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振り袖に 若者気質を 垣間見た


シクラメン

 街に振り袖姿が目立つと思ったら、今日は成人の日だった。この街、吉祥寺には17歳から22歳まで住んでいたこともあり、今からおよそ60年前の自分の成人式を思い出した。武蔵野市主催の式典に行くため、親に送られて背広姿で家を出たことは覚えているのだが、式場がどこだったか、会場の雰囲気がどうだったかとなるとトント思い出せない。あの頃も女の子は振り袖を着ていたかな。白いストールを肩にかけていなかったとは思うが。

 私が成人になった後に、日本経済は高度成長期を迎え、世の中が華美に流れ、成人式と言えば女の子は振り袖に白いストールが当たり前になっていった気がする。しかし、今現在、経済はバブル崩壊後の長い停滞期の中にあるし、数年前には大手の晴れ着屋の倒産騒動があったし、この3年はコロナ禍で成人式が中止になったりで、「今更、振り袖でもあるまいに」とも思う。この疑問への答えを求めて、成人式を迎えた当人達の本音をツイッター(Z)に探ってみた。

#成人式 、#振り袖で検索すると、振り袖姿の写真付きの「呟き」が沢山出てきた。にこやかな笑顔に包まれた写真と振り袖が着れた喜びの率直な表現を通して、成人式では振り袖を着たいという女性の気持ちは、今も昔も変わっていないのだと思い知った。
 そんな華やかな写真の並ぶ中に、ポツポツとある写真なしの「呟き」もあり、そこに当人達の全てが喜んでいる訳ではないことも見て取れる。それらをまとめると、
・振り袖に大金を投ずることへの疑問
・振り袖が着れないので成人式には出ないとの恨み節
・正月に起きた能登半島地震の被災者への気遣い
・自分自身が被災者で、用意した振り袖を着れなくなった悲しみ
と言った具合である。

 当たり前と言えば当たり前だが、当人達の本音は、振り袖肯定派から否定派まで幅広い。更に、地震の被災者への気遣いまで示されていて、「今更、振り袖なんて」と思った自分の偏りと単純さを糾されてしまった。

(2024.01.12)

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