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神様と繋がり続けられる嬉しさ(1983年〜)【この道を歩いて行こう】

久しぶりにnoteに記事を書いてみようと思う。

プロフィールを作成する上で、今までの自分を振り返るためにマガジンNEPPIE’s History〜この道を歩いて行こう〜」を作ったのが3年くらい前。

前回書いたのが2022年5月なので、超久しぶりになってしまった。
今回は、教会に通っているクリスチャンとしての私を振り返ってみたいと思う。

クリスチャンになるまで

私が所属している常盤台バプテスト教会

私は1984年4月22日に洗礼(バプテスマ)を受けて、クリスチャンになった。

教会に通うようになったきっかけは、中学受験で合格した学校がミッションスクールの女子聖学院だったこと。

学校の課題で「教会の礼拝に出てレポートを書く」というのがあったので、教会を探していたら、実は近くに教会があったということに気づいた。

中学校に入学してからは、毎朝の礼拝(礼拝堂、教室)と聖書の授業でキリスト教を学び、日曜日は地元の教会で礼拝に出るという日常になった。

教会では礼拝の前に、教会学校(日曜学校)もあって、中高科(中学生と高校生のクラス)にも参加していた。

日曜日、教会にいることが楽しくなってきて、この年のクリスマス前にイエス・キリストを信じますという事を決意。

そして翌年、中学2年生になって4月22日のイースターにバプテスマ(洗礼)を受けて、クリスチャンになった。

クリスチャンになっても

久しぶりに訪れた短大(現:聖学院大学)のキャンパスにて(2023年11月)
Photo.Kentaro Hashimoto

下記は1999年に地域に配布される教会の機関誌「めぐみ」に書いた証である。

証 「聖書と私」

天が下のすべての事には季節があり、
すべてのわざには時がある。

(口語訳 伝道の書3章1節)

私が常盤台教会に通うようになったのは今から16年前の春でした。
それまで教会とは殆ど無縁の生活を送っていたのですが、私立中学に入学することが決まり、入学説明会に母と行ってきました。そこでこの学校がミッションスクールだという事を初めて知りました。説明会で音楽の先生の指揮で讃美歌312 番「いつくしみ深き」を歌った時、新鮮な気分になった事を今でも覚えています。そして宗教主任の先生から「近くに教会があったら、通ってみましょう」と言われたので、家から歩いて5分位の常盤台教会に行くことになったのです。1983年3月の事でした。

最初の頃はキリストの話を聞いても何が何だか分からなかったのですが、教会で新しい友達が出来、神様の事も少し分かってきた様な気がしました。通い始めてまだ1年も満たない冬の日、祈りの時「バプテスマを受けて、信仰を持ちたい人は手を挙げて下さい」という招きに応えたのでした。
目を開けた時「関さんは決心をしてバプテスマを受けることになりました」と言われ初めて事の重大さを知ったのですが、今思えばあの時手を挙げなかったら、信仰を持たないまま教会生活が終わっていたかもと思いました。

翌1984年4月22日、イースターの日にバプテスマを受けたのですが、今日まで順風満帆に信仰生活を送った訳ではありませんでした。とてつもない罪を犯したことがあったし、周りの人と のいざこざもしばしばでした。
でも教会に行くのをやめようとは思わなかったのです。単に家から近いという理由ではなく、私の生活の中で、神様が必要であるという事を知ったからです。

クリスチャンになったのも、いろんな罪を犯してしまったのも、すべて神様からのご計画によってなされていることに気づいたのです。
バプテスマを受けて約15年半経った今、私の「これから」は全て神様から用意して下さるであろうと思い毎日祈りながら歩んでいこうと思っている今日この頃です。

常盤台バプテスト教会 機関誌「めぐみ」1999年10月10日発行 

クリスチャンになったというと、悪いことはしない、罪はおかさないという聖人君主というイメージがあるかもしれない。

しかし、実際の私はクリスチャンになっても真面目でないし、神様の事を忘れてしまうことが多いし、取り返しのつかないこともたくさんしてきた。

それでも何度も立ち直る事が出来たのも、神様とつながっていたからと信じきれる。

神様とつながって得たもの

教会に隣接している幼稚園

教会に通うようになって得たものはたくさんある。

教会内だけでなく、教会外での集会でも多くのクリスチャン仲間との出会いが出来たのも嬉しかった。

静岡にある山荘で開催された全国青年大会(全国の教会に繋がっている青年たちと集まるイベント)では参加者として、主催者として参加出来て、多くの学びと出会いが出来た。

2010年8月 天城山荘。奥にはチャペルが見える

教会では小さいこどもから年輩の方(信仰の先輩)が集まっていて、様々な年代と礼拝や集会、聖歌隊などで交流出来ている。

子どもたちとは讃美歌を一緒に歌ったり、教会学校で学んだり交流したりしている。
短大卒業後、幼稚園の先生を勤めていたけど、1年でやめてしまったので、その経験も少しは生きているかな。

聖歌隊で賛美できるのも嬉しい。
コロナ禍前は毎週日曜日に礼拝で賛美をしていて、練習も含めて大変だったけど、礼拝で賛美リード出来る嬉しさを感じた。
今は月1〜2回、礼拝で賛美リード(+特別賛美)だけど、毎週だとキツイと思っていたので今のペースがちょうどいい感じがしている。

忘れてはいけない、一番大切なもの

聖学院大学のツリー(2023年11月)

今回、自分のクリスチャン生活を振り返ってみた。

教会に来ていると奉仕が多くなるけど、一番大事なのは
「神様を忘れない」ことだと思う。

教会での忙しさにのまれて、大切な事を見失うことは何度もあった。
気がつけば日曜日や教会に行っているときだけ「クリスチャン」になっていることもしばしば。(「サンデークリスチャン」とも言えそう)

そのことに気付かされる度に、それでも神様がいつも私に寄り添ってくれていることに感謝する日々である。

昨年3月の卒園・卒業感謝礼拝。
聖歌隊と子どもたちの聖歌隊で「神様の樹になりたい」を賛美した。

主のみてが大きく 大きく 世界中に伸びていくような
ぼくらはいま 主に結ばれ 神様の樹になりたい

「神様の樹になりたい」歌詞

「神様の樹」とは、
どんな時も、どんな所でも、神様に結ばれている樹。

神様に出会えて30数年。
今後、自分がどんな道を歩むか分からないけど、
これからも神様とつながっていけることに感謝して歩んでいきたい。

「神様の樹になりたい」のアニメーション。ほんわかします。




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