流し書き9(合唱について、詩についてのオブザベーション)
中高で合唱が義務だったので、必然と良質な詩が身体に根づいている。優れた教育に感謝する瞬間とはこのようなときのことだと思う。
合唱について
非言語的芸術への傾倒
中高の時は、合唱といっても専ら音の方の虜になっていた。というのも小さい時から耳はよく、音程や音の響きには敏感で、楽典の知識がなくても音楽のダイナミクスを割と直感的に理解できる。何も音楽に限った話ではなく、絵画を見ても色や形といった非言語的な部分に魅力を見出すし、思想でもベルクソンやそれに続くような人間を固定化された記号の中に押し込めない考え方が好きだ。このような流動的な世界の情緒に浸っているとき、僕は底知れない快感と安心感を抱く。非言語的な世界の情緒は、僕が言葉にして他人に説明することも、他人がそれを解釈して評価を下すこともできない、絶対的に個人的なサンクチュアリーなんです。還言すれば、そこには他者による侵犯がなく、他者による理不尽な評価がなく、故に僕が僕でいられるのだ。僕はこの特権的な快楽を、合唱という音楽の響きに見出していた。そして、共に音楽を奏でる同級生達にも同じ快楽を味わって欲しいと強く思っていた。勿論、言葉で伝達出来ないというジレンマに悩みながら。結果として、現実世界で指揮者の僕に出来ることは、徹底的な技術面の指導であり、その最終成果物を同級生達が快楽として見做したのかは確認不可能なままなわけだけれど。
中高合唱時代
卒業後も合唱の響きの快楽を追憶したくて、当時演奏した曲を聴き直すことがあった。実際に演奏したかに関係なく、当時快楽をもたらした曲は今でも僕を喜ばせる。信長貴富作品は、斬新な音と馴染み易さで僕達の多くを魅了した。組曲「新しい歌」はスナップやクラップを駆使した「新しい歌」の他、12/8拍子でブルース調の「鎮魂歌へのリクエスト」でも僕に衝撃を与えた。現代調の合唱曲に慣れると、昭和の日本歌謡のような暗い響きを残した古めの作品に傾倒した。大中恩の「島よ」の日本列島が噴火したかのような突き上げる力強さ、堅さ。刺激的な作品の反動は、木下牧子のバランス感に優れた作品をより味わい深くさせる。早逝した若き天才建築家・詩人立原道造のソネットを美しきアカペラにまとめた「夢見たものは」の切ない響き。青年の青さと暗さ、決意が深緑の9/8拍子で奏でられる「Enfance finie」。
慶應ワグネル、2017年の演奏が録音環境含め非常に美しいので是非こちらから曲の方も聴いてほしい。
本題に戻ろう。中高時代を思い出しながらかつて好きだった曲を繰り返し聴いていると、段々歌詞の方にも関心が湧いてくるようになった。
「ぼくが死んでも」
発端は信長貴富作曲・寺山修司作詞の「思い出すために」組曲の4楽章、「ぼくが死んでも」だ。言葉に鈍かった高校一年当時の僕でも、この詩の世界観は衝撃的に美しいと思った。
ドラマチックな詩が集められた組曲内では、地味で目立たない詩である。曲は静かな3/4拍子で、不協和音のイントロが解消されて歌い出しに入って行き、途中あきかけのドアから海風が吹き込んでくるかのような疾走感のあるパートを挟み、切なくそのまま終わる。明確な「間奏曲」だ。
当時、合唱祭でクラスが歌う曲を2曲選ばないといけなくて、僕はこの曲を1曲目に推薦した。青春を真っ直ぐに叫ぶ曲や、難解で技巧立った曲が評価されやすいコンテストだった。しかし、最下級生の当時入賞の望みは薄かったので、勝負から自由になり、高校一年生の青い声と言葉を美しく響かせることにより価値があると思った。そして今振り返ってもその決断は正しかった。未熟ながらも美しい演奏だった。透き通って、繊細で、爽やかな前菜だった。残念ながら老人審査員の口には合わなかったようだけれど。音楽好きの当時の担任が「一番だった」と言ってくれた気遣いが当時は辛かったが、今思うと彼は本音でそう伝えてくれていたのかもしれない。
とにかく、この曲は僕が音楽だけでなく言葉をも好きになる転回点になった。当時影響を受けた女の子が寺山修司好きだったということもある。合唱祭、その子、高校一年という曖昧な時期、今とは違った自意識のあり方とその感覚、そういった近くも遠い思い出のミックスが僕にとっての「ぼくが死んでも」である。
