便所 2088
西暦2088年。科学は飛躍的な進化を果たし、人間はあらゆる無駄を省くことに成功した。その中でも、独自の進化を遂げたものがある。
便所である。
便所といえば、ただ用を足すためだけのもの。昔はそういう認識だった。使われていた技術も、音姫(恥ずかしさを和らげる水音)やウォシュレット(自動ケツ洗い機)くらいのものだ。しかし、時代は変わった。今や便所とは、アミューズメント施設なのだ。
その種類は様々だ。いくつか紹介しよう。
まずは一つ目。入室した瞬間、AI生成された爆音クラブミュージックがお出迎えしてくれる。中央に浮かぶミラーボールにしょんべんをすると、七色の光を発しながらランダム回転をし、しょんべんを吸収して内部で分解される。うんこをする際にはミラーボールにまたがる。すると、ミラーボールの中に潜む高性能AI・便所DJがアナルを優しくスクラッチし、便意を促してくれる。排出されたうんこは即座にミラーボールに吸収される。出し終わりを感知した便所DJが、ケツに付着したうんこを超高速でスクラッチして拭い取る。全てが完了すると、ジャジーな曲に切り替わるぞ。
二つ目。入室した瞬間、広大な日本庭園が出現し、AIオーケストラによる雅な音楽が響き渡る。砂場にしょんべんをすると瞬時に乾き、頭上にホログラムの桜が舞い、全身は桜の香りで包まれる。うんこをするとそのうんこは瞬時に砂場に潜り、同様のことが起こる。排便後は真下にししおどしが現れ、桜の成分が入った蒸気が噴射。うんこの付着場所を検知し、洗い流す。全てが完了すると、ししおどしがカコーン!と鳴って教えてくれるぞ。
三つ目。入室した瞬間、便所用に作られた小宇宙が広がる(呼吸は出来るぞ!)。どうやって用を足すのか。ただぶっ放せばいい。しょんべんを宇宙空間に放つと小さなブラックホールが現れ、瞬く間に吸い込んでくれる。うんこの場合は大きなブラックホールが現れ、同様のことが起こる。排便後はケツにダークマターが集まり、うんこを分解してくれる。全てが完了すると、宇宙船に乗っているクルーが窓越しに手を振ってくれるぞ。
四つ目。入室した瞬間、両壁に生えている機械の骨組みだけのアームに履いてるものを下げられ、センサーで陰部の形状確認が行われる。形を把握したアームが陰部を支え、擬似溶鉱炉にしょんべんを促す。うんこの場合はアームがケツをがっちり支え、同様のことをする。排便後はサイボーグが壁を破壊(フェイク映像)して現れ、アナルをロックオンし、うんこだけを焼き切るレーザーをピンポイントで照射してくれる。全てが完了すると、機械音声でグッドラックと言われるぞ。
五つ目。昔の便所である。およそ、70年ほど前の型式だ。今のような演出はない。フタを手動で開ける。しょんべんを放つ。手動で流す。フタを手動で開ける。座る。うんこをする。手で紙を取り、ケツに当てがい、拭く。現代の便所に慣れてしまった我々には、耐え難い手間の多さだ。しかし、年配の人は言う。
「あの頃は良かった。今の便所は間違った方向に進んでいる」
そんなバカな。元々知識としてはあったが、今より昔の方が良いとはにわかに信じ難い。筆者はこれを老人の妄言として扱っていたが、その真意を確かめるべく第二現実にダイブし、AIに全く同じ条件の便所を生成してもらった。
老人の妄言という言葉。訂正したい。
まずはドアノブをつかんで捻り、ドアを開ける。今の人はドアノブなど存在も知らないだろう。私も初めて触った。便座に座り、うんこをする。驚くほど何も起こらない。が、私は退屈さではなく、安らぎを覚えてしまったのだ。うんこが下に溜まっていた水に着地する音が聞こえたのが新鮮だった。しかし、問題はこの後である。私はあえて、ウォシュレットを使わなかった。昔のケツ洗い機ではあるが、使った方がマシなのは確実だ。だが私はあえてアナログな、紙で拭くという行為のみを実践した。……なるほど、これは昔の私だ。筆者は現在、脳波でこの記事を書いているわけだが、入社した当時は今では珍しいキーボードを使っていた。手で打ち込むことが昔は普通だったが、今考えるとかなりの手間だ。紙でケツを拭く行為はそれに似ていた。余談だが、一拭き目に指が貫通してしまい、この後の入念な手洗いを余儀なくされた。
私は元いた現実へ戻り、自宅へ帰った。ふかふかのソファへ座り、ルームモニターを宙に展開させる。
「ブルーマウンテン、苦め」
今日は疲れたので指示はアバウトだ。テーブルの上に置いたマグカップに、ホログラムマスターがゆっくりと注いでくれる。私の自慢の設定だ。
コーヒーを飲み干してしばらくし、尿意を感じた私は便所に入った。先ほど書いた便所はどれも街中や郊外にあるものであり、家の便所はそれに比べると地味である。設定しておいたアンビエントな音楽が鳴る。中央に浮かぶ金属板の位置を調整し、しょんべんを放つ。水分が板を伝って分解され、消える。うんこをするときは、板を下に持っていき、放つ。板は花のつぼみのように閉じ、開いたときには消えている。板はジェル状になり、ケツに付着したうんこを感知して全て拭い取る。一つ目に紹介したクラブ便所のシンプル版と言っていいだろう。
しかしこのとき、私は寂しさを覚えていた。そう、あのレトロ便所を体が欲していたのだ。
あれから私は、レトロ便所を利用するためだけに第二現実にダイブしている。世界でもそんなことをしているのは私だけだろう。
私にとっての癒しが、あの手間の多い空間、ケツを何回も紙で拭う行為になってしまったのだ。
みなさんも、試してみてはいかがだろうか。