短編小説 「緑の首の乙女」
By Biggy Neptune
Episode 1 「キャンプ・アルファ」
カイル・マーフィー一等兵は赤茶色の石の階段に腰かけ缶詰のチリビーンズを食べていた。
数千年前は宮殿の一部だったこの階段はカイルのお気に入りの場所だった。ここに座ると不思議と気持ちが安らぐのを感じる。
この任務が終わったら故郷に帰れる。一面の砂と岩、黄ばんだ空ともお別れだ。ジョージアの緑豊かな森や河が恋しい。
「そうだ!桃が食いたい!缶詰じゃない本物の桃!」
カイルは叔父の果樹園のことを思い出していた。子供の頃はよく行ったものだ。
桃の木によじ登って熟した実をもぎ取りかぶりつく。芳醇な果汁、黄色い果肉…ああ、たまらない。
「ハロー!テンドラー!」
後ろからいきなり子供の声がした。
青いTシャツを着たイラク人の男の子だった。10歳くらいだろうか、くるくるとカールした巻き毛。
真黒な瞳でカイルをジッと見るともう一度繰り返した。
「テンドラー!」
何かを差し出している。その緑色の塊が太陽の光を受けてキラリと光った。
「おい、見せてみろ」
カイルが手招きすると少年はニッコリと笑い近寄って来た。
「カイル、やめとけよ。どうせクズだから」
同僚のケイナー一等兵が横から口を出した。
「いいよ。見るだけならタダだろう」
その緑色の塊は直径10センチほどの楕円形をしていた。
カイルが手を出すと少年はちょっと手を引っ込め、また繰り返した。
「テンドラー!」
「わかったわかった。10ドルだな、ここに置くぞ」
カイルは緑色の10ドル札を一枚広げると石畳の上に置き、風で飛ばないようにその上に小石を乗せた。
少年はそっとその緑色の塊をカイルに手渡すと恐る恐る10ドル札を掴みポケットに入れた。
「シュクラン!」
少年は手を胸に当て感謝の気持ちを表すと、村の方に走り去って行った。
「で、何なんだ?それは?」
ケイナー一等兵はカイルの手のひらに乗ったその緑色の塊を覗き込んだ。
「ちょっと洗ってみよう」
カイルは水筒の水をその塊にかけ砂埃を洗い流した。
「おお!これは…彫刻だ!」
二人は同時に感嘆の声を挙げた。
それは女性の顔が彫られた緑色の石だった。多分翡翠か何かだろう。
首のところで折れたのだろうか。おそらく元々は胴体もあったに違いない。
「おい、これは多分遺跡から掘り出したものじゃないか?」
「そうだな。ひょっとするとお宝かも知れないぞ…バビロンの時代の」
カイルは10ドルでお宝を手に入れたかも知れないと思うと笑いが込み上げてきた。
「よし!休憩終わり!分隊集合!キャンプ・アルファに帰還する」
ルブラン曹長の声が響いた。カイルはその「お宝」を内ポケットにしまい込むと立ち上がった。
翌朝7時、カイル達分隊11名はパトロールの任務でキャンプ・アルファを出発した。
もうこの辺りには敵の姿はないが、迫撃砲による散発的な攻撃もあり、また、地雷なども完全に除去されてはいないので注意が必要だった。
村に向かう一本道を移動している時だった。村の方でドカーンという爆発音が聞こえた。全員散開して伏せると曹長が叫んだ。
「そのままゆっくり前進!」
爆発音のした方を見ると黒い煙が上がっている。遺跡のある辺りだった。分隊はその方角に向かってゆっくりと進んで行った。
100mほど進んだ時だった。女性の泣き叫ぶ声が聞こえてきた。
カイル達三名が確認のため前に出ると村の男たちが五人で一人の女性を囲むように立っており、その女性は子供の身体を抱いて泣き叫んでいた。
村人たちはカイル達に気付くと口々に何かを訴え始めた。
カイルはその子供の服に見覚えがあった。血まみれの青いTシャツ…昨日カイルが10ドル渡した男の子だった。
泣き叫んでいるのは母親に違いない。男の子の右足は膝から下がなくなっており、そして…首も千切れて身体の横に転がっていた。カイルは思わず顔をそむけた。
程なくイラク人の通訳がやって来て村人から事情を聞き出した。
「この男の子は遺跡で地雷を踏んだそうです。村人は早く地雷を除去して欲しいと望んでいます。先月も別の男の子が死んでいるそうです」
