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レッスンをやらないけど参加はしてる子


2011/04/21 やらない子

年中クラスちゃん。5月から年長クラスになるので、仕上げとして、やり残したワークをやってる。さっさと出来る子、本の該当ページを開けることすら精一杯の子、いろいろ。

使う本を椅子の上に置いて、使わない本はページを開いて椅子の下に置いておく、というのは、子どもたちが考えたシステムだ。

一人、かたくなにレッスンをボイコットしてる子がいる。私のお尻の周りにずーっといて、ペシペシ叩いて、「先生のお尻、でか!」とか言ってる。

先週も何もやらなかった。ときどき、わたしがからかって面白いことを言うと、その子もみんなもゲラゲラ笑う。

今日も何もやらなかった。やらなさ加減に飽きて来たわたしは、先週ほどはかまってやらなかった。相変わらず、お尻の周りにいる。別に気にならないので、そのままにしとく。

ワークのページを開くとき、「ねえ、誰か、Aの分も用意しといて。やりたくなったらすぐにできるように。」って言ったら、バッグから本を出し、該当ページを開き、いつでも書けるように用意してる。

でも、やらない。次のページに進む。誰かがAの教本のページもめくってやる。

でも、やらない。終わりの時間になった。誰かがAの本もバッグにしまい、椅子も片付ける。

でも、やらない。何もやらずにレッスンが終わり、それでいて、最後に手をつないでサヨナラのご挨拶をするときは、率先して私の横に来る。みんな、私の横に来たいのに。

この間、誰も文句を言わない。何もやらないAも、立派にやり遂げた子も、同じように手をつないで「さよなら。」って帰って行く。評価が伴わない子ども社会というのは、こういうものだと私は思う。

私は、心から、このAの言動が、他の子にとっての学びになると思っている。それは、「やらないAのために、助けてやった。」という、薄っぺらい学びじゃなくて。

Aが自分のやりたいように、頑なに行動する。怒られるかもしれない、先生にダメな子ね、って評価されるかもしれない、その恐れをものともせず、自分の好きなように行動する。このまま、レッスンをボイコットし続けたらどうなるんだろう?

私も興味がある。みんなも興味がある。「あぁ、こうなるのか。」ってことが起きたとき、その経験はみんなのものになる。私はそのとき、「Aさんのおかげで。」って思うと思う。

だから今、Aの本を開いてあげる子の方が、Aより偉いって思わない。手が空いてる人が手助けをする。Aが反抗を貫くための。みんなでAを応援する。「そのまま貫いたら、いったい、どうなるの?」って。

それを見せてもらう。Aが体を張って。みんなが手助けしてくれるおかげで、私は、じっくりと、こういうとき、Aの心に何があるんだろう、って観察できる。

きっと、この体験は、今後の私の指導に大きな影響を与えるに違いない。これが、本当の、みんなで作る社会だと、私は思う。

昨日やったのは、鍵盤の絵の中で、「ドはどれ?」みたいなことだったのだけど、これだけのことを貫けるAなので、一回くらいそれを飛ばしたからといって、反抗を貫くほどの大きな経験にはならないだろう。

2024年現在、今だったらどう考えるか

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