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22夏旅行記⑤ 一路、東へ 憧れのイスタンブール

1.国境の長いトンネルを抜けるとアナトリアであった

 ソフィア〜イスタンブール間の夜行列車は、2人部屋のクラスをとっていた。諸々込みで70レフ、日本円で5000円くらいだ。相部屋の客と特に会話が盛り上がることもなく、ひたすらビールを飲んで、やっと浅い眠りについたかと思えば車掌に叩き起こされ、パスポートを集められる。出国審査だ。しかし審査は待てど暮らせど終わる気配がなく(そりゃあ乗客全員分は時間がかかるだろうが)、結局パスポートを返されたのは1時間以上経ってのことだった。再びまどろみの海に入るが、すぐに入国審査のために叩き起こされる。
 列車を降りて入国審査場に入り、一人ずつ荷物を検査したあとパスポートコントロールを済ませる。結局すべてが終わり、再び安眠に戻れたのは朝の4時だった。最初に起こされたのは1時前だったから、まったく安眠とは程遠い旅であった。そんな睡眠不足の不機嫌も、窓の外に広がる景色を見た瞬間に全てが吹っ飛んだ。

 いい天気だ。イスタンブールのハルカリ駅に到着したのは、定時より遅れての9時過ぎだった。ハルカリ駅から中心部まで移動するには、マルマライという電車に乗る必要がある。しかし、ハルカリ駅でその切符を購入することは出来ない。イスタンブールカードというものを作り、そこにトルコリラでチャージをしてから乗らなければいけないのだ。
 だが、これは慣れない旅行客にとってはかなり難しく、多くの旅行客が手こずっていた。しかも、ハルカリ駅と周辺にはATMや両替店もないという不親切なしくみで、結局は窓口に並んで両替するはめになった。このルートでイスタンブールに入る旅行者は、少額でよいのでトルコリラを事前に両替しておくとスムーズだと思う。当局はこのオペレーションをなんとかするべきだ。

 マルマライから地下鉄に乗り換え、ホステル近くの駅で降りる。イスタンブールはアジア側とヨーロッパ側に分かれており、さらにヨーロッパ側は金閣湾を挟んで新市街と旧市街と区別されている。有名なブルーモスク、アヤソフィアなどに観光地は旧市街側に位置するが、やはり観光地、ホテルや食事の相場はアジア側に比べると高くなる。今回は旧市街の1泊2000円ほどのホステルを取ったが、長期滞在するならアジア側がいいだろう。
 地上に出ると、ソフィアの整った様子とはうってかわって、雑多な街並みが一気に広がっている。まさに文明の交差点、いやスクランブル交差点といった情報の波である。トルコの戦勝記念日である8月30日が近かったことから、街には赤い国旗がいくつも掲げられていて、青空とのコントラストが美しい。心の中で叫ぶ。アチキはついに、あの憧れの、イスタンブールに、来た!

KFCのバイクがあるね

 ホステルに荷物を置き、好意に甘えて朝食も食べさせてもらい、まずは近くのシェザデ・モスク(Şehzade Cami)を軽く見学したところ、警備員の男性に30分ほど捕まってしまった。セクハラか善意か微妙なラインだったせいで断り切れず、さっそくトルコの洗礼を受けることとなった。イスタンブールに限らず、トルコで若い女性はとにかく絡まれる。ダミーの結婚指輪を用意するべきかもしれない。本物が欲しいものだ。シェザデ・モスク自体は、スレイマン1世が早世した息子のために造らせたもので、ミマール・スィナンの設計というだけあって立派で美しいものだった。

 気を取り直して、定番観光地の一つであるスレイマニエ・モスクへと歩く。スレイマニエ・モスクはその名の通り、スレイマン1世がミマール・スィナン設計で建設したモスクで、オスマン建築の最高峰ともいわれるモスクである。まず、巨大だ。天井も高く、これまで見てきたモスクと比べると圧倒的な迫力がある。大ドームは53mほどの高さがあるという。

 モスクの広大な敷地内には多くの付属施設があるが、その中でも一番の目玉は、スレイマン1世の墓だ。モスクの横に霊廟があり、その中にスレイマン1世らの棺が並べられている。モスクと比べると小さな建物だが、壁にはイズニクのタイルが使われているらしい。ドキドキしながら靴を脱ぎ、霊廟の中に入る。あのカーヌーニー、壮麗帝スレイマン1世の亡骸が、時を超えていま(棺を隔てて)目の前にいるのだ。一介の歴史好きにとっては、その事実だけで、言い表せぬ感動が湧き上がってくる。イスタンブールってとんでもないところだ。
 隣にはスレイマン1世の妻ヒュッレムの霊廟もあったが、こちらは鍵がかかっていて見ることはかなわなかった。