ゲリラ達は撤退する前に遺跡の周辺に地雷を埋めて行ったのだ。犠牲になるのは主にお宝探しの子供たちだった。
「わかった。地雷は何とかすると伝えてくれ」
軍曹は通訳に言うと号令をかけた。
「分隊集合!任務に戻る」
カイルはポケットの中の緑の首を握り締めた。
Episode 2 「オキナワ」
「コール!」
カイルは大声で叫びながら5枚のカードをテーブルに叩きつけた。
クイーンと8のツーペア。
「ハハハ!いただき!スリーカードだ!」
向かい側に座っていたロペスがチップの山をかき集めながら笑った。エースが3枚並んでいるのを見てカイルは叫んだ。
「クソ!やられた!」
ロペスはニヤニヤと笑いながら尋ねた。
「どうする?カイル。もうチップがないんだろう。そろそろベッドに行く時間じゃないのか?」
「ああ、もうやめておけよ、カイル。400ドルも負けたんだから今日はもうツキがないってことだ」
隣に座っているケイナーが気の毒そうな表情で話しかけた。
「いや、最後の勝負だ!これを賭ける!」
カイルは緑色の塊をゴトンとテーブルに置くとショットグラスのテキーラを煽った。
Yeah! You go back, Jack Do it again♪
店内にはちょうどSteely Danの「Do It Again」が流れていた。
「なんだそりゃ?」ロペスが怪訝そうな顔で見た。
「まさか!」
ケイナーはカイルを睨んだ。
「これはあの…」
「そうだよ。あの時の少年から買ったものだ。これで10ドル分だ」
「カイル、やめておけよ。これは賭けるもんじゃない」
ケイナーは本気で心配していた。
「いや、これが逆転のチャンスだ。俺は運を信じる」
カイルは緑の石をテーブルの真ん中に押し出した。
「この石ころが10ドル?まあいいか…友達だしな」
ロペスはカードをシャッフルしながら頷いた。
十分後、カイルはよろよろと店を出た。最後の勝負は…完敗だった。ロペスのフルハウスにノックアウトされたのだ。
「悪く思うなよ。アミーゴ!」
ロペスの満面の笑みを思い浮かべるとムカムカして来た。
「畜生!」
カイルは道端の植木鉢を蹴飛ばした。ムッとするような湿気を含んだ風が吹いている。
嘉手納基地からほど近い歓楽街の夜は長い。酔った兵隊たちが大声で叫んでいるのが聞こえる。
「おーい、カイル、待てよ」
ケイナーが追いかけてきた。
「カイル、明日は国に帰れるんだ。これでイラクの悪運が全部消えたと思えばいいじゃないか」
ケイナーは必死でなだめようとしていたが、カイルの怒りは収まらない。
「あの野郎!イカサマしやがって!」
カイルたちの部隊は四日前にイラクからこの沖縄に戻り、明日は本国に帰る予定だった。
夜の暇な時間を持て余し、バーで飲んでいるところを基地の整備兵のロペス達に誘われポーカーに加わったのだった。
「俺たちが酔っているのをいいことに…クソ!」
「カイル、もう戻って寝よう。明日は朝から出発の準備があるだろう?」
ケイナーはカイルの肩を抱いて、ぐいっと基地の方向に向け、そのままカイルを引きずるように連れて帰った。
翌日の昼前、整備兵のロペスは基地から緑色のピックアップトラックで街に向かった。
「昨日は700ドルも勝ったぜ。酔っぱらいから巻き上げるのはチョロいもんさ。あとはこれを処分して…と」
紙袋の中には昨晩カイルから巻き上げた緑色の石の塊が入っていた。
「これは多分翡翠だろう。20ドルにはなるはずだ」
ロペスは駐車場に車を止めると、「Treasure Island(宝島)」と言う看板のかかった店の中に入って行った。
店内は絵や置物、掛け軸、着物などアメリカ人の喜びそうな骨董品がところ狭しと並んでいた。
「ロペスさん、これ、私わからないよ。多分古いものね。どこで手に入れた?」
店主の照屋は癖のある英語でロペスに尋ねた。
「ああ、多分イラクだよ。なあ、テリー、ただの石ころじゃない。お宝だぞ。彫刻がしてあるんだ。女の顔だ。わかるだろ?」
ロペスは照屋のことを「テリー」と呼んでいた。ロペスはここの常連だった。
今までも色々なものを持ち込んで来た。ブレスレット、腕時計、指輪…みんなポーカーで巻き上げたものだ。
「困ったね。私、20ドルしか出せないよ」
