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無意識に引き寄せてることについて(⚠️かなり不謹慎です)

前置き

私は普段、いわゆる「引き寄せの法則」を意識して使ってるつもりはないのですが、でも人生でたびたび、「ふと考えたことやどこかに書き出した願い事が、数ヶ月から数年ぐらいのスパンで叶っている」という体験を何度もしており、これは…って思ってはいました。

しかし先日は悪いことが起きました。
認知症の祖母が失踪したんですね。
もう最近はだいぶ進行しており、目を離すとちらほらいなくなってはいたんですが、すぐに近所の人に連れ戻されて帰ってきていたんです。
でもその日は待てど暮らせど帰ってこなかったので駐在所に連絡しました。
顛末ですが、家から6キロ離れた場所まで歩いていっており、そこで倒れていたところを通行人が見つけて救急車を呼んでくださったようで、病院で見つかりました。
全身を検査した結果どこも異常がないということで、即日帰ってきました。
92歳にして6キロの距離を、杖もなしで歩くか…。私よりも頑丈です。

ただ、「…私この出来事引き寄せたかな?そんなはずないな」って最初は思った。思ったけど、心当たりがありました。
この件が起こるより数日前?1週間ぐらい前?正確な日数は覚えてませんが、とにかく最近ふと思ってしまったことがありました。それは「母も早くラクになれるといいのにな…そうすればふたりで自由に出掛けられるところももっと増えるのに」って思ってしまったんですね。
不謹慎な考え事ですから、このときはツイッターはもちろんブログやこういったnoteにも書きませんでした。なのに、「祖母の死が近づく」という出来事が起きたなと思いました。
良いことを引き寄せるのには数年ぐらいかかるのに、悪いことを引き寄せるのはわずか1週間たらず。悪いことは考えるもんじゃないな…とは思ったけれども、
そもそも「悪いこと」とは…?ってまた思考が飛びました。

発見された病院の先生が言うには、「いろいろ質問をしたけれども自分のお名前しか言えなかった」と。
自分の名前しかわからない状態で生きるってなんだろう…?ってまぁ思いましたね。
確かに少し前までは、入院させたりするのは人権を剥奪してるみたいで可哀そうだという気持ちはありましたが、いざ警察沙汰になるとそうも言っていられない。
即日で帰れるのは良かったことだけれども、正直言うと入院のほうがよかったかもしれないという考えもありました。
なぜなら、さきほども書いたように、足腰が丈夫でご飯を普通に食べ、6キロも歩くような人なので、いくら役所で再審査をしたとしても、おそらく要介護度は2よりも上がりません。要介護が2のままということは老健は使えませんから、施設だとしたら一般の施設に入ることになる。その一般施設に払えるお金を持ち合わせていません。
世帯分離して生活保護にするとか、色々方法は提案されてはいますが、祖母名義の預金もまだありますのですぐには生活保護にはできません。
その点、入院なら、一定額以上はかからないはずなので、そのほうがまだマシかな…?とかは思いました。
現状で一番妥当な解決策が「GPSをつける」しかありません。

人の死は悪いこと?

人の死というのは悪い出来事かもしれません。
しかし、認知症の人を自宅で見るということから、嫌な言い方をすると解放されるということです。
もちろんお葬式やらいろんな手続きやらでバタバタするでしょうし、お葬式自体にもお金はかかりますから、良い解決だとは思いませんが、長期的に見れば、私と母の二人暮らしのほうが精神的には安定するんだろうけどな…って感じですね。

それともうひとつ。私は身内の死よりも先に、身近な人と死別しています。
10年連れ添った彼氏の死です。これが3年前にありました。
それも、たとえば『癌のような病気になって少しずつ弱っていって、もうダメか…って看取った』とかではなく、ある日突然、てんかんの発作でブラックアウトでした。
心の準備なんて何もできるはずがありません。また起きてくるものだと思って、いつも通りに「おやすみー」って言って寝たら二度と起きてきませんでした。
そのときも、2年間ぐらいは、「立ち直れる気がしない…」って引きずりまくっていました。
でも3年目にして爆速で立ち直った後、「ある意味、愛という名の思考停止に陥っていたのかな…?」って思ったりしていました。
彼氏は、私の性格のこともよく理解してくれていたし、努力していない外見も非難してきませんでした。怒っている姿は思い出せないぐらいです。そういう安心できる居場所があったという事実は間違いなく幸せだというのは認めていますが、でもその一方で、常にふたりの世界で完結していたので「何か新しいことを始めようかな?」っていうスイッチが一切入らなかったんですよね。毎日同じ暮らしをして、それに疑問を持ちませんでした。
ある意味その生活がぶった切られたということです。
結果的に、私は独りになった今の自分をそんなに嫌いではないんですよね。
経験がもたらしてくれたものは無駄ではありません。遠距離恋愛をしていなかったら、私はきっと一度も地元から出られなかった。ひとりであの巨大な東京駅を攻略できるなんて考えもしなかったし、オフ会もしなかったし、その後もひとりで旅行なんてできなかった。
いろんなキッカケを与えてくれたけれども、ある一定の時期を過ぎてから成長というか新しい経験を積めなくなっていたので、「ぶった切られたのもある意味では起こるべくして…」って今では思っているところがあります。

とまぁ…🙇ここでこれを書いたことによってまた何かが起こるかもしれませんが、とにかく右往左往せずに全部受け止めていければと思います。今ならそれができるような気はします。
だいぶ不謹慎な話にお付き合いいただきましてありがとうございました。

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