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謎の唐津焼 夢か現か

富次の祖父勝三とその兄左馬之助

 富治が乗った福岡空港発、羽田往きの飛行機は水平飛行に入った。離陸時の緊張も解けて、脳裏に今日1日、佐賀で出会った人々の顔を浮かんぶと同時に、色々な思いが湧いてきた。

 船岡家の裏の家の夫人、徴古館の女性職員、旧古賀銀行の管理人、なんの前触れもなく偶然に会ったにも関わらず、どの人も親切だったなあ。

 船岡家の裏の夫人が言っていた「掃除に訪れる娘さん」とは誰だろう。左馬之助の娘ってことはないので、左馬之助の長男公造の娘さんだろうか。そうだとすると、私と同年輩の女性だな。
 俺のじーさん船岡勝三は佐賀は佐賀でも、佐賀県の東の端にある基山町の出身なので、市のホームページに書かれている「船岡家は代々佐賀藩の御納戸役だった」てことはありえない。ひょっとすると左馬之助の奥さん方の祖先のことかもしれないな。

 徴古館の女性職員は、西濠の外側に珍の山と呼ばれる場所が昔あったなんてことをよく知っていたな。
 船岡家の庭から出土した陶器に、珍の山唐津と命名したのは誰だろう。なかなかセンスのある人に違いない。「江戸時代に何らかの理由で埋められてた首なしの徳利等の傷物陶器に骨董屋が目をつけて、良い値で買い取って行く。この庭はなんだか宝の山のようではないか。そうは言ってもこの陶器に、宝の山唐津と名付けたのでは品がないな。そうだ、近所の珍の山って地名を使ってはどうだろう。」てなことで珍の山唐津になったのかもしれないな。

 旧古賀銀行本館の管理人である井上氏が見せてくれた資料のお陰で、左馬之助の出自と業績を詳しく知ることができたのはラッキーだったな。
 あの資料に左馬之助の写真があったが、鼻筋の通った男前だったな。弟の勝三じーさんはもっとイカつい顔をしてたから、兄弟で随分違うものだなあ。

 そんな取り止めもないことを考えている内に、富治は眠りに落ちていった。

(2023.02.23)

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