魔法経済戦争 〜エーテル・コーポレーション〜
プロローグ
2045年、人類は魔法という新たなエネルギーを手に入れていた。
古来より伝説とされてきた魔法は、実は地球に眠る特殊なエネルギー資源だった。これを発見し、実用化に成功した人類は、新たな産業革命の時代を迎えていた。
魔法エネルギーは、環境への負荷が極めて少なく、化石燃料に代わる完璧なエネルギー源として期待された。しかし、この資源もまた、有限であることが次第に明らかになっていく。
そして今、魔法産業の覇権を巡る企業間の争いが、新たな局面を迎えようとしていた。
第一章 「新入社員」
霧雨の降る4月のある朝、東京都心に聳え立つクリスタルタワーの前で、篠原美咲は深く息を吸い込んだ。高さ300メートルを超える近未来的な建築物は、まるで天空から降り注ぐ魔力を集める巨大なアンテナのようだった。建物の外壁には無数の魔法結晶が組み込まれており、朝日に照らされて虹色に輝いている。
「エーテル・コーポレーション」——魔法エネルギー産業界で世界シェア40%を誇る巨大企業の本社である。
美咲は左手の掌を上に向け、小さな光の球を浮かび上がらせた。魔法の基本とされる光魔法だが、彼女が作り出す光球は通常の数倍の輝度を持つ。幼い頃から人並み外れた魔法の才能を示してきた彼女だが、その力を企業戦士として使うことになるとは思ってもみなかった。
「もう逃げ出すことはしない」
そう自分に言い聞かせる。大学院での研究を諦め、企業への就職を選んだ理由を思い出していた。魔法の実用化に貢献したい——純粋な研究だけでなく、社会実装までを見届けたい。その思いが、彼女をここまで導いた。
「よし」
スーツの襟を正し、美咲は意を決して自動ドアをくぐった。新入社員として配属された魔法資源管理部での初出社だ。
ロビーには既に数名の新入社員が集まっていた。全員が首から下げているIDカードには、魔力レベルを示す数値が青く光っている。美咲は自身のカードを確認した。レベル8——新入社員としては異例の高さだった。
「篠原さん、おはようございます」
声をかけてきたのは、同期の山口徹だった。大学時代からの知り合いで、魔法工学科の首席だった優秀な人材だ。彼のIDカードにはレベル6の表示が光っていた。
「山口くん、同じ部署になるの?」
「いえ、僕は研究開発部です。でも、魔法資源管理部とは密接に関わる仕事になりそうです」
研究開発部——美咲も最初はそこを志望していた。しかし面接で、三上常務から直々に魔法資源管理部を勧められたのだ。
「君の才能は、現場で必要とされている」
その言葉に込められた意味を、当時の美咲は理解できていなかった。
会話の最中、ロビーが突然騒がしくなった。エレベーターから現れた一人の男性に、社員たちが次々と会釈を送っている。
「あの方が三上常務です」山口が小声で説明する。「魔法資源管理部のトップで、業界では『魔法の狩人』として知られている方です」
三上常務は50代後半だろうか。厳格な表情の中に、どこか近寄りがたい雰囲気を漂わせていた。彼のIDカードには、最高位のレベル10が示されている。常務の視線が一瞬、美咲に留まったように感じた。
「おはようございます、篠原さん」
突然、横から声をかけられ、美咲は小さく飛び上がった。人事部の山田課長だった。温和な笑顔の奥に、魔法業界で20年以上のキャリアを持つベテランの鋭さが垣間見える。
「本日から魔法資源管理部の配属ですね。実は、緊急の案件が発生していまして」
山田の表情が曇る。
「エーテルの主力製品である『魔導石』の純度が、ここ数ヶ月で急激に低下しているんです。原因究明と対策が急務となっています」
美咲は息を呑んだ。魔導石は現代社会のインフラを支える重要な魔法エネルギー源だ。その純度低下は、社会全体に深刻な影響を及ぼしかねない。
「三上常務も相当神経を尖らせています。実は...」山田は声を落として続けた。「先週、品質管理部の部長が突然の配置転換になったんです。原因究明の遅れを問題視されたんでしょうね」
美咲は黙って頷いた。企業の論理は時として非情だ。それは魔法企業とて例外ではない。
「さあ、早速案内しましょう」
山田の後に続いて、美咲は高速エレベーターに乗り込んだ。新しい人生の幕開けが、今始まろうとしていた。
第二章 「異変の予兆」
魔法資源管理部のフロアは、クリスタルタワーの50階に位置していた。床から天井まで続く大きな窓からは、東京の街並みが一望できる。窓際には魔力測定器が並び、街全体の魔力濃度をリアルタイムでモニタリングしている。
「ここが君のデスクよ」
案内してくれたのは、直属の上司となる村上美沙子主任だ。30代後半のキャリアウーマンで、魔法資源の分析のエキスパートとして知られている。短く刈り込んだ黒髪と知的な眼差しが印象的な女性だった。
「早速だけど、これに目を通してもらえる?」
