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ダ・ヴィンチ子宮全摘出手術10 術後2日目

ダ・ヴィンチという手術支援ロボットを使って、子宮全摘出手術を受けた。
34歳の5月半ばのこと。

痛みで目が覚めた

朝7時、よく寝た。
ぐっすり眠った。
ある一時を除いては。

深夜、創の痛みで目を覚ました。
どうも睡眠中、深く息を吸うたびに創にさわるらしい。
呼吸の都度、ズキンと刺すような痛み。
浅く胸式呼吸にすると楽だが、そうすると緊張して眠りが浅くなる。
両得できる何か良い方法はないものか…と呼吸のリズムや深さをあれこれ試すうちに、またすっかり寝入ってしまった。
それだけ、前日の疲れが溜まっていたのだろう。
そう長く苦しむことなく、またすぐ眠った。

朝食

起きると、朝の検温と血圧測定、そして採血があった。
朝食までの間、向かいの病室で付き添いの家族と看護師さんが会話するのが漏れ聞こえてきた。
「…おうちで看るのも大変だと思います。このまま、ダメージが大きい積極的な治療を続けるか…緩和ケアという方法もあります。ご本人の苦痛を減らすやり方をとることも、一つの選択肢としてご提案させていただきます。…」
もうそんなに体調が良くない患者さんの話をしているのかな…と思われる。
患者さんご本人の身体的な苦しみはもちろんつらいだろうけれど、こういう話を切り出さないといけない看護師さんや、聞かされる家族も相当つらいだろう。
私も前後不覚になったら、代わりに家族がこうした話を聞くんだろうな。
逆に、親のことがこちらにまわってくることだってある。
そんなことを考えていたら、他人の事情ながら泣きそうになってしまった。
赤の他人のことでこんなに泣きそうになっているのに、冷静に話ができる看護師さんはやはり強いなと思う。
仕事だからこそ、だ。

少し目を赤くした私にも、朝食が配られる。

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全粥、ジャネフたまごソース、はんぺんの味噌汁、鱈の煮付け、白菜とにんじんとちくわの煮物、牛乳、ほうじ茶。
また全粥である。
どうやら、術後は3食きっちり全粥でやってくるらしい。
全粥はカロリーの割に量が大きいので、絶食後かつ横隔膜のおかしい私の胃には一度に入っていかないのである。
カロリーのことでいえば、ついてきたジャネフごはんにあうソースのたまご味というのが優秀。
卵かけごはん風味を演出できるもので、量の割に高カロリー。

お粥にしたことで減ったカロリーを、これで美味しく補おうというもの。
Amazonでも売られているようなので、ちょっと他の味も試したい。
実際に食べてみると、加工されているとは思えないくらい、ちゃんと生卵と醤油の味がして美味しかった。

時間をかけて、完食。
ただ、牛乳はすぐに飲みきれなかったので、後でゆっくり飲むことにした。
トレーを下げ、鎮痛剤を飲み、歯磨きを済ませた。
お腹のごろごろが、また活発になってきたように感じる。

へその消毒

午前中、本を読んでいると回診の時間になった。

今日読んでいるのは、綿矢りさ『手のひらの京』。
複数の姉妹の物語って、良いですよね。
『海街diary』とか『阿修羅のごとく』とか。

病棟のベテラン看護師さんと、医大の名前の刺繍が入ったスクラブを着た若い女性の先生が現れた。
おそらく研修医の先生と思われる。
「練りものさーん、おへその消毒しますね」
これが噂の、臍処置というやつか。
ベッドの背を少しだけ起こした状態で仰向けになり、へその透明ラップと脱脂綿を外す。
「見るのがちょっと怖い気もする…」
「大丈夫、ほとんど変わらないよ。先生じょうずにやってくれたから」
思わずこぼしてしまったが、看護師さんがフォローしてくれる。
おそるおそる、へそを見てみると、血の色をしたかさぶたが真新しい。
縫い目が深いところにあるのか、へそがずいぶん奥まで続いているように見えた。
へその掃除が大変そうである。
「あー、きれいに治りそうですねー」
先生は創口を確認すると、ヨードチンキが染み込んだ大きな綿棒でへその中にぽんぽんと置くように塗っていく。
特にしみることもなく安心した。
おへその上からガーゼが載せられ、サージカルテープで固定される。
「左右の創の具合も見ますね」
左右4ヶ所の大きな絆創膏も剥がされる。
え、もういいんですか?
絆創膏が剥がれると、1cmあるかないかの小さな創が見えた。
横に切られたようで、少し血がかさぶたのようになって創口を覆っている。
それらの創が開かないように、垂直に細いテープが2本ずつ貼られていた。
かなりがっちりしたテープのようで、これが創口をくっつけて守ってくれているようだ。
「うん、順調ですね」
回診と消毒が終わった。
今のところは、何ともないようで安心した。

