幽霊になっても、星は見たい
春の陽気が漂う午後、私は自分の葬式を見ていた。
白木の祭壇に飾られた遺影の中で、私——佐藤美咲は少し照れたような笑顔を浮かべている。二十六歳。交通事故。そう、三日前のことだった。
参列者たちの悲しみに満ちた表情を見つめながら、私は祭壇の隅でぼんやりと浮かんでいた。透き通った自分の手を見つめる。確かに幽霊になってしまったらしい。
そのとき、左胸のポケットに入れていた一枚の写真が気になった。もちろん、今は実体のない私のポケットではなく、棺の中の私のポケットに。
「ごめんね、約束、守れなかった」
その写真には、私と恋人の健一が写っている。二人で腕を組んで、満面の笑顔。その裏には健一の字で「今度は一緒に野辺山高原で星を見よう」と書かれていた。
私たちは天文台デートが大好きだった。でも、その約束は果たせないまま。健一は一年前、海外赴任で旅立った。そして私は——。
祭壇に飾られた自分の遺影を見つめ直した私は、突然、決意に満ちた気持ちになった。
「待って。まだ終われない」
私は自分の葬式から、そっと抜け出した。
***
国道をゆっくりと走るトラック。その荷台にそっと腰掛けた私は、夜風に吹かれていた。幽霊になって気づいたことは、物に触れることはできないが、意識を集中すれば少しだけ実体化できることだった。
「野辺山まで、まだ遠いなぁ」
夜空を見上げると、満天の星。健一と見る予定だった星空への思いが、胸を締め付ける。
「お姉さん、寒くないの?」
突然声をかけられ、はっとする。助手席から顔を出した女の子が、私を見ていた。小学生くらいだろうか。
「え?私が見えるの?」
「うん。お姉さん、ぼんやり光ってるよ」
彼女の名は美優。父親の運転するトラックに同乗していた。そして、彼女には幽霊が見えるという不思議な力があった。
「私ね、約束を果たしに行くの」
美優に話しているうちに、私は自分の想いを打ち明けていた。健一との思い出、果たせなかった約束、そして最期の願い。
「素敵!私も手伝う!」
美優の無邪気な笑顔に、私の心が温かくなった。
***
それから一週間、私たちは野