秋草に 明治を思い 佇みぬ

老境自在(30)

 西武池袋線大泉学園駅の南側の住宅地に牧野記念庭園がある。我が家からそう遠くはないのだが、ここ数年足が遠のいていた。散歩道では見かけない草花があるのではないかと思い久しぶりに行ってみた。庭園には、前回訪れた時にはなかったコンクリート作りの瀟洒な建物があって、以前より整備された感じがした。牧野富太郎と云えば、日本の植物学の先駆者であるくらいの知識しかなかったが、新たな建物の中にある彼の足跡を紹介した展示を見て、その偉大さを改めて知ることができた。

 幕末に土佐の酒屋の息子に生まれた富太郎が、植物学に興味を持ち、上京して植物学に没頭し、晩年大泉学園に居を構え、そこで94年の人生を終えるまでが、写真、標本、植物採集道具、刊行した書物等と伴に紹介されている。明治初頭に育ったためでもあろうが、植物学を正式に教わったことはなくほとんど自力で学んだ。但し、若い頃に高知の田舎から東京まで赴いて、在京の識者に教えを乞う等、自分の道を極めることに貪欲であった。

 富太郎が名をなした後、若者に説いた15の言葉が掲げてあった。「忍耐を要す」、「草木の博覧を要す」、「宜しく師を要すべし」等の中に、「洋書を講ずるを要す」とあるのが目を引いた。幕末から明治に掛けて土佐で育った富太郎が、「西洋人の学問が遥かに進んでいるので、洋書を読みましょう」と言っている。明治育ちの教養人は漢文、英文の素養が高かった聞いたことがある。夏目漱石、森鴎外等をさしてのことだろうと思っていた、しかし高等教育を受けていない牧野までもが洋書を進んで読んでいたとは。

 珍しい秋の草花を求めて行った牧野記念庭園で、思いがけず人物に出会うことになった。富太郎と同様に幕末から明治初頭に育った偉大な人物としては、北里柴三郎(医学)、長岡半太郎(科学)、犬養毅(政治)、渋沢栄一(経済)と次々に思い浮かぶ。それに比べて、俺たち団塊の世代に100年後まで語り継がれるような人物がいるだろうか。いないとしたら、何故だろうか。富太郎が収集植栽した草木でうまった庭を眺めながら、そんな思いに浸った。

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