つまり男子がいる
塾や予備校にも通っていたので、多少の免疫はあると思っていたが
教室に半分程度の男子がいることで、なぜか、成績が落ちた
学校の先生にも「免疫がないんだね」と言われ失笑した
5年間で失われた男子への免疫、自分でも驚きだった
その当時のセンター試験を迎え
前日まで各教科の目標点を定め挑んだ結果
国語の漢文で「2点」しか取れず
思い出される初めての中学受験模試の「2点」スタート
まるで振り出しに戻ったかのようだった
目標の国公立は無理、もう関西圏の私大に行くしかない
両親からは
「金銭的に国公立に行くなら一人暮らししてもいいけど、
私大なら自宅から通うこと」と言われていた
センター試験の点数に打ちひしがれているワタシに、
のほほん両親が急に
「農学系ならここの大学いいんじゃない、〇〇さんが雰囲気がとてもいいって言ってたよ」って、え、東京ですけど
その当時、関西圏で関東地方の願書を見かけることがほとんどなかったので
さて、この時期に願書どうやって取り寄せるのと思っていたら
父が本屋に行ったり、ネット使ったりして、なぜか3部も同じ願書が手元に届いた
高校からは関西圏の主要大学を受けろと
経済学部、薬学部、農学部、今思うとぜんぜん的絞れていないんですけど
と思わずにはいられないラインナップ
結果、みごとに関西圏は落ち、のほほん両親がセンター試験直後に提案してきた大学のみ合格
関西圏には嫌われたらしい
合格通知が来る直前まで、東京の大学にはお金かかるから行かないよ、なんて言っていたが、行くことを決め18で上京した
ワタシが結婚するときに
両親は「18で東京行ったときのほうがさみしかったから、結婚してもさみしいとは思わなかったよ」と
ワタシとしては結婚前夜に拍子抜けしましたが
たしかにね、心配と迷惑かけました
少しずつ、少しずつ理想とは離れていくのですが
上京してからもどんどん思った方向からは離れていくので
目標を定めること自体やめればいいのに
この場所で次はこの目標でやっていこうと考えることを辞められない
しかも、やむを得ない事情、自分ではどうにもならない事情で
目標や立ち位置を変えざるを得ないことが多い
けど、それを受け入れて毎日前を向いて生きていくしかない
日めくりカレンダーの言葉はとてもシンプル
シンプルだからこそ深い
深いからこそ心にとどめておこうと思います