思い込み 思い違いは 常のこと
今朝、バス停に向かう途中で和菓子屋の窓にある「お赤飯は和菓子です。」の貼り紙が目に映った。この店のお赤飯は美味しいので、時々買って食べているが、これまで和菓子と思って食べたことはない。お赤飯は小豆と餅米が原料なので、和菓子屋の商品の1つになっていることは分かる。しかし、だからと言ってお赤飯は和菓子ですとことわる必要がどこにあるのだろうか。
似たような話は、他にも沢山ありそうな気がする。カレーライスを出す駅前の定食屋、ラーメンを出す街角の蕎麦屋。だが、店先に、「カレーライスは定食です。」、「ラーメンは蕎麦です。」と書いた張り紙を見たことはない。ということは、和菓子屋がわざわざ「お赤飯は和菓子です。」と訴えるのにはそれなりの訳があるはずだ。
お赤飯を売る店は和菓子屋以外にも多くあり、競争が激しいことが理由の1つかもしれない。食品スーパーの惣菜売り場には、プラスチック容器に入れたお赤飯が置いてある。デパートの食品売り場の一角のおこわ専門店では、お赤飯が陳列トレーに盛ってある。我が家の食品ストックの中にも、お赤飯のレトルトパックが入っている。
競争もさることながら、この謳い文句には和菓子屋の矜持のようなものが感じられる。うちの店で作るお赤飯は、皆さんが日頃食べているお赤飯とは似て非なるものと言って良いほど美味しいです。元来お赤飯はお祝いの席で出される特別なものなので、ご飯代わりに電子レンジでチンして食べるのではなく、美味しさを噛み締めて食べて頂きたい。こんな想いが聞こえてくる気がする。
お赤飯についてあれやこれや考えた1日だったが、帰り道で和菓子屋の窓の貼り紙を確認したら、「お赤飯は和菓子屋で。」と書いてあるではないか。ここまでお読み頂いた方には、「思い違い、思い込み、思い過ごしは老人の常」とお許し願いたい。
なお、日本和菓子協会のホームページでは、お赤飯を、おはぎ、柏餅と同じ餅物の項にあげ、和菓子として扱っている。
(2023.06.06)