村上が差し出したのは、過去6ヶ月分の魔導石の品質データだった。膨大な数値の羅列に、美咲は目を凝らす。
「あ...」
わずか数分で、美咲は異常に気付いた。データの中に、微細だが明確な周期性を持つ変動があったのだ。
「気付いたの?さすがね」村上が感心したように言う。「実は私も昨日見つけたところなの。この変動、明らかに人為的よ」
美咲は画面上の数値を指さした。 「48時間周期で、純度が0.3%ずつ低下しています。自然現象なら、こんなに規則的な変動は...」
「ありえないわよね」村上が言葉を継ぐ。「でも、誰が、何のために?」
その時、部署内が騒がしくなった。三上常務が視察に来たのだ。
「村上君、新入社員の教育は順調かね」
「はい。篠原さんは既に異常値の分析に取り掛かっています」
三上は美咲をじっと見つめた。 「君は魔法工学の修士課程を途中で退学したそうだね」
「はい...研究よりも、実務で魔法の可能性を追求したいと考えまして」
「なるほど」三上は意味ありげに頷いた。「では、この異常値についての君の見解を聞かせてもらおうか」
美咲は緊張しながらも、自分の分析を説明した。三上は黙って聞いていたが、最後に意外な質問を投げかけた。
「君は、魔法資源の枯渇について、どう考えている?」
「え?」
「理論上、現在確認されている埋蔵量は、あと30年で底を突く。だが、実際はもっと早いかもしれない」
三上の表情は硬い。
「今夜、私の部屋に来たまえ。君に見せたいものがある」
そう言い残して、三上は立ち去った。
「珍しいわね」村上が驚いた様子で言う。「三上さんが新入社員に直接指示を出すなんて」
その日の夕方、美咲は自分のデスクで資料を読み返していた。すると、研究開発部の山口が顔を出した。
「篠原さん、これ」
彼が差し出したのは、一枚のメモだった。 『深夜、地下3階の研究室で待ってます』
「何か発見があったの?」
「ええ、でも...ここでは話せません」
山口の表情は曇っていた。今日は三上常務との約束がある。しかし、山口の様子が気になる。美咲は迷った末、分身の魔法を使うことを決意した。
魔力レベル8の彼女なら、2時間程度なら分身を維持できる。一人は三上常務との面会に、もう一人は地下の研究室へ。
この決断が、その後の運命を大きく変えることになるとは、この時の美咲は知る由もなかった。
第三章 「暗部」
夜の8時、美咲は三上常務のオフィスを訪れていた。
「入りたまえ」
重厚な木製ドアの向こうには、社長室かと見紛うほどの広い執務室が広がっていた。壁一面の本棚には魔法関連の古書が並び、天井からは青白い魔法の灯りが部屋を照らしている。
「座りたまえ」
三上は応接セットの革張りのソファを指差した。美咲が座ると、彼は金庫から一冊の古い手帳を取り出した。
「これは、15年前の記録だ」
手帳を開くと、びっしりと手書きの記録が書き込まれている。場所、日付、そして魔力濃度の測定値。
「私が若手社員だった頃の観測記録です。当時から、魔法資源の純度は少しずつ低下していた。だが、誰もそれを問題視しなかった」
三上は深いため息をつく。
「今、同じことが繰り返されようとしている。だが今度は、人為的な操作が加わっている」
「人為的な...どういうことでしょうか?」
「データの改竄だ。世界中の魔法資源企業が、実際の枯渇状況を隠蔽している可能性が高い」
その時、美咲のもう一人の分身は、地下3階の研究室で衝撃的な発見をしていた。
「これが、僕が見つけたデータです」
山口が見せる画面には、夜間の異常な魔力反応の記録が表示されている。
「これは...」
「はい、深夜の採掘場での活動記録です。公式には、夜間作業は行われていないことになっています」
二人は情報を照らし合わせていく。すると、驚くべき事実が浮かび上がってきた。
夜間の異常な魔力反応は、エーテル社の採掘場だけでなく、競合他社のダークマター・エナジー社の管理地域でも発生していたのだ。
「これは...まるで」
「そう、誰かが意図的に何かを隠しているように見える」
その瞬間、研究室の明かりが突然消えた。
「誰かいるの?」
警備員の声が廊下から聞こえてくる。山口は慌てて、データの入ったUSBメモリを美咲に渡した。
「これを...必ず三上常務に」
そう言い残して、山口は別の出口から姿を消した。
第四章 「内部告発」
翌朝、美咲は頭を抱えていた。昨夜の出来事が、まるで悪夢のように思える。三上常務の告白、山口の発見、そして深夜の騒動——全てが非現実的だった。
「篠原さん、大変です!」
突然、村上が駆け込んできた。普段は冷静な彼女が、明らかに動揺している。
「テレビを...」
オフィスの大型ディスプレイには、ダークマター・エナジー社の記者会見が映し出されていた。同社の技術部長、中原俊介が、震える声で語りかけている。
