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国敗れ 再び興る 走馬灯

 98歳の母が足を骨折して入院した。高齢で手術に耐えられるかどうか心配したが、無事手術を終え2週間程で退院できることになった。母は至って健康で大きな病気に罹ったことはないのだが、骨は弱いらしくてこれが4度目の骨折である。年齢をとると一般的に骨密度が低下して骨折のリスクが高まるが、その傾向は男性より女性に顕著だとされている。この説に従えば、母の骨折も女性には起こりがちのことと言えるかもしれない。

 母は昭和21年に私を、24年に弟を産んでいる。戦後の食糧難の時代に2人の子供を産み育てたことによってカルシュウム不足になり、それが骨の弱さに繋がっているとみれなくもない。母は戦争の時代に結婚し、戦後の貧困の中で子育てをした強い女性だと言えるが、気づかない内に骨に弱みを抱えていたのではないか。つい先日77回目の終戦記念日を迎えたが、母の骨折と時期が重なって、子供の頃に目にした戦争の痕跡が目に浮かんできた。

 私が生まれてから10歳になるまで育った福岡の家の庭にあった防空壕。家の周りに残っていた空襲による焼け跡。小学校の給食の定番だった脱脂粉乳とコッペパンの味。広島の太田川沿いのバラックとそこに住む被爆者と思しき人。東京郊外のハイツと呼ばれたアメリカの軍人の居住区。食糧難の時期を乗り越えても昭和30年代前半まで日本は貧しかった。貧しさから抜け出せたのは昭和30年代後半に始まった高度経済成長によってだった。

 母は子育ても終了した50歳代になってからは、豊かになった日本の恩恵を享受することになった。70代後半に左足の大腿骨を折るまでは、数年おきに親しい友と海外旅行を楽しんでいた。子供である私は、中学、高校、大学を高度経済成長期に過ごし、その後も豊かな日本で就職、結婚、子育てをすることができた。その私も母が初めて骨折した年になり、長い停滞から抜け出せない日本を憂いながら老後を過ごしている。人生100年時代と言うが、国の盛衰のサイクルも100年なのだろうか。

                            (2022.08.19)

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