7回目 飛龍伝2020を見た後の事
飛龍伝を見てぼろぼろ泣いた。帰りの車中でレターを送り自宅に着いてからもまだ余韻抜けなかった。いろいろ済ませて寝床の入るも、いろんな事が気になって調べまっくた挙句一睡もせず朝になってしまった。文章に起こす事も辛い惨劇、その組織の勧誘方法、ヘルメットの文字の意味、と、あの舞台で感じた疑問を調べた。
親にも聞いてみるが世代が違うからか当時の事は何も聞けなかった。当時、舞台の登場人物と同じ位の年齢の人は親の世代のふたつ位上の世代。まぁ仕方ない。
その夜も寝る時になってまだ残ってた疑問をWikipediaを頼りに調べた。調べて行く内に菅井様が演じた人にはモデルが居る事を知る。何処かで聞いた名前だなと思いつつ、この時は思い出せなかった。
その週だったか次の週だったか思い出せないけど、土曜日になっていつもの様に仕事しつつラジオを聞く。「久米宏 ラジオなんですけど」を。そのラジオの中で永六輔の声が流れて来た時に全てが繋がった。
「ラジオなんですけど」の前の時間に放送してた「土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界」この番組を聴くきっかけは「上を向いて歩こう」の作詞した人だと親に教えられて、オリジナル曲の歌詞のお手本になるかなと思ったから。でも祖父が亡くなった後、永六輔を自分の祖父の様な感覚で聴いていた。
その土曜ワイドの中で永六輔と大橋巨泉が樺美智子の話をしていた事を思い出した。その放送を聴いてた当時「へぇ〜そんな人居たんだ〜。調べてみようかな〜」とは思った物の調べずに忘れてた。
それが推しフィルタを通して見ると違って見えてくるんだから不思議な物だ。「菅井様が演じた人のモデルは永六輔が話してたあの人だったのか‼︎」って(笑)
ラジオでお爺さん2人が話してるのを聴いた時と飛龍伝との時間差、約7年位だと思う。たぶん。正確な事は分からないけど。それが繋がった瞬間だった。
その瞬間、正直怖かったね。
推しをベースにオタ活をしてる自分と「アイドルなんてさ〜」と毛嫌いして居た自分が同じ物を見聞きしてるんだから。
人生ってのは良く分からない物だなぁと。
そんな不思議な体験をさせてくれた、推しにも飛龍伝2020の関係者には感謝しか無い。初舞台観劇が飛龍伝2020で良かったなぁと心底思う。