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ダ・ヴィンチ子宮全摘出手術13 術後5日目・退院日

ダ・ヴィンチという手術支援ロボットを使って、子宮全摘出手術を受けた。
34歳の5月半ばのこと。

新しい朝がきた、退院の朝だ

真夜中ぐっすり眠り、明け方に腰の痛みで目が覚めた。
お腹の創がふさがりつつあるにしても、まだ完全ではないため、寝返りを自由に打てるわけではない。
眠っている夜の間、仰向けの時間が長くなり、結果的に腰の痛みが生じる。
最後の朝、カーテンの向こうは早くも明るい。
今日はきっとすっきり晴れている
昨夜のテレビの天気予報で、暑くなるって言ってたな。
左手で右にあるベッドの柵を掴みながら、身体が右に流れないように右腕を柵の根元に突っ張っておく。
こうするとお腹に負担をかけることなく、右を向くことができる。
左手で柵を掴んだまま、右肘をベッドに立てていき、段階的にゆっくり上半身を起こす。
あとは斜め座りするかたちの脚を尺取り虫のように寄せて、ベッドの降り口まで移動する。
これが、術後身につけたダメージの少ない起き上がり方。
パラマウントベッドがない環境でも起きられるはず。
明日から、自宅でも気をつけながらこれを実践しなければならない。

朝食

最後の朝食。

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ごはん、味噌汁、にんじんと鶏そぼろの炒り豆腐、小松菜の胡麻和え、大根の漬物、ジョアいちご、ほうじ茶。
ガッデム。
どうして最後の最後で。
私はいちごが大嫌いである。
特に、加工品の味付けに使われるような、作りもののいちごの味が大嫌いである。
有終の美を飾れなかった。
たった一本のジョアのせいで、楽しかった入院生活が台無しだ。
乳飲料を抜くと今後の腸の具合が心配である。
ジョアだけ手をつけずにトレーを返却した。
いちごでなければいけるかもしれないと思い、下膳ラックをそっと覗いてみたが、全員同じだった。
その他のものは美味しくいただきました。

退院後の生活の説明

歯磨きを終え、ちまちまと片付けを始める。
タオルをまとめているところ、ベテラン看護師さんが入ってきた。
「退院後の注意点とお薬のこと、ちょっと説明させてもらいますねー」
A5サイズの紙を手渡される。

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「今まで飲んでいたジエノゲストっていうお薬は、もう卒業でーす。
 今も食後に飲んでいる痛み止めは、退院してからも飲んでください。1回1錠ってなってますけど、」
看護師さんの声のボリュームか一気に下がる。
「本当に痛いときは2錠飲んでいいから」
「は、はい」
さすが現場を見てきた看護師さんである。
ためになるぶっちゃけ話を聞けて嬉しい。
「退院後、次のような症状があるときには病院に連絡してください。38℃以上の熱が出たとき、強い痛みがあるとき、嫌な匂いのおりものが出たり、おりものが急に増えたときには外来か救急に電話してください」
もう術後5日も経っているから、あまりこんなことは起こらなさそうな気がしていた。
「次、2週間後に外来に来てもらうんですが、そのときまでの注意事項があります」
上記のプリントの中を指差しながら、説明が始まる。
「重たいものを持ったり、腹圧がかかる動きは避けてください。『膣形成』は関係ないからここ消しときます」
プリントの関係のない部分に取り消し線が引かれる。
「創は擦らないように、優しくしてください。お風呂は先生がいいって言うまでは入れませんので、しばらくシャワー浴でお願いしまーす」
「はい」
「性生活も、先生の許可が出るまで控えてください」
「はい」
相手がいないからご心配には及びません。
「円錐切除は無し、と。腹帯も無し。…あとは…創テープね。創テープっていう紙でできた伸びない素材のテープがあるのね。病院の売店とかに売ってるんだけど。今ついている白いテープが自然に剥がれた後、その創テープに交換するときれいに治ります。そのテープ交換を術後1ヶ月から3ヶ月は続けると良いですよ」
そんなテープがあるのを初めて知った。
「あと、臍処置ね。今のところ毎日やってるおへその消毒。あれを、家に帰ってからも続けてください。ドラッグストアにマキロンとかあるじゃない?」
「え、マキロンでいいんですか?」
「そう、マキロンと綿棒みたいなものを使って、今と同じようにおへそを消毒してください。消毒したら、服で擦れたりしないように、ガーゼを貼って普通のサージカルテープで止めてね」
「わかりました。買って帰ります」
プリントの下に、シャープペンで小さく書き込んだ。

