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22夏旅行記⑦ 砂埃のカッパドキアで痛む足首を引きずる

1.愚者、ふたたび
 
 カイセリ行きのバスの休憩のころから、足首が痒いような、痛いような感覚がする。さては南京虫かと思ったが、どうもその痛みは強くなっていく。別の虫刺されがあったせいで、南京虫かと勘違いしただけだった。特に心あたりは無いが……、いや、そういえば2日ほど前に、ホステルの二段ベッドの上段から降りるのを盛大に失敗したのだった。そのときに足首をひねったのだろう。その場は特に痛みが残らず忘れていたが、歩いたことで後から痛みが出てきたのかもしれない。クレジットカードの件にとどまらず、足首まで痛めるとは。トラベルはトラブル、とはよく言ったものだ。

 カイセリのオトガルに着いた頃には、もはや痛みは無視できないほど強くなっていた。これでカイセリ市内を観光する元気もないし、悪化したらたまらない。仕方なくギョレメ行きへのミニバスに乗り込む。ただ無為に遠回りしただけであった。
 カッパドキアの中心となるギョレメは、「ギョレメ国立公園とカッパドキアの岩石遺跡群」という名前で世界遺産に登録されているように、まさに国立公園の中にある小さな町だ。当然ながら観光で成り立つ町なので、町には奇岩をくりぬいてできた洞窟ホテルやレストラン、土産物店などが立ち並ぶ。ひたすら荒涼たる岩石の風景が広がるだけあって、とにかく砂埃が立つ。そこらじゅうで水を撒いている。

 バスから降りてすぐに薬局を探して駆け込む。翻訳で足首を痛めたと伝え、塗り薬と足首を固定するサポーターを見繕ってもらった。ギョレメで宿泊したホステルでは、たまたま二段ベッドではなく、小さな個室のようになったスペースに泊まることができた。足首の痛みを考えると、二段ベッドを昇り降りするのは絶対に辛かっただろう。
 時間がもったいないが、とにかく安静にするしかないと判断し、歩き回らずホステルで寝ることにした。へたに動いて悪化するのが一番最悪だ。

牢獄?

 結局ホステルで昼寝したあと、匿名ラジオのイベントのアーカイブを見た。どちらにしろ痛くて無理だったとはいえ、出歩かず安静にしたのは正解だったと思う。

2.朝日と気球とエロ奇岩

 2日目の朝、日の出前に目覚ましをかけて無理やり起きる。カッパドキアを訪れる多くの人は、奇岩の上に浮かぶ気球の風景を見るために(あるいは気球に乗るために)、朝早く起きることだろう。気球はギョレメの町からも見えるが、高台に上がったほうがずっと綺麗だ。痛めた足首への不安を抱えながら、なるべくゆっくり坂道を歩く。町を見下ろすと、朝日が白味を帯びた奇岩をバラ色に染め上げていた。

 ビューポイントに着くと、すでに空はオレンジ色で、徐々に朝日が姿を現していく。カッパドキアは「せっかくトルコに行くのだから」といった、わりと消極的な気持ちで旅程に組み込んだ場所だったが、やはり朝日と気球のコントラストはすばらしい景色で、ここまで来たかいがあったと思った。

 気球も一つ一つ違った色や模様で、見ているだけでも楽しい。たいていの気球は町より少し離れた場所から上昇するのだが、たまにビューポイントの近くに降りてくる気球もあったり、気球同士が近づいたりして、ぶつからないのか心配になる。日が昇るにつれて、次第に気球たちが降下していく。夜明けから1時間ほど経つころには、無数にあった気球は数えられる程度にまで減っていた。

 それはそうと、まだ足首が痛い。仕方ないので、この日もホステルに戻ったあと寝ることにした。ついでにホステルの共用部分でオンライン会議にも出席する。ホステルの近くに小さなスーパーがあったのが救いだ。

ギョレメも猫が多かった。可愛すぎるね

 3日目の朝、塗り薬の効果があったのか、足首の痛みは随分改善されたような気がする。無理をしなければもう歩いても大丈夫と判断した。ただ、カッパドキアのハイライトの一つ、地下都市に行くのは諦めた。坂道ならまだしも、階段が怖い。この日は、ギョレメから15分程度のパシャバーPasabagへ向かった。もちろんサポーターはつけたままだ。

猫はチケット買わなくてもいいよ

 パシャバーは「妖精の煙突」ともよばれる、独特の形をしたキノコのような岩が立ち並ぶ場所で、ある程度歩く必要はあるものの、アップダウンや階段は少ない。無理して地下都市に行かなくてよかった。
 さて、このパシャバーの景色だが、「妖精の煙突」やらキノコ岩だの言うが、どう見てもエロい形の岩だらけだ。また、別エリアにはLove Valleyというスポットがある(もちろん名前の由来は……)ことからも、国は違えどみな考えることは同じなのだな、と感じる。いろんな意味ですごい景色であることは間違いない。

 雑念にかられながら歩いていると、いくつかの岩は内部をくり抜かれ、空間がつくられていることに気が付く。かつてはイコンや彫刻が施されていたかもしれないが、他の野外博物館と比べるとあまり保存状態は良くないため、ほとんどは装飾のない部屋が残されているのみだ。しかし、こんな奇岩の中に人間が居住していた痕跡に触れるだけでも、改めてその事実に驚かされるには十分だった。