「当社は過去3年間、魔法資源の枯渇状況を組織的に隠蔽してきました」
会場がざわめく。
「採掘データの改竄、夜間の違法採掘、そして...他社の管理地域への越境作業も行っていました」
美咲は息を呑んだ。山口が見つけたデータと一致する。
中原は続ける。 「しかし、これは当社だけの問題ではありません。業界全体が、同様の隠蔽工作を行っているのです」
会見場が騒然となる中、カメラは中原の疲れ切った表情をアップで映し出していた。
「これ以上、真実を隠し続けることはできません。世界の魔法資源は、想定よりもはるかに早いペースで枯渇しています」
その瞬間、エーテル社の株価が急落を始めた。
社内は패닉状態となった。各部署から悲鳴のような声が上がる。
「緊急役員会を開催する」
三上常務の声が、館内放送で響き渡った。
「魔法資源管理部の篠原美咲君、すぐに役員会議室に来たまえ」
同僚たちの視線を背に、美咲はエレベーターに乗り込んだ。
最上階の役員会議室には、経営陣が勢揃いしていた。社長の五十嵐を中心に、取締役たちが重苦しい表情で座っている。
「昨夜の件について、説明してもらおう」
三上の声に、美咲は緊張を抑えながら説明を始めた。山口から受け取ったデータ、自身の分析結果、そして魔導石の純度低下と周期性のある変動について。
「つまり、我々の採掘場でも...」
社長の声が途切れる。
「はい」三上が言葉を継ぐ。「我々の会社でも、組織的な隠蔽が行われていた可能性が高い」
会議室が静まり返る。
「では、対応策は?」
副社長の鋭い視線が、美咲に向けられた。美咲は深く息を吸い、決意を固めた。
「私には...一つの仮説があります」
全員の注目が集まる中、美咲は話し始めた。
「魔法資源は、使用後も完全には消滅していないはずです。大気中に拡散しているエーテル粒子を再収集し、結晶化することができれば...」
「不可能だ」
技術担当取締役が遮る。
「そんな技術は前例がない。開発には莫大な時間と費用が...」
「しかし」三上が静かに、しかし力強く言った。「他に選択肢はあるのか?」
会議室が再び静まり返る。
その時、ドアが勢いよく開いた。
「すみません!」
山口が飛び込んできた。
「研究開発部の山口です。篠原さんの仮説、理論的な裏付けができました!」
彼は慌てて資料を広げ始めた。魔法粒子の再結晶化に関する理論的な検証結果だ。
「理論上は、70%以上の回収率が見込めます」
役員たちが資料に見入る。
「開発期間は?」
「最短で1年。実用化まで含めると3年程度です」
社長の五十嵐が立ち上がった。
「決断の時だな」
窓の外では、朝日が昇り始めていた。
第五章「新たな夜明け」
その日の夕刻、エーテル社は臨時記者会見を開いた。
五十嵐社長自らが壇上に立ち、力強い声で宣言する。
「当社は、魔法資源のリサイクル技術の開発に、全社の総力を挙げて取り組むことを決定いたしました」
会場がざわめく中、五十嵐は続けた。
「また、過去の資源管理における不適切な対応について、徹底的な社内調査を実施し、その結果を速やかに公表いたします」
記者たちのフラッシュが光る。
「我々は、隠蔽ではなく、技術革新によってこの危機を乗り越える決意です」
会見後、株価は急速に回復し始めた。
1年後——
クリスタルタワーの研究開発フロアで、美咲は緊張した面持ちで実験を見守っていた。横には山口の姿がある。
「準備はいい?」
「はい」
二人は同時に魔法を詠唱する。試験管の中で、青白い光が渦を巻き始めた。拡散していた魔法粒子が、少しずつ結晶化していく。
「成功...」
山口が震える声で呟く。
「やりました!」
美咲は思わず山口に抱きついた。
3年後——
世界初の魔法リサイクルプラントが、東京湾岸に完成した。巨大な結晶タワーが、空に向かって聳え立つ。
開所式には、世界中から要人が集まった。
「これは、新たな産業革命の幕開けとなるでしょう」
演壇に立った美咲は、確信を持ってそう述べた。彼女は今や、エーテル社の魔法技術開発部長となっていた。
式典を見守る三上の顔には、穏やかな笑みが浮かんでいた。
エピローグ
2050年——
魔法リサイクル技術は世界標準となり、資源の枯渇問題は解決への道筋をつけた。
クリスタルタワーの展望室で、美咲は夜景を眺めている。かつての危機から5年、街には相変わらず魔法の光が溢れている。
「綺麗ですよね」
背後から山口の声がする。今や彼は研究開発部長として、美咲とともに次世代の魔法技術開発を推進している。
「ええ。でも、これは終わりじゃなくて、始まりなのよ」
美咲は夜空を見上げた。
「次は、宇宙だから」
二人の視線の先には、無限の可能性が広がっていた。
人類は魔法という力を手に入れ、一度は危機に瀕した。しかし、その危機を乗り越えたことで、さらなる高みへと進化を遂げようとしていた。
それは、新たな魔法の時代の幕開けだった。
―― 終 ――