カーヌーニー(立法者)・スルタンと書かれている
スレイマニエ・モスクから新市街の方を望む

 スレイマニエ・モスクから金閣湾の方へ降りていくと、雑多なバザールがずっと広がっている。この日はあまり気合を入れて回るつもりはなかったので、ぶらぶらと散策がてら、事前にピックアップしていたリュステム・パシャ・モスクに入ってみる。このモスクの入り口は商店街の中にあり、とても分かりにくい。大きさで言うと先ほどのスレイマニエ・モスクには劣るが、リュステム・パシャ・モスクも同様にミマール・スィナンが設計したものである。リュステム・パシャはスレイマン1世の大宰相をつとめ、スレイマン1世の娘とも結婚した人物らしい。このモスクが有名な理由は、内部の青さにある。

青と赤と白

 内部はイズニクのタイルで埋め尽くされていて、他のモスクと比べても断然青色が印象的だ。青の美しさという点では、あのブルーモスクにも勝る。
 たっぷりタイルを堪能したあと、スパイスの香りで包まれるエジプシャン・バザールを抜け、ホテルやおしゃれなカフェが集まる旧市街の端の一角まで歩いてみる。この辺はとにかく観光地価格のカフェばかりだ。

くまたちが拷問されている

 さすがにここまで来れば脚もパンパンになってしまい、観光地価格のケバブを食べて遅い昼食にしたあと、ぼちぼちホステルに帰ることにした。イスタンブールの街はいくらでも歩けるような気がするが、坂も人も多いのでどっと疲れが襲ってくる。ソフィアの街は比較的静かだったから、なおさら喧騒に圧倒されてしまった。
 イスタンブールの旧市街の中でも、いっとう好きなところがある。大きな通りから一本入ると、下り坂の向こうに海がある。旧市街は丘のような斜面になっているから、金角湾やマルマラ海を行き交う船も遠くに見えるのだ。坂と海のある街というのは、とにかくロマンにあふれている。

2.旧市街スルタン・アフメトを歩く  

 ホステルで最高の朝食をとったあと、気合を入れてイスタンブール一番の観光地スルタン・アフメト地区へと向かう。早起きしたのには理由がある。大観光地であるトプカプ宮殿は、朝一で行かないと観光客であふれてチケットを買うのにも一苦労(らしい)なのだ。おまけにツアー客も来るわけで、その混雑ぶりを考えると頭が痛くなる。

他にも大量の果物、チーズ、ベーコン、ポテト、スクランブルエッグがある おいし~~~~

 ホステルの最寄りの駅Laleli-Üniversiteから、路面電車のトラムヴァイに乗ってトプカプ宮殿の最寄りGülhane istasyonuまで向かう。ちょうど通勤時間だったせいで、車内はとにかく一杯だ。日本ならまだしも、海外で満員の公共交通機関に乗る際は、押しつぶされそうになりながらもバッグを死守しなければならないのでピリピリする。スリは全員殺す!
 イスタンブールのトラムヴァイは個別でチケットを買えず、事前にチャージしたイスタンブールカードでないと乗車できないので、忘れたり落としたりでカードを持っていないと一苦労だ。カードの発行も面倒なので、前の人にお金を渡して二回分タッチしてもらい改札に入れてもらう、という光景が時々みられる。
 
 チケット売り場に着いたのは9時半ごろだったが、まだ人は少なくサクサクとチケットを購入できた。チケットはハレムへの入場料もあわせて、420トルコリラ(なんと2021年はじめは100リラで1400円程度だったらしい)で日本円にして3500円くらいか。高い!と思ったが、こればかりは仕方ない。  
 トルコリラの下落はすさまじく、2015年時点では1リラ50円を上回っていたにもかかわらず、本記事を書いている時点では1リラ6.8円という数字である。しかし物価自体はあがっているし、観光地の入場料もすごい勢いであがっていくため、イスタンブールに限らずトルコ中の遺跡で料金の改正が追い付いていない様子がみられた。

