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自分の写真のジャンル考えたことある?
前回の記事を書いて写真の見方に少し変化が出てきたことメモ。
私はファッション雑誌が好きでファッション撮りたいし作家ぽい写真も撮りたいと思って撮ってるけどそれがジャンルだとも思ってた(間違ってはないと思う)
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写真が普及した時は画家に頼んでた肖像画を撮ることが主なカメラの使い方だったのがそこから旅先で見つけたすごいものや「美しいもの」を撮ったり、あるいは戦争など世界で起きているあらゆる事態を完璧に広める為に(仕事などとして)「コピー」を撮るのと分かれた。
この2つを現代の写真に当てはめてみた。
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APAアワード2024写真作品部門文部科学大臣賞を受賞した黄麗穎さんの作品は「完璧にコピーしたもの」に私は当てはめられる(私の見解100%、異論はありますでしょう)
念を押して言っておくが"誰かのコピー"という意味では全くない。黄麗穎さんの作品の場合自分の心境、生きていて目に見えているもの、状況などの事実のコピー。彼女の人生のコピーで報道写真のようなエッセイのようなご自身の物語を写真にすることで1枚として止まり、8枚の写真によって流れる時があるのかも。
余談、2024APAアワードでは組み写真の受賞が多め。応募も組み写真が多いのかな?
「この写真わからないかも、、、」思っていたものをこの2つのどちらかで更にそれはどんなものなかと考えると自分の狭かった視野が広がることもある。(上記の話がそうだったり、、?)
ファッション写真以外の写真の見方を少し覚えた話でした。
ちなみに私は!私は!!わ!た!し!は!!!
「何でもいいものを撮っている人」は上記の分けた2つには当てはまらない&上手い写真を撮れない人だと思っている。(私はね!?!?!?!?!?)
すごく良い機材で撮っていても、撮った花の名前もわからない、モデルさんの顔もよく覚えてない、どう撮るかなど"撮り方"に意識100%向けている人は、撮っているもの自体に興味が表れてないし、"撮る行為"に酔いしてるだけ(と!!私は!!!!わたしは!!大いに思っています)
( そしてモデルさん(というか被写体活動さん、、?)にも同じことを思います。ポージングに意味がない人も多い )
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