リュック背負い 往き交う人よ どこ目指す
我が家の前の道は抜け道になっていて、道幅が狭い割に車や人の往来が多い。朝夕の通勤・通学の時間帯には車と歩行者に自転車が加わり、老人は歩くのが憚られるような状態になる。朝も9時台になり混雑が治まる頃、幼稚園とデーサービスの送迎バスが相次いで通る。バスの窓越しに幼子の笑顔を見るのは楽しいが、老人の虚な表情を見ると陰鬱になる。
10時頃になると老人の出番だ。春になって暖かくなったからか、長引く外出自粛に飽きたからか、最近老人を見かけることが増えたように感じる。北から南に、南から北に、往く方向はマチマチだ。姿は似ていて大半が帽子を被り、スニーカーを履き、小さなリュックを背負っている。時間からしてハイキング等の遠出のようには思えない。かといって近所を散歩している風でもない。一体、何をしに何処に往くのだらう。
自分も退職した当初はとめども無く、ひたすら歩いていたことを思い出す。バスで行っても40〜50分かかる吉祥寺まで、春・秋の晴れた日には1時間半くらい掛けて徒歩で出かけた。今にして思えば退職したての10年前は、まだまだ若く、元気を持て余していたのだろう。吉祥寺に行って何をするわけでもなく、街をブラブラしてからバスに乗って帰ってきていた。元気だっただけでなく、時間の使い方にも困っていたような気がする。
我が家の前の道を行き交うリュックを背負った老人は、きっと私の10年前の姿なのだろう。私より10歳若い団塊の世代の最後尾組が昨年65歳を超えたことからすると、この推測は当たらずとも遠からじだろう。団塊の世代は何せ人数が多いので、何をしても目につき易い。我が家の前の道に限らず、郊外の住宅地沿いの道では同様の風景が見られているに違いない。
元気に歩き回る老人も5年もすると、家の周りの散歩でことたりるようになる。そしてやがてはデイサービスのバスに乗ることになる。自分もその道程の真っ只中にいるのだが、3番目のステップは勘弁願いたい。