 カッパドキアはローマ帝国下、また数世紀後にはイスラーム勢力下においてキリスト教徒の隠れ家となり、多くの地下都市や岩窟教会が造られたのは有名な話だ。また、近郊のカイセリは中部アナトリアで最も大きな都市で、現在は敬虔なムスリムが多いものの、キリスト教において重要な位置を占める場所でもあった。かつてのカッパドキア教区がいかに重要な地域であったかは、教区から三人のギリシア教父が輩出したことからも窺える。
 カッパドキア三教父と呼ばれるカイサリア(つまりカイセリ)のバシレイオス、ナジアンゾスのグレゴリウス、ニュッサのグレゴリウスは、アリウス派とアタナシウス派間で論争が生じた4世紀のキリスト教世界において、論争の終結をもたらした人物であるという。彼らは正教会とカトリックにおいて聖人とされ、特にバシレイオスとナジアンソスのグレゴリウスは現在も、正教会で強く畏敬をうけている。また、後者のニュッサのグレゴリウスは特にギリシャで崇敬されているらしい。
 このような神学論争や聖人について知らなくとも、かなりすごいキリスト者が三人も出たという知識だけで少し見え方が変わってくるような気がする。少なくとも、とにかく何もない奇岩だらけの風景の中に、かつて存在した文化的営みを想像することができる。

 パシャバーの後は、ギョレメの北側、国立公園の外に位置するアヴァノスAvanosという小さな町を訪れた。陶器が有名で、それ以外は特に観光するものもない町だが、どうせ他に訪れる場所もないし、無性にスタバが飲みたくなったのだ。スタバでチョコクリームフラペチーノを飲んだ。

3.世界の果て、そしてエーゲ海へ

 カッパドキア最終日、朝焼けと気球を見に行こうかと思ったが、惰眠を選んでしまった。一泊目で見られたことで満足だ。この日は夜行バスでカッパドキアを離れ、はるか700キロ以上離れたエーゲ海沿岸まで移動する予定だった。ギョレメ中心のバス会社でチケットを購入し、点在する観光地を結ぶ大型バスに乗り込んで、今度はウチヒサールという場所へ向かった。
 ウチヒサールはちょうどパシャバーの反対側、ギョレメの南側に位置する。トルコ語で「ヒサール」は城塞を表す。また、「ウチ」は「3」だから、三つの城塞といった意味を持つ。その名の通り、ウチヒサール城は巨大な岩をくり抜いて築かれ、その始まりはヒッタイト時代までさかのぼるという。まるで世界の果てのような景色だ。

野生のトイレがあった

 城のそばの高台に立つと、はるか遠くまで続く大地と岩石の凹凸を一望できる。ずっと眺めていても飽きない光景だ。ウチヒサール城の周りにはレストランや商店が並んでいるが、岩の間を渡るようにして歩くと、奇岩をくり抜いて造られた小さなカフェ(Yanalak Kafe)にたどり着いた。おそらく家族経営なのであろう、年老いた女性が出てくる。奇岩の上で絶景を独り占めしながら飲むチャイはすばらしかった。女性の孫だろうか、小さな男児にもらったサシェを見るたびに、本当によい場所だったなと思い出す。

カフェの外観もすごい

 かなり治ったとはいえ、足首にはまだ不安が残る。夜行バスに乗ることを考えても、あまり汗はかきたくない。早々に観光を切り上げて、ギョレメの町へ戻った。ホステルの近くのソファーで、きょうだい猫が3匹もまとまって寝ていた。カッパドキア滞在中に何回か見かけ、一方的とはいえ親しみを感じていた猫たちだ。お前たちにまた会えるといいなぁ、と心の中で声をかけて、早めの晩ごはんを食べにいった。

 ギョレメは観光で成り立つ町だから、当然レストランもそれなりの価格帯の場所が多い。その中でも、ギョレメの中央バスターミナルの裏手にあるchubby meatballsでは、比較的リーズナブルにケバブやキョフテ(ハンバーグみたいなもの)が食べられて、しかもパンもついてくる。こういった店の存在はありがたいことだ。

二日連続で行った

 イズミルへの夜行バスは、Lider Elbistanという聞いたことのない会社が運行するものだった(複数の会社を扱う窓口だったから、チケットを渡されるまで分からなかったのだ)。まあ3列シートだからいいか、とバスに乗り込む。しかし、席に取り付けられた下向きの充電口を使おうとすると、コンセントがどうも固定されずにすっぽ抜けてしまう。しかたなく足でコンセントを支えながら、モバイルバッテリーが満タンになるのを待つ。

 バスが走り出して数時間後、トルコの夜行バスは運転手とは別にサービス用のスタッフがいるのだが、そのスタッフがブランケットを取り出し、バスの通路に敷いてぐーすか寝始めた。こういうのってアリなんだ。ともあれ、朝になるころには、また知らない街に着いているはずだ。砂埃だらけの町に数日いただけで、もう海が恋しい。まだ見ぬエーゲ海へ思いを馳せながら、そして不正利用に気づいて愕然としながら、狭い座席で眠りについた。

チョコドリンク、イチミノ?


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