無知とは学力や知識のことではない
インドはとても信仰の厚い国です。
毎日寺院には神聖な花を捧げ、神に祈りを捧げてます。
その花は年間800万トン。
1日に2トンを軽くこえるそうですが、花で2トンってエグない?!と思ったサクラです。こんにちわ。
いやびっくりしたんだけど、神に捧げた花はゴミにしちゃいけないんだって。それで全部をガンジス川に流しちゃうのだそう。
このお花、農薬がすごいらしくてね。
ガンジス川で腐ってしまった花は、猛毒になって母なる河を汚し続けているんだそうです
神を信仰する代償がこれなんて・・・
無知とは罪だという人がいます。
その無知とは何か、ということです。
無知とは読み書きができないということでも、計算ができないということでもありません。
無知とは、今目の前の現実が見えなくなってしまうことです。
インドの信仰心の強さゆえに起こった公害。
それは生態系を破壊し、私たちの健康も蝕んでいる現実。
そこが、信仰と今までの常識という名のもとに、見えなくなってしまっているんです。
インドの人に限らず、私たちはこうした過ちを起こし続けてます。
私たちが信じているものは、本当に真実だろうか?
頑張っているのに結果が出ないのは、頑張りが足りないからなのか?
美しい人がモテて幸せになるというのは、本当だろうか?
スピリチュアルな教えを守っている人たちは幸せなのか?
勉強ができれば、お金があれば、健康なら、結婚すれば、ネガティブな自分を乗り越えれば幸せになるのだろうか?
それ、本当か?
今、私たちはこの分岐点にいます。
何を信じて、何を見るのか。
あなたにとっての世界は何か。
インドの人の多くの世界は、母なる河が汚れていることに目を瞑り、その原因が自分たちの信仰の反動であると思いを馳せることもせず、冷静に考えることもせず、ただ今日も「良いことをしている」という自負のもと、毒の花を神に捧げ、そして川に流す行為を繰り返す。
そこには善も悪もない。
ただ、目の前の現実を見ず、脳内の理想を繰り返し自分はいいことをしていると思っている人がいるだけだ。
私たちも同じことをしている。
目の前の現実を見ず、きっとこうだ、ああだと脳内の理想を追い求めて、自分は正しいと思いたいだけなのかもしれない。
そう思えたとき、新しい時代がくる。
ガンジス川の現実をしっかりと見つめ、その原因が信仰の花にあると見つけ、今自分たちができることをして人々の意識を変えようと努力している、HelpUsGreen(ヘルプ・アス・グリーン)の人たちのように。
素晴らしい活動に感謝と感動。
【インドの花を毒で終わらせないために】