客観的芸術への転回
序盤に書き連ねたように、非言語の芸術が他者社会からのサンクチュアリーだとすれば、言葉を気にかけるようになるとは芸術の主観性の否定である。僕は詩をよめるようになるために、主観世界の特権を放棄しなければならなかった。しかし、他者という基準を自分に課して、常に自己批判的にいるというのは社会に生きる我々にとっては最早習慣とさえ言える当然の営みだ。流動的世界の快楽に溺れている(これ自体批判的表現だが)と、僕に内在化された社会がこう批判をする、お前は他者との掛け合いを放棄して、自分だけでは到達し得ない新たなる領域、そこに達するという社会に生きることの至高の部分を逃しているのではないか、と。
芸術の客観性を引き受けてから、僕は他人が書いた詩をリバースエンジニアリング出来るようになった。今までの詩に対する観察から演繹した幾つかの点を、以下「詩についてのオブザベーション」として書き残していきたい。
詩についてのオブザベーション
客観的観察力が何よりも重要
詩は作者の心情をうたうものだが、その心情は明確な情景描写や比喩で表されなければならない。詩に価値を人々が認めるのは、それが身勝手な感情の吐露ではなく、具体的心情表現の技術作だからである。
先程紹介した大中恩作曲の「島よ」、作詞は1970年当時45歳前後だった伊藤海彦。擬人法で、初老に近づき若き野心に満ちた日々を失いつつある自己を、かつては熱く溶けた溶岩だった島が夕焼けに赤く照らされている様に喩えている。青い空が夜に傾きつつある間の時間で、島という「静」の中に「動」が一瞬垣間見える。初老に差し掛かる作者にも、ふと若き日の心が蘇りそうになったのだろう。
この一節を作詩するには、夕焼けが山々を赤く照らす様、山々はかつては溶岩だったという科学的事実、山があり、海があり、その果てに太陽が沈んでいるという構図を明確にもっている必要がある。
この美しい田園風景を唄った詩に難しい表現は一切ない。
立原が夢見、願っているのは「ひとつ」の幸福、愛であり、立原から見えている山並みのあちらには、「ひとつ」の村、「ひとつ」の空、「ひとつ」の輪になって踊る少女達、「一羽」の小鳥がある。
そうしたささやかな幸福、愛ですら、「山なみ」によって阻まれてしまっているのである。だから作者はそれを「夢み」ることしかできない。
遠ざかる比喩と、近づいてくる比喩
比喩とは、AとBという2つの物があって、AをBに喩える、又はBをAに喩えることだ。その意味で2つの物がある時、比喩の方向は必ず2通り有り得る。
これは一般論である。
詩をうたうのは常に人間である。草花もうたうことが有るかも知れないが、そう言った時点でそれは比喩だ。すると、比喩におけるAとBで、どちらが人間で、どちらが非人間かは無関係な問題ではなくなる。ここが僕は非常に面白い部分だと思った。
AとBという対等な記号を、H(人間)とN(非人間)という非対称な記号に置き換えてみる。すると比喩というのはHをNに喩えるか、NをHに喩えるかの2種類に大別できるようになった。
僕はHをNに喩えることを遠ざかる比喩、NをHに喩えることを近づいてくる比喩と呼びたい。
遠ざかる比喩は、自分の心の拡がりを実感させてくれる。人間、ちっぽけな存在だがそれは大きなものになり得るのである、心の中でなら。
近づいてくる比喩は、自分を小さく感じさせる。自然・世界は人間を凌駕する存在である。ちっぽけな我々はその荘厳さを味わう権利がある。
紹介した合唱曲
I. 新しい歌(男声合唱とピアノのための「新しい歌」より)
Ⅳ. 鎮魂歌へのリクエスト(男声合唱とピアノのための「新しい歌」より)
Ⅳ(男声合唱曲「島よ」より)
夢みたものは・・・ (混声合唱曲集「夢みたものは」より)
Ⅰ. Enfance finie(男声合唱組曲「Enfance finie〜過ぎ去りし少年時代〜」より)
Ⅱ. 自由さのため(男声合唱とピアノのための「初心のうた」より)
III. 二十億光年の孤独(混声合唱曲集「地平線のかなたへ」より)
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