「挨拶の門」、横にはギュルハネ勅令が出されたギュルハネ庭園がある

 オスマン帝国のスルタンの居城であるトプカプ宮殿は、15世紀後半、第7代スルタンのメフメト2世の治世下で造営された。宮殿にはさまざまな見どころがあるが、最もすばらしかったのはハレムだった。
 ハレムはスルタンの母や夫人、またスルタンの子供や宦官らが住まう場所であり、激しい政治闘争が行われる場所でもあった。トルコ版大奥、とも言えるだろうか。特に有名なのはスレイマン1世の夫人ヒュッレム・スルタンで、スレイマン1世の後継者争いに強く関与したことが知られている(この記事を書くために調べて初めて知ったが、ヒュッレムは当時のポーランド帝国の出身であり、奴隷からさまざまな策謀を巡らせ立身出世したらしい。転生成り上がりモノ?)。
 ハレムを題材にした物語としては、『オスマン帝国外伝~愛と欲望のハレム~』なんかも有名だ。という知識をなんとなく頭に入れておいたおかげで、ハレムの豪華さ以外の部分にも思いを馳せることができた。

 ハレムには400以上の部屋があるらしく、観光客が入れるのはその中でも一部である。その中には宦官たちの控室、女官の部屋やスルタンの母が使用した当時のサウナもあった。ここでととのうことはできたのだろうか。どこも青やターコイズ色を基調としたタイルで壁が飾られていて、模様に次ぐ模様で目が忙しい。一つ一つ見ていたらいくら時間があっても足りないな。

タイルたち
この日着ていた服と壁のタイルが似ていた

 ハレムの中には礼拝堂もあり、ここは青色というよりも緑色が基調となっている。イスラームでは緑が最も聖なる色だとされているのだ。ミフラーブ(メッカの方向の壁に設けられる聖龕)をよく見ると、メッカの様子が描かれている。黒い箱はもちろんカアバで、その周りを取り囲むアーチと横に立つ細長い塔はミナレットというふうに、メッカのマスジド・ハラームが忠実に描かれている。当然のことかもしれないが、現在のメッカの姿とたいして変わらないことに驚いた。

上にはおそらく聖句が書かれている?

 ハレムで最も豪華な部屋である「皇帝の広間」には、楽師たちの演奏スペースや寝転がれそうなソファーがあり、豪華絢爛という言葉がぴったりだが、とてもではないが落ち着けそうな感じはない。当時ハレムにいた女性たちは心休まることがなかっただろう。いつ寝首をかかれるかわからない暮らしだ。いくら権力を持ち豪華な生活ができたとしても、普通に嫌すぎる!

 また、中庭に面した立ち入り禁止の部屋を覗いてみると、美しいステンドグラスが施してあった。ここはいわば「鳥かご(カフェス)」と呼ばれた部屋で、スルタンの後継者争いに敗れた王子たちが軟禁された場所である。
 かつてオスマン帝国では反乱を防ぐために、スルタン即位後にほかの兄弟を皆殺しにするという習慣があったことは有名だ。しかし、皆殺しにしていてはスルタンが夭折した際の後継者がいなくなるというデメリットがあり、17世紀始めのアフメト1世の即位時に皆殺しは廃止され、この「鳥かご」制度になったという。倫理面はともかく、確かに効率的だ。閉じ込められた王子たちにスルタンの位が回ってくる可能性もあったが、やはり精神を病んでしまった王子もいたらしい。いくら綺麗な部屋でも、こんなところにずっといたらそりゃ気が狂うだろう。

金網のせいで「鳥かご」感が増している

 結局ハレムにかなり長居してしまったが、一番印象的だったのはその暗さだった。それは物理的な暗さでもあって、ハレムは構造上あまり光が入らず、中庭以外は薄暗い部分が多かった。窓のある部屋が少ないのだ。それも相まって、ハレムにはずっと独特の重苦しさが漂っているような気がした。ハレムを出た時、どこか解放されたような感覚になった。

 ハレム以外の宮殿内も見どころが多く、宮殿奥のテラス部分には「キオスク」がある。キオスクって売店じゃん、と思うのだが、もとはトルコ語であずまやを指す言葉であり、その通り休憩所のような小部屋がいくつかある。ムラト3世のバグダット再征服を記念したバグダット・キオスク、またアルメニアへの勝利を記念したエレバン・キオスクと都市の名前が冠されていて、中の意匠の違いも面白い。

第四の中庭

 トプカプ宮殿の目玉のひとつ、絢爛豪華な宝石や聖遺物たちが収められた宝物庫も楽しみにしていたのだが、おそらく閉鎖されていたようで見ることはかなわなかった。といっても、自分の確認不足で見逃していただけの可能性も大いにあるが、もしそうだったとすれば随分損した気分になるため、考えないことにする(この翌日21万円を失いますよ!)。

 昼前に見学を終え、スルタンアフメト広場まで歩く。スルタンアフメト広場を挟むようにしてアヤ・ソフィアとブルーモスクという二大観光地が聳えるため、広場には屋台も出て賑わっている。昼食は適当に屋台のパンで済ませて、まずは大行列のアヤ・ソフィアに挑むこととする。荷物検査を済ませ、有料のペラペラの使い捨てスカーフを買い、やっと入場する。

