見出し画像

紅葉散り 酒飲み干せば 冬近し

我が酒樽

「まずは、ビールと行きますか。」
「そうだな。」
「ア、俺はノンアル。」
「エ、どうしたの。」
 久しぶりの飲み会。集まった5人の内でも1番の酒好きYが、ノンアルを所望。4人の目がYに集中。

「体の調子でも悪いのか。」
「イヤー、酒を受け付けないと言うか、飲むと後で気分が悪くなるので。」
「そりゃ困ったね。」
「それがさー、飲みたいと思わないんだなー。」
「へー、お前がねー。」

 自分も最近、酒量がとみに落ちたが、毎日、日暮になると酒が恋しくなる。飲みたいと思わなくなったら、お終い。1日の楽しみが無くなっちゃう。何を楽しみに生きて行けば良いのか。想像しただけで、寂しくなる。

『ちかごろは、まったく酒を飲まなくなった。いや、飲めなくなった。
秋が来て、木の葉が黄色になり落ち葉するように、自然に、いつの間にか、飲めなくなったのである。』

 これは、山田稔のエッセイ集「生命の酒樽」に紹介されている、某大学教授、晩年の言葉である。教授の心境は、Yと同じだろうか。
 教授は、『人にはそれぞれ、神様が与えてくれた酒樽がある。自分は、それを飲み尽くしたのであり、満ち足りた気分である。』と結んでいる。

 Yの「飲みたいと思わないんだなー」も、教授の「満ち足りた気分」も、本音だろうか。両者とも、負け惜しみなんじゃないのか。酒飲みが、そんな潔いとは、俄かに信じ難い。

 神様が酒樽を授けてくれているとすると、私の酒樽はいつ尽きるのだろうか。いずれその時が来るに違いない。一滴も残らず飲み干した、その時に、寂しさを味わうのではなく、「満ち足りた気分」になれたら、人生最高だがなー。

(2024.11.16)

いいなと思ったら応援しよう!