荷造りと着替え

ベテラン看護師さんが去ると、次は若手の看護師さんがやってきた。
電子書籍を読んでいると「活字が苦手で…」と言ったあの看護師さん
私が泣きながら手術室に向かうときに付き添って背中をさすってくれた、あの看護師さん。
「練りものさん、10時退院の予定なので、私服に着替えてお荷物まとめちゃってください」
「ほんとですか。わかりました」
いそいそと荷造りを本格化させたが、本当はもう声をあげて泣きたい気持ちでいっぱいだった。
視界がぐにぐにに歪んでいく。
理由はもちろん、看護師さんたちへの深い感謝である。
私の身勝手な手術に伴い、数々のわがままを聞いてもらった。
適度に自己肯定感が低い私には、こんなに献身的に応対してもらえたことが信じられない。
彼女たちにとってはただの業務遂行だとしても、私の心を揺さぶるには充分だった。
京都アニメーション社屋への放火犯が、医療従事者の対応に涙したと伝えられたエピソードも、決してわからないでもない。

小さく鼻をすすり上げながら、病衣を脱ぎ、入院時に着てきた服を身につけていく。
今日の外は、5月の割に暑いらしい。
下着はブラトップにして、白いスタンドカラーシャツを着る。
下は、ウエストをゴムとウェビングベルトで調節できるロングパンツ。
調節できるとはいえ、思った以上にお腹がきつい
単純に太ったわけではなさそうだが、お腹にガスが残っているのか、それとも創をかばって腹筋で凹ませられないのか。
かつてないウエスト感で、ベルトを最大限に広げてみた。
靴下を履く体勢が相変わらずつらい。
入院時に着てきたコートは、今日は必要なさそうなくらい晴れて暑そうだ。

タオル類、風呂道具、衣類をリュックにどんどん詰めていく。
あんなに持ってきたナプキン類は、そんなに減らなかったため、大量に持ち帰ることとなってしまった。
今朝トイレに行ったら、ナプキンにはもうほとんど赤みがなく、むしろ薄い黄色っぽいおりものしか出ていないように見えた。
いよいよナプキン卒業のときが迫る。
手元には、入院手術関係の書類をまとめたクリアファイルひとつと、iPhoneと財布だけ出しておいた。

病棟クラークさんから

「練りものさーん、お待たせしましたー!」
9時45分くらいだろうか。
早足で病棟クラークさんが入室する。
「お会計の準備がようやくできました。お待たせしてすみません」
「いえいえ」
「お預かりしていた診察カードをお返しします」
カードを受け取り、財布にしまう。
「こちらが、今回お支払いいただく金額です」
手渡されたプリントには、請求額8万いくら円と記載があった。
高額医療費認定証殿、誠にありがとうございます。
「外来の精算機に診察カードを入れたら、すぐお支払いいただけますから」
「わかりました」
「それと、こちらは退院証明書です。練りものさんがこれからもし別の病院にかかったり入院したりするときに、相手の病院から求められたらこれを出してください」
その他にも何枚かあったようだが、まとめて受け取ってしまった。
「それでは、練りものさん」
クラークさんが急に居住まいを正す。
「これにて無事退院となります。お大事になさってください!」
「大変お世話になりました」
頭を下げながら、声が震えてしまった。
また泣きそうである。
クラークさんが去り、病室には、向かいのギャルと、斜め向かいのおばちゃん。
私は最後の荷物を詰め、ベッドに置いたリュックを座りながら背負い、お腹に負担がかからないようにベッドの手すりを掴んでゆっくり立ち上がった。
意外と大丈夫そうだ。
胴を捻ると痛みにつながるので、まっすぐ静かに歩けば問題がなさそうだ。
瞳がうるうるしてきた。
ぐっと足を踏み出す。
同室の方々に、ご挨拶を。
「お先に失礼します」
「どうもー」
「お大事にー」
ギャルとおばちゃんが笑いかけてくれた。
最初で最後の、和やかなコミュニケーションだったかもしれない。
ひとまず、冷たく追い出されたりしなくて安心した。
皆さんも、お大事にね。

肩にのしかかるリュックの重みが、足取りにも響いてくる。
軽いつもりの運歩も、少し重たい。
廊下を歩きながら、もう泣きそうである。
どうしよう、スタッフステーションの看護師さんに、どんな顔して挨拶しよう。
あいつまた泣いて何なんだ変な野郎だと思われるのも嫌だなあ。
ぐるぐると考えているうちに、スタッフステーションのある角に差し掛かった。
見やってみると、誰もいない
私の心配は杞憂に終わり、大きな肩透かしを食らった気分だ。
誰もいないけれど、小さく頭を下げ、その前を通り過ぎた。
エレベーターに乗り、下ボタンを押す。
会計窓口のある1階に着くまで、誰にも会わなかった。

