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18才で自立させる方法

息子に会うと、長男でも次男でも、なんて素晴らしい学びの環境にいるんだろうと、わたしもやる気が出ます。

教授、大学の施設、与えられる機会、先輩、友だちなど、つまり「環境」からものすごいものをどんどん受け取って吸収し、その都度、自分を振り返って成長しているのが分かります。

その吸収力は、18年間、「学び取る力」を養い、その自分の器に合わせて測られると思います。器がなければ、どれほど良い環境でも取りこぼしてしまう。

また、それを言葉にできる。投資家であるわたしに「いかに投資が生きているか」のプレゼンといったところでしょうか。

「人はこんなにも成長できるのか」と、毎回、まぶしく見つめているわけです。

わたしは、その根源はどこにあるかというと、細江町の田んぼや川、山、子どもしか知らない路地裏、使われていない倉庫、乗り捨てられた廃車など、子どもが子どもであることが保証された、とめどなく自由な時間と空間であっただろうと思うのです。

わたしの息子たちは、ちっとも宿題をやらず、成績も良くなかったけれど、10匹もの亀が集団でどこで甲羅干しをしているかは知っていました。かまきりに寄生したハリガネムシが、水場を求めて出てくることも知っていました。遊んでいてお腹が空いたらノビルを食べられることを知っていました。

絶対に詰め込まれた知識の断片ではない。

わたしはそんなことは1ミリも子どもに強制しなかった。結果を求めたことも一度もなく、成績や宿題に文句を言ったこともありません。

だから、本当にやっきになって、どんどん低年齢化していく学習塾や受験戦争を見るにつけ、「違う、違う、今も昔も変わらず、学びの根源は自由な遊びだよ!好きなこと、やりたいことをとことんやる時間と空間をあげて、サポートしていれば、子どもは勝手に伸びていくんだよ。どんな子でも、18年も続けていれば、その道の日本トップクラスになることが可能なんだよ」と本当に声を大にして言いたいのです。

息子たちが細江町で培ったものは、受験に合格する知識や技術なんていうものは、本当に一過性のテクニックであって、入学後に「いかに学ぶか」という生きる力だったと思うのです。

そして、そのもっともっと根源はどこにあったかというと、0才〜2才の間に、「眠い」「お腹すいた」「面白い」「怖い」「見たい」「聞きたい」という、「生きようとする本能」だったと思います。

「生きねば」という本能がやがて「いかに生きるか」という探究心になり、「よりよく生きたい」という欲望になる。

そのプロセスを、自然な子どもの発達に即して、たっぷりと味わい体験しながら過ごさせることが、本当の「教育」だと思っています。

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