「わかったよ。テリー、20ドルで手を打とう」
ロペスは渋々応じる振りをしたが、うれしさを隠し切れない笑いが込み上げてきた。
「ありがとよ!アミーゴ!」
ロペスがハイタッチを求めるとテリーも渋々応じた。
事故が起きたのはその日の午後三時過ぎだった。ちょうどカイル達が荷造りを済ませて飛行場の待合室でコーヒーを飲んでいる時だった。
鈍い爆発音がして消防車が出動して行くのが見えた。
「何だ?何が起こったんだ?」
皆、我先にと滑走路の方に向かっていった。
「ヘリが着陸に失敗したそうだ」
「負傷者は?」
「一人死んだらしいぞ」
十分後、消防隊員から事故の詳細が伝えられた。
ヘリコプターが着陸に失敗。乗員は全員脱出したが、整備兵が一人、飛んで来たプロペラに当たり死亡したとのことだった。
「で、その整備兵の名前は?」
カイルが尋ねると消防隊員は答えた。
「ホルヘ・ロペス。テキサス出身だそうだ。君の知り合いか?」
「いや…」
カイルは口ごもった。
消防隊員は額の汗を拭いながら続けた。
「プロペラで首がスパッと切断されていたよ。惨いもんだ」
「首が…切断…あのロペス‥」
カイルの手から紙コップがすべり落ちた。
「あっ‥」
床に落ちた紙コップからコーヒーがゆっくりと飛び散るのが見えた。
Episode 3 「中野」
「さあ、11時だよ。シャッター開けて」
店主の緑川瑛士はアルバイトの石山由香に声をかけた。
ガラガラと音がしてシャッターが開いた。間口二メートル、奥行き四メートル程の小さな店だ。
「ストーン・エイジ:Stone Age」 緑色のネオンサインが点灯した。
店内のショーケースにはパワーストーンのブレスレットや原石が並べられ、店頭の大き目のケースには大きな水晶玉が二個と緑色の石が木の台座の上に置かれていた。
その緑色の石には女性の顔が彫られていた。緑川が先月休暇で行った沖縄の骨董品屋で見つけたものだ。
見た瞬間に「これは…特別なものだ」と直感した。40ドルと書いてあったのを35ドルに値切って手に入れたのだ。
店頭価格は「¥480000」と付けておいた。
きっと誰も買わないだろうが、こういうものは思い切った値段を付けておいた方が良い…というよりも、緑川は心のどこかに手放したくない気持ちがあったのだ。
沖縄の骨董品屋の店主は「イラクのもの」と言っていたが、緑川が資料を調べた範囲では中東のものと言うよりもシルクロードのどこか…西域と言われる地方のものに近いように感じた。
女性の顔が中東系ではなくもっと柔らかな東洋的な風貌に感じられたからだ。そしてその表情も成人女性というよりも、もっと少女に近いように感じた。
「社長、あの緑の乙女が来てから前よりお客さんが多くなりましたよね」
由香がショーケースを拭きながら緑川に話しかけた。
「そうだね。彫刻には魂が宿っているからね。ちゃんと呼び込みをしてくれてるんだね」
「でも、社長、あれって元々は胴体があったんですよね?今はどこにあるんでしょう」
それは緑川も気になっていた。胴体部分がまだどこかに埋もれているとしたら、探し出してつなげてみたいものだ。
緑川がこの中野に自分の店「ストーン・エイジ」を出してから一年。
このビルにはパワーストーンを販売する競合店も多く最初はこの店も閑古鳥が鳴いていたが、緑川の人当たりの良さと石に対する知識の豊富さで徐々に顧客も増えて来ていた。
「あら!面白いものが入ったわね」
常連客の水野翠が入ってくるなり声をかけて来た。翠(みどり)の名の通り、特に緑色の石には目がない。
翠は三十八歳。未婚だったが、どうやら裕福な家の娘らしくまともに働いてはいないようだ。
いつも一回の買い物で四~五万使うので「ストーン・エイジ」では上得意だった。
しかし、緑川は「翠がその石を買って行ってしまったらどうしよう」と内心不安になっていた。
「翠さん、一応値段を付けて置いてみたんですけどね、どうしようかと迷っていて…」
緑川が言うと由香が付け加えた。
「社長はあの乙女に恋をしているんですよ。時々話しかけてるの、知ってるんですから」
「うそをつけ…由香ちゃん、変なことを言うなよ…ははは」
