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論語嫌いと「ChatGPTに聞きました!」嫌いの共通点が見えてきた話
おはようございます。
通りすがりの思考大好きメーンです。
以前に、論語が苦手、とお話したのと、先日の何でもかんでもChatGPTに聞くなということを見て、私が「苦手だ」と思ったことが共通することに気づいた話です。
昨日、記事を書いたあと、なぜ、そう思ったのか。
と考えてました。
そして、どちらも同じ現象であるという事に気づいたのです。まぁ、皆様は件名だけでとっくに気付いているかも知れませんが…
この2つの共通点は、「お前が考えてない」。
両方とも
「ChatGPTでこう言ってました!」というスクショを貼ったような報告書であったり、「それ、論語にありました!」と、自分で考えて導き出した答えを、言葉考えた張本人でもない人から軽く言われる。
どちらも、「お前が考えてない」である。
論語に関しては難しいのですが、自分の考えに論語を重ねてさらに考える。これにはあまり嫌とは思わない。むしろ好きな部類だ。
論語の多くは至極当然のことを、改めて偉そうに言ってる、と、個人的な印象としては良くも悪くもない。実質新たに学ぶものはあまりないのだ。
だが、至極当然を考えて行動や考えを述べている時にペラペラのテキストを掲げて「論語にありました〜」は余計な一言オブ・ザ・イヤーである。
わざわざ、そのフレーズを使わずに述べたのに。
まさしく「人の気持ちを考えていない」と、君たちの大好きな論語の逆をいくものだ。
面倒なので「そうですね」で終わらせるけど。
まぁでも、とっ散らかった思考をまとめるのに、そういった本等があると言葉のバリエーションを増やすという意味で良いと思う。
ChatGPTに関しては、文字通り、自分で考えろ。
である。
ChatGPTを使うことは良い。
聞いてみることで、これから何を調べていけばいいのかの指標になることがあるし、多くの言い回しを試し、より伝わるものをチョイスする材料となるのだ。
ただ、言われたことを右から左に流すような行為が好きでない。
せめて、一旦自分の中に落とし込んで、多角的に調べるなどして精度を高めてほしい。
工夫する、とか、考える、が間に入るだけで
こんなにも印象が変わるんだなぁと思ったのでした👋