行列から撮った

 アヤ・ソフィアはもとはビザンツ帝国時代の大聖堂であり、それをモスクに改装して転用したことから、他のモスクとはまったく違った色彩と装飾が施されている。本記事を書くために写真を見返した際、ドームとドームの間のリブの部分に、熾天使セラフィムの大きなモザイク画が残っていることに気づいた。

 アラビア文字が書かれた丸いプレートには、アラー、ムハンマドと正統カリフの名が配されている。左から二番目がムハンマド、その右隣がアラーだ。また一番右はおそらく初代カリフのアブー・バクル、一番左は第2代カリフのウマルの名が描かれている。こういうアラビア語、現地でパッと読めたらいいんだけどな。
 アヤ・ソフィアは2020年まで博物館として扱われていたが、現在はモスクとなっているため、観光客が多いとはいえ礼拝を行う人々の熱気はやはりすごい。独特の重厚な空間に浮かぶリングライトは、通常のモスクで使われる大きいものとは異なるが、光の輪がいくつも浮かぶ光景は天使の輪を連想させ、幻想的だ。

 アヤ・ソフィアを見終わった後は、間髪入れず反対側のブルーモスク(スルタンアフメト・モスクという正式名称があるのだが)へ向かう。ブルーモスクは修復中で、一度に入れる人数が少ないのだろう、そこそこ待ったあとやっと中へ入ることができた。内部には足場が組まれていて、思ったよりも「工事中」という感じが強く、正直なところ入らなくても良かったかな、と思った。しかし、足場の隙間から見える部分だけでも、とんでもなく緻密な装飾が施されていることがわかるのだから、通常時はさぞ圧倒される光景なのだろうなと感じた。まあ、修復が終わったらまた訪れるということで。

ぞっとするほど緻密なアラベスク

 ブルーモスクを見終わったあと、いわゆる「映え」のスポットにも行こうと思い、チェックしておいた近くのレストランへ向かった。このレストランの屋上の一部は無料で開放されていて、鳥にフォークで餌をやる(?)良い感じの写真を撮ることができる。ブルーモスクは広場からだと、木で遮られてよく見えない。しかし、ここはブルーモスクもアヤ・ソフィアも海もばっちりと見える一等地なのだ。ありがたく良い感じの写真を撮ったあと、休憩がてらジュースを注文したが、全然冷えていなかった。

これでウチもインフルエンサー

3.新市街カラキョイを歩く 

 旧市街をたっぷり観光したが、日没まではまだまだ時間がある。金閣湾を挟んで、新市街側のカラキョイにも足を伸ばすことにした。金閣湾にかかるガラタ橋をトラムヴァイで渡り、新市街の一番有名なスポットであるガラタ塔へと向かう。Google Mapのルートに従うと、地元の住民ばかりのとんでもない坂道を提案され、ヒイヒイ言いながら上った。しかし、途中で結婚式を挙げている夫婦に出会い、いい気分になった。
 ガラタ塔の周りは、いかにもヨーロッパといった雰囲気のカラフルな建物が並んでいる。建物だけ見ればフランスかどこかにいるようだ。

入場料たっけ~のなので塔には上らず
ナショナリズムがすごい

 ガラタ塔の周りを散策した後は、新市街の最も賑わう通りであるイスティクラル通りへと向かう。2022年11月にはここでテロが起き、6人が亡くなったことは記憶に新しい。自分が海外旅行に憧れを抱きはじめた2015,16年前後も、トルコで大規模な爆破テロが続き、「トルコは危ない」という雰囲気があったことを覚えている。自分が訪れた場所でテロが起きたと考えると、やはり悲しい気持ちになる。

 イスティクラル通りには、ノスタルジック・トラムヴァイという赤い路面電車が走っている。走る距離も短いので、観光用の意味合いが強いのだろう。イスタンブールの写真でもよく使われる電車だ。
 通りの端にあるタクシム広場まで行こうかと思ったが、足がもう限界に近かったため、ソフトクリームを食べて帰ることにした。そのとき目の前で子供が、さっき受け取ったばかりのソフトクリームを全部落としていた。かわいそうに。

 今度は徒歩でガラタ橋を渡り、旧市街側へと戻る。夕焼けがきれいだったので、屋台で焼きとうもろこしを買い、その辺の階段に座って金閣湾を眺めながら食べる。日本のとうもろこしとは違ってあまり甘くないが、安い割にはおいしい。これが幸せということなんだな、と柄にもなく思った。この時間は、旅行中で一番幸せなものだったかもしれない。

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