翠も一緒になって笑い、都合よく別の話題になった。
「実は私のお友達が恋愛運を上げたいから、ブレス頼んで欲しいと言われたのよ。予算は三万」
「はい、翠さん、ありがとうございます。それではそのお友達の生年月日わかりますか?」
緑川の売り方は生年月日から占ってその人に合うラッキーストーンを割り出す、独特の方法だった。
「そう聞かれるだろうと思って書き留めてきたわよ。1973年10月20日。14時32分、横浜生まれよ」
「はい、わかりました。お友達は恋愛運の他に何の運を上げたいんですか?」
「そろそろ結婚したいって言ってたわ」
「じゃあ、結婚につながる恋愛ということですね。ブレス作っておきます。一週間くらいでよろしいですか?」
「来週の…金曜日…と」
翠は人差し指でとんとんとこめかみのあたりを叩き、一瞬考える素振りを見せたがくるりと振り返ると「いいわよ」と言った。
一週間後の昼過ぎ、翠がやって来た。
「ねえねえ!ビッグニュース!これ見て!」
翠は一枚のチラシを手にしていた。そこには大きな緑色の字で「楼蘭の宝物展」と書かれてあった。
「え?楼蘭?あのタリム盆地にあった都市国家の?」
緑川は自分の好きな分野の話なので目を輝かせた。
「そうよ!で、これを見て欲しいの」
翠が指差した箇所にはいくつかの展示品の写真が印刷されており、そのうちの一つは緑色の女性の彫刻だった…が、首から上がなかった。
「も…もしかして…これは」
緑川が言いかけた言葉を遮って翠は続けた。
「そうよ!これがあの首の胴体よ。間違いないわ。私、直観は鋭いのよ。一瞬鳥肌が立ったわ」
翠は興奮していた。
「しかし、大きさは?合わせてみないと」
緑川はまだ信じられないと言った表情で呟いた。
「だ~か~ら~、来週行きましょうよ。初日に。彫刻の大きさを確かめに」
翠は緑川が信じないことに苛立ったような声を出した。
「じゃあ、社長があの首を持って行けばいいんですね」
由香も興奮していた。
「ダメダメ、そんなことしたら。没収されちゃうかも知れないでしょう。相手は中国政府よ。一旦渡したら『我が国の文化財』とか言って返してくれないわよ。ここは慎重にことを進めないと。
だから、店頭からも一旦隠しておいた方がいいと思うの。たとえばマスコミとか…、誰かが気付いたらまずいでしょ?」
翠の言うことも尤もだった。
緑川はすぐにショーケースのキーを取り出すと「緑の首の乙女」を取り出し、袋に入れ金庫にしまった。
「わあ、私何だか興奮して来ちゃった。もしも本物だったら…何千万だかわからないわよ」
翠は自分のことのように張り切っていた。
「じゃあ、翠さん、このことは一応内緒ということで…」
緑川は唇に人差し指を当てて言った。
「由香ちゃんも頼むよ」
「はい、社長!」
由香も上気した顔で答えた。
Episode 4 「霊言館」
翠は緑川の店から出ると階段を下りてひとつ下のフロアーに降りて行った。
古書店や中古CDショップ、マッサージ店などの前を通り、通路の奥にある店の前に立った。
入り口に紫色のベルベットのカーテンがかかっているその店には黒地に金色の文字の看板がかかっていた。
「霊言館」
翠は一年ほど前に一度だけ来たことがあった。興味本位で入ってみたのだ。
その時は恋愛で悩んでおり、相手との過去生の因縁などを知りたいと思って来たのだが…残念ながら「縁は薄い」と言われガッカリしたのを憶えている。
もっとも、その相手とはその後二カ月ほどで別れたので、やはり縁が薄かったのだろうと納得したのだが。
紫色のカーテンを開けるとその部屋には強い香りの煙が立ち込めていた。
思わず「うっ!」と息を止めると、中年の女性が奥から出て来て声をかけた。
「ごめんなさいね。今、ホワイトセージを焚いているのよ。ちょっと浄化しようと思って」
年齢不詳の女性だった。中年…あるいはもう老人なのかも知れないが、スラリとした引き締まった体型とキリっとした目元のせいでかなり若く見える。
栗色の髪は染めているのだろう。黒地に金色の模様の入ったガウンを羽織っており、その模様は良く見ると星座の記号になっていた。
「あの…以前見ていただいた男性の先生は…」