新入り

昼近くなると、向かいのベッドにネームプレートを付けたり寝具を整えたり、看護師さんが出入りするようになった。
「どなたか来られるんですか?」
「お昼2時から入院の方が入られます」
入院して4日目にして、初のルームメイトである。
ずっと一人部屋状態で看護師さんとしか話せなかったから、シャバの人とうまく話せるか不安だ。
どんな人が来るのだろうか。

昼食

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今日の昼食は、何だか洋風である。
ごはん、鶏肉のデミグラス風ソース煮込み、きのことピーマンのパスタ、コールスローサラダ、マンゴー(缶詰?)、ほうじ茶。
個人的に炭水化物の重ね食べは許せないのだが、まさか病院でこのようなかたちで攻めてくるとは思わなかった。
肉を久しぶりに食べた気がする。
生き物の命をいただく罪深さを、静かな病室で噛み締める。
マンゴーはシロップ漬けにした缶詰のようで、柔らかく甘かったが、一切れだけガリガリと渋いものもあった。
完食。

初の便通

この日の朝から、お腹がごろごろと鳴って、昨日から食べたものが移動しているのを常々感じていた。
昼食後、その動きが決定的になる。
点滴スタンドに頼りながらトイレに向かい、便座にしばし腰かける。
そわそわっと便意がやってきて、直腸を静かに降りていくものがあった。
ぽちゃん。
おおお、これは。
全く息まずに、排便することに成功した。
これで腸閉塞の心配はない。
かつてない爽快感と充実感で意気揚々とトイレを出た。

ベッドに戻るとまもなく、看護師さんが検温に来た。
「どう?お便出ました?」
「出ました!息むのはまだ怖い感じです」
「そう、よかった。息まずにスルッと出るように、排便コントロールも気をつけなくちゃね」
これで術後の心配事はもうほとんどクリアしたも同然だ。

ギャル現る

「◯◯さん入られまーす」
病棟クラークさんの声が病室に飛び込んでくる。
クラークさんに続いて、背が高くやや体格の良い若い女性が入ってきた。
茶髪でぴったりめの白いTシャツに、色の薄いクラッシュジーンズ。
「こんにちはー」
「よろしくお願いしまーす」
ギャルは向かいのベッドに配属されたようだ。
歳のころは、私よりは若そうである。
病棟クラークさんと看護師さんから次々に説明を受けている。
それがひととおり済んだ後、改めて挨拶した。
「あ、練りものと申します。よろしくお願いします」
「◯◯です。お願いします」
素直に挨拶してくれる。
「手術、したんですか?」
「ええ、2日前にダ・ヴィンチっていうロボットで、子宮を摘出しまして」
「へー。術後なのにもう座っててすごいですね」
うわーギャルの思考回路ポジティブすぎて怖い。
身近なところにギャルいなかったもん、怖い。

このご時世ということもあり、退院するまでこのギャルとはほとんど会話の機会をもつことができなかった。

点滴が外れる

昼からまた輸液を再開したのだが、どうも流れが悪い。
腕を上げ下げしたり、手首を前後に曲げると、点滴が止まったり動いたりを繰り返した。
「あーこれはもうダメかもね」
何がダメなの!?このままで大丈夫なの!?
一瞬ハラハラしたが、血管がもう疲れてきているらしい。
「液ももうちょっとだから、終わったら外しますね。点滴ぜんぶなくなったら教えてください」
できるだけ点滴が早く終わるよう、手の向きを色々変えてみる。