会計と診断書

自動精算機にカードを差し込むと、すぐに請求額8万いくらが表示された。
クレジットカードを挿入し、一挙に決済した。
ANAカードのマイルが貯まる。
本気のポイ活者は、全額を一旦カードで支払い、後で高額医療費の還付を行うのだという。
お腹を切ってへろへろの状態で、そんなことをする元気と余裕はない。

支払いを済ませると、診断書の申請窓口に向かった。
職場への病気休暇申請のために添付が必要だからだ。
「当院の診断書には決まった様式がなく、白紙の状態です。記載してもらいたい項目をこちらに記してください」
申請書に、必要な項目を記入していく。
自分の病名と手術名を入院事由として、入院期間、退院日、自宅療養期間の目安を記してほしいと書いた。
そこに主治医のサインと印が入るはず。
診断書は1ヶ月以内に郵送されるという。
窓口の方に、よろしくと伝えた。

母には、会計が終わったので迎えにきて欲しいとLINEで連絡を済ませておいた。

ドラッグストアへ

外は予報どおり、暑いくらい晴れていた。
少しでも外の空気を吸いたくて、玄関を出て車寄せの脇で母の車を待った。
10分くらいして、母の黒い軽自動車がやってきた。
「おかえりー」
「ただいまー」
LINEで連絡を取り合っていたので、たった5日の不在であまり久々な感じはしなかった。
荷物を積み込み、助手席にゆっくりと乗り込む。
お腹を切って以来、車に乗るという動作が初めてだったため、気を遣いながら乗り込んだ。
ドア上のハンドルをグッと握り込み、腕力でぶら下がるようにして尻を移動させていく。
ここでもつくづく、腕を鍛えておいて良かったと実感した。
それにしても今日は暑い。
25℃くらいあるようだ。
「帰り、ドラッグストア寄ってってもらっていい?」
帰宅途中、最寄りのドラッグストアに入店。
看護師さんに説明された、臍処置グッズと創テープを買わねばならない。

マキロンはすぐに見つかった。
綿棒じゃ細すぎて使いにくいので、綿球を買うことにする。
そして、へそにかぶせるガーゼ。
4cm角に畳まれた個包装ガーゼがあったので、これも購入。
サージカルテープは自宅にあるもので足りそうだ。
創テープが見つからない。

メーカーのサイトを店員さんに示して尋ねるも、取り扱いがないとのこと。
今度、病院の売店を覗いてみよう。
今のテープはまだ剥がれていないから、時間に余裕はある。

7日ぶりの自宅

7日ぶりに自宅に帰る。
当然だが、特に変わったところはない。
少し、匂いが気になる。
冷蔵庫に入れてあった、ごっくん馬路村でも飲む。
久しぶりの甘い汁を吸って、人心地ついた気がした。
時刻は11時くらい。
まずはひととおりの荷解きをすることにした。

自室に上がると、ベッドのマットを母が交換してくれていた。
前から注文していたが、ちょうど入院中に届いたベッドマット。
普段寝ている畳ベッドに、今まではせんべい布団を敷いていたのだが、どうも腰が痛いのでスプリング入りのマットを使うことにした。
手で押してみると適度な硬さで、寝返りが打ちやすそうである。

昼食に蕎麦を食べた。
前の手術の後も、退院してすぐの昼ごはんは蕎麦だった。
好きだから何度食べても嬉しい。

昼食後、マットのお試しを兼ねて昼寝をしてみることとした。
あまりのふわふわの寝心地に、笑いが込み上げてしまった。
まだ笑うとお腹が痛いのに。
結局、昼寝では一睡もしなかった。
入院中、一度も昼寝をしなかった習慣がきちんと身についているようだ。

夕方、父が帰宅した。
相変わらず、夕飯の準備を何もしない父。
何で、具合の悪い女が動いて、健康な男が何もしていないんだよ。
父への憎悪は、ジエノゲストをやめても続いていたので、ただのイライラではなかったようだ。
この身体に残る傷も痛みも悩みも、この男には一生わかるまい。
かわいそうな人間。

退院しても引き続きシャワー浴。
風呂に入る順番はいつも、父の後。
垢や髪の毛の浮いた湯船の湯は、絶対に掛け湯に使ってはならない。
自宅の風呂ではいつも低めの風呂椅子を使っており、これが非常に疲れる。
座るときと立ち上がるときにかなり脚力を要するし、お腹の創も一瞬痛い。
座っている間は、腹筋が使えないせいでやたら背筋が疲れる。
背筋だけで背中をまっすぐに保とうとすると攣る、ということを初めて経験した。
下半身を洗っていく動作がつらい。
上がってから、下半身を拭く姿勢もお腹にひびく。

風呂上がりのルーティンだったストレッチと筋トレは今日お休みしよう。
21時にはもう眠たくなる病棟体質が染み付いてしまった。
早々に自室に引き上げ、気絶するように眠った。
新しいマットが呼んでくる眠気は最高に優しい。

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