「ああ、シロウリー先生ね。もう辞めてしまったのよ。今は私ひとり。ジェイドと申します。私でよろしければどうぞ。料金は30分¥10000よ。で、どんな悩みなの?」
「ええ、あの、前世とか過去世とかを知りたいんですけど…」
「前世ねぇ…何か気になることがあったの?まあ、どうぞお座りください」
いつの間にか翠はジェイド先生のペースに乗せられ椅子に座ってしまっていた。
「では、翠さん、私の手を握って目を閉じて…何も考えないでいいからね」
ジェイド先生は翠の手を柔らかく握ると、目を閉じ静かに呼吸を繰り返した。
「はい、ではこのペンデュラムを使いますよ。見ていてね」
ジェイド先生は黒い袋の中から金色の鎖の振り子を取り出した。先端には緑色の円錐形の石がぶら下がっている。
「ああ、これがペンデュラムというのね…きれい…」
翠はペンデュラムの現物を見るのは初めてだった。
ジェイド先生はその翡翠のペンデュラムを右手に持つと、テーブルの上に広げられた世界地図の上に掲げた。
しばらくするとペンデュラムが揺れ始め、ジェイド先生の手がするすると地図上を移動した。そしてこう言った
「うん。一番強いのはこの辺ね」
そこはチベットの北、モンゴルの西の辺りの真上で、ペンデュラムが大きく回転していた。
ジェイド先生は翠の目をジッと見つめると尋ねた。
「この辺りに何か興味があるの?」
翠は緑川の店に置いてあったあの「緑の首の乙女」を見た時に感じた気持ちを口に出してみた。ジェイド先生なら聞いてくれると思ったからだ。
「あの…私、昔、この辺で生きていたことがあると思うんです。で、当時の私をモデルにした彫刻も見たんです」
「うん…彫刻のモデルがあなたかどうかは別として、この辺で生きた過去世があったのは間違いないようね」
「え?やっぱりそうですか?私、何だか胸がザワザワするんです。中央アジアとかシルクロードとか聞くと」
ジェイド先生は斜め上の方に顔を向けると目を閉じ語り始めた。
「あなたの過去の姿が見える…何か冠の様なものをかぶっている。まだ若い女性。身分が高いようね。ちょっと悲しい表情…悲しい恋?好きな人と結ばれない宿命…」
「え?好きな人と結ばれない?相手は?誰なんですか?」
翠は畳み掛けるように問いかけた。
「わからない。彼女の心の中から伝わってくるのは絶望した悲しい思いだけ。恋してはならない相手…身分が違うことが原因かも知れない。
ああ!彼女は死ぬつもりね。何かを飲んで倒れる。苦しい…苦しい」
ジェイド先生は眉間に皺を寄せて苦しそうに身悶えすると急に目を開いて言った。
「ごめんなさい。もうこれ以上は見れないわ。彼女の人生はここで終わった。あなたの過去世よ」
翠は不満そうに言った。
「でもジェイド先生、私は彫刻のことを知りたいの。そう!このチラシに写真があるわ。これを見れば何かわかるでしょ?」
「では写真を見せてみて。使えるかどうかわからないけど」
翠が「楼蘭の宝物展」のチラシをテーブルの上に広げると、ジェイド先生は再びペンデュラムを掲げた。
「じゃあ、やってみるわ。何もわからなかったらごめんなさい」
ジェイド先生はしばらくペンデュラムをぶら下げていたが、その内、グルングルンと回り出した。
「ああ、反応があった。ちょっと待ってね」
ジェイド先生はまた眼を閉じて語り出した。
「ああ、男…若い男が、彫っている。緑色の石。女性の姿。亡くなった少女の想い出。ああ、彼の悲しみ。この人が少女の愛した人。彼は悲しみを込めて彫っている」
翠は不思議な感情がこみ上げるのを感じていた。なぜか涙が溢れてくる。
「ああ!カン…カン…」
翠は自分でも驚いた。何故か言葉が出て来る。
「え?カン?何?この人の名前なの?」
ジェイド先生が尋ねると翠は頷いた。
「そう、カン。急に思い出したの。その若い男の人の名前」
「そう…でも、翠さん、その人も昔の人よ。あなたが思い出したのは良かったけど、今日はこれくらいにしておきましょう。あまり深く過去に入り込み過ぎるのは良くないわ」
ジェイド先生は時計を見ながら言った。もうすでに30分を過ぎていたからだ。
「わかりました。ジェイド先生、ありがとうございます。また来ますね」