結局夕方17時くらいまでかかってしまったが、やっと外してもらえた。
手の甲はうっすら内出血しており、強く握ったり手を突くと鈍く痛んだ。
これで晴れて自由の身となったのだ。

できることがどんどん増える

術後わずか2日。
できることがどんどん増える。
点滴スタンドに掴まりながら、ゆっくりゆっくりではあるが、ロビーまで歩くことができた。
水汲みとゴミ捨てをするには、自分でロビーに行かなければならない。
体内の癒着防止と意気込み、腹は痛いが積極的に歩く。
足を床に置くときにズンと響くのと、体重移動の際に少しだけ胴を捻るのが痛い。
スタンドなしではなかなか動けないので、例えば杖を頼りに歩く怪我人やご老人の立場がよくわかった。
また、素早く動けない高齢者も、こうした痛みがあるから動きが緩慢なのだと、我が身をもって思い知る。
今までただ「おせーなクソジジイ」とか思ってすみませんでした。

こんな小さな創がいくつかあるだけで、歩くとこんなに痛いのだ。
帝王切開で出産した世のおかあさんがた、マジ尊敬する。
創は大きいし子宮も切っているし、おまけに切って塞いで終わりじゃない。
その後、何キロもある子どもを抱っこして授乳して…腹の創を抱えながら、いきなり育児がスタートする。
世間のおばちゃんがたは図々しいなと常日頃思っていたが、あんなに大変な思いをしていれば、そのくらい許されてしかるべき。
実感として、そのことに納得した。
出産の苦労を経験していないし、これからもする予定がすっかりなくなった私は、慎ましく暮らしていこうと心に誓った。

夕食

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ごはん、味噌汁、豆腐とピーマンとなすの揚げ浸し、ほうれん草とシーチキンの和え物、つぼ漬け、ほうじ茶。
大変ヘルシーなメニューである。
久々の揚げ物で、油の味を思い出す。
毎度のことながら、前のようなペースでは食べるのが厳しい。
一口食べて、一息(小さなげっぷ)ついて、また少しずつ食べる。
漬物の塩味を頼りに、完食。
食後すぐはお腹だけでなく背中までパンパンになった気分で、まっすぐ立って歩くのが苦しい。

入院の際には洗える箸を持参と言われているが、向かいのギャルは食事の回数だけ割り箸を持ってきているようだ。
病衣の上を着ずに持ち込みのTシャツを着用。
ロビーの給水機には一度も世話にならないと決めたようで、2Lのペットボトルの水を手元でコップに移して飲んでいる。
さっきは小声ながらも、ベッドの上で短い電話をしていた。
本当はダメだけれど。
病棟という権威にはとことん従わないつもりのようだ。
芯のとおった、気合の入ったギャルである。

「あの…」
食後、向かいのベッドに腰かけたギャルが、カーテンから顔を出してふと話しかけてきた。
「ロビーとかだったら、スマホで音出しても大丈夫なんですよね…?」
「ロビーか、その隣の電話室なら、多少は音流しても問題なかったはずですよ」
「そうなんですね。動画見ようと思ったら、イヤホンの差し込みが合わなくて…」
そう言ってひらひらと見せてきたのが、ステレオミニプラグのイヤホン。
お手持ちのiPhoneはLightningなので、アダプターがない限り聴けない。
私も今回は持ってきていないので、貸すこともできない。
自分が申し訳なく思う必要もないけれど、つい眉尻を下げてしまう。
「そっか…わかりました。向こう行ってみます」
素早く病室を出ていった。
あの身軽さで私も歩いてみたい。

ギャルはその後、消灯の少し前までおよそ2時間ほど戻ってこなかった。
途中、検温に看護師さんが回ってきたので、
「◯◯さんなら、ロビー行ったみたいですよ」
とだけ伝えた。
明日手術なのに、本当に堂々としている。
直前にめそめそしていた自分が恥ずかしいくらいだ。
若いうちからギャル路線を歩んでいたら良かったのかな。

ギャルのいないうちに読書をし、歯磨きをし、パンツを取り替えトイレを済ます。
ナプキンのうっすらピンク色の血はまだ続いていた。
退院日くらいまでは続くかもしれない。

この夜は耳栓をして静かに眠った。
明日、向かいのギャルの手術がうまくいきますように。

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