桃源郷への構想アーカイブ
僕は時々道に迷いたい気分の時がある。それは時に現実逃避であり、異世界への憧れでもあり、アリスインワンダーランドを読んだ時の感情に近いものだ。読者諸君の中にはこの感覚に共感する者も一定数いることだろう。
大抵、このような欲求を抱えた場合人々は映画や小説、アニメなどの娯楽を楽しむ。逆に言えば、それらの作品はそういった欲求を満たす装置としてこの社会に浸透している側面もあるだろう。だがそれらは作者によって作られた桃源郷であり、人々は俯瞰の視点で楽しむ事しか叶わない。要は、憧れる事はあれど本気で夢見る事はない消費されるものなのだ。
僕に言わせれば、それを桃源郷と捉えるのは余りにも品がない。桃源郷が現実の箸休め的なものなら、そんなものいらない。
僕の桃源郷の定義とは、手を伸ばせど届かず、逃れようとしても逃れられられないような距離感のものである。それは記憶の海の渦潮のようなものであり、時に現れては消えてゆく。桃源郷に時間は存在せず、桃源郷とは胡蝶の夢である。桃源郷とは場所であり、音であり、人であり、香りである。日常という俗界から離れた要素一つ一つに桃源郷が存在する。夢と言っても良いのかもしれない。
開幕からだいぶ酔いしれた内容になっているが、それはアルコールで見ている桃源郷のせいだ。夢うつつの今、寝て起きた後の僕など構うものか。
幻覚からの抜け道
海の向こう、あるいは天のさらに上、地底、深海、異星、並行世界に人々は桃源郷を夢見て来た。だが、大航海時代や宇宙開発をはじめとする科学の発展により認知ができなかった世界はマクロからマクロまで研究されてしまった。
それらの発見により10年前、100年前、1000年前には出会うことも無かったような人々が出会い、海を渡ることも無かった生物が海を渡り、この星の軌道上には1000km下の地上で作られたものが漂っている。
光る板のような電子機器でこの文を書いている光景も、半世紀前の人々からしたらSFのように映ることだろう。
だが、いくら科学が発展しようと人の持つ感覚は完全にプライベートなものであり、それを侵すことは不可能だ。心理学において人間の五感は研究が進んでいるが、実際に体感した経験を完全に読み解く事はできない。体感によって広がる世界は絶対に侵略不可能な世界であり、認知不可能な領域には古より夢が芽吹く。
幻聴、幻覚の類を人は実在しないものというが、五感で体感している以上、その光景や音、痛みや喜びは一つの感覚である。どこまで行っても胡蝶の夢を否定することが不可能なように、幻聴も幻覚もそれが現実である可能性も否定する事はできない。
多少内容が痛々しくなってきたが、科学がここまで発展した現代において人が本当の意味で桃源郷を夢見る為には、科学に侵略される事のない五感のようなものが必要なのだ。
深淵からの抜け道
現実世界とは可視可能な領域と、人が感じるあらゆる情報によって保護されている。だが、何の情報も無い深淵に迫られた時人は現実世界との繋がりを失う事になる。
深淵は常に桃源郷と隣合わせの関係にある。深淵と向き合った時、脳は可視不可能な領域を補完する。だが、補完は補完の域を出ず、現実世界ならあり得ない想像(桃源郷)に迷い込んでしまうこともあるだろう。
深淵というものは必ずしも言葉通りの形態を要さない。私は繋がりが断たれた時、人は深淵に誘われると考えている。静寂や暗闇は人を音や光との繋がりを断ち、無人は人との繋がりを断つ。深淵に晒された時、人と深淵の外側を繋ぐのは信用である。だが、その信用が無い時、そこに桃源郷は広がる。
海の向こう側に何があるか分からなかった時代の人々にとって、その先は深淵であった。一方、現代は色々なことがわかっている。だが人々はその全てを知っているわけではない。歯医者の隣の路地がどこの道に繋がるか、夕方のチャイムはどこから流れてくるのか、向かいの家の中ですらどうなっているかなんて分かったものじゃ無い。だが、それを不思議だと思わないのは、前述したように現実への信用があるからだろう。
少し建設的な話をしてみよう。現実への信用が絶大であったとしても一見問題がないように感じる。だが、そういった人はその信用が揺らいだ時、桃源郷に呑まれてしまう。それは危険な事だ。その為には桃源郷を感じずとも、適度に深淵の存在を認めておく必要がある。
不安という感情を深淵ということも出来るが、深淵が必ずしも不安であるとは限らない。ハロウィンを観た後と、ピーターパンを観た後では窓の外側に広がる深淵に対する感じ方は違うことだろう。深淵に恐ろしさを感じる時、桃源郷はあなたに牙を向く。だが深淵に希望を抱く時、桃源郷はあなたを出迎える。現実世界は安心と拘束を与え、桃源郷は不安と自由を与えるのかもしれない。
だいぶとっ散らかったが、暗い時の妄想についてだいぶ言いたいことを言えたと思う。心霊番組を見た後、シャワー中気配を感じる時そこに桃源郷の何かが牙を剥いてると思ったら恐ろしい。だが、物がなくなった時、桃源郷の妖精の仕業だと思うと素敵ではないだろうか。
書きたいことをだいぶ書き散らしたので今日はここいらで眠ろうと思う。前回と同様にまた、朝の僕を後悔させる事だろうが、痛エッセイを読んで誰かがほくそ笑むのなら少しは価値があるというものだ。ではまた。
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