翠は店から出ると何かを考え込むような表情でゆっくりと階段を降りて行った。
Episode 5 「緑の首の乙女」
「緑の首の乙女、胴体と繋がる!2000年ぶり」
「Oh Shit…」
朝刊の紙面に踊る文字を見てカイル・マーフィーはつぶやいた。
「どうしたの?カイル」
キッチンで洗い物をしている母が声をかけた。
「俺がイラクで手に入れた首の彫刻の胴体部分が見つかったんだよ。日本で…」
カイルは悔しそうな声で応じた。
「へえ、それで…何がそんなに悔しいの?」
「俺が10ドルで買った首が、数万ドルの値打ちモノだったんだよ!」
カイルは新聞紙を丸めてテーブルを叩いた。
「あはは、あなたもパパに似てお金に縁のない人ね」
母親は笑いながら言った。
それを聞くとカイルはビールをラッパ飲みして叫んだ。
「Shit! Shit! Shit!」
ラジオからBeckのLoserが小さな音で流れていた。
「I’m a loser baby, so why don’t you kill me?」
照屋は朝食を済ませるとボーっとテレビを見ていた。
妻はスーパーのレジ打ちのパートに出かけたし、自分の骨董品店は定休日だ。溜まっている書類の整理でもするか…。
「ん?」
ふと見たニュースの画面にくぎ付けになった。
「東京上野の博物館で展示中だった楼蘭の少女像の頭部が発見されました。都内在住の個人が所有していたもので、近々中国政府に返還される予定です」
画面には首のない緑色の胴体の彫刻と頭部の画像が並んでいた。
「あれ?あの緑の首?ありりぃ!ロペスさんの持って来たあの石?」
照屋は店の販売記録のファイルを取り出すと「緑の首の乙女」の写真を探し出した。
「ああ…しまった。35ドルで売っちゃった…ああ」
照屋は畳の上にごろりと寝転がると天井を見上げた。あの首の値打ちがわからないようでは、自分は古物商として失格ではないか。
「ああ…わじわじ~」
照屋は頭を掻き毟った。
「にゃぁ」
黒猫のワカメが心配そうに照屋の顔を覗き込んでいた。
中野の裏通りにあるカフェ。翠は上機嫌で窓際の席に座っていた。
「ああ…カフェラテ、おいしい…」
翠はボーっと道行く人たちを眺めていた。
「緑の首の乙女」は三日前、麻布の中国大使館で無事に引き渡しが済んだ。
伯父のコネを使って交渉したのだ。翠の伯父は政治家だった。もちろん、伯父も自分の得になる話だと納得した上で進めてくれたのだが…。
「首」の持ち主である緑川は売却価格の4000万円の中から1000万円を翠に分けようとしたが、翠は断った。
その代り、翠は中国政府に条件を付けるように緑川に頼んだ。緑の乙女の彫刻は北京ではなく、ウルムチの博物館に展示することを確約して欲しいと。
これは翠の…と言うよりも翠の魂の想いだった。
少しでも故郷の楼蘭の近くに置いて欲しいと言う想い…いや、それ以前に、北京のようなpm2.5に汚染された場所に置いて欲しくなかったのだが、この理由は中国政府には言えなかった。
結局、この件に関しては中国大使館から念書をもらうことで緑川も翠も納得した。
しかし、翠の幸せな気持ちには別の理由があった。今回の件がきっかけで緑川と交際するようになったのだ。
もともと緑川の店「ストーン・エイジ」に足繁く通っていたのも彼に寄せるほのかな思いがあったからなのだが、今回の件で急接近することができたのだ。
「私は…お金より大事なものを手に入れた…緑川さん…じゃなくて…カン…」
もちろん、緑川には何も言っていない。
「あなたは緑の乙女の像を彫ったカンの生まれ変わり」などと言ったら絶対に怪しまれるに違いない。
変なカルト信者だと思われては最悪だ。本人が自然に気づくまで待とう。時間は充分あるのだから。
「We can be Heroes Just for one day♪」
David BowieのHeroesが店内に流れていた。
もうそろそろ緑川がやって来る時間だ。
翠は唇についたカフェラテのミルクをペロリと舐めて微笑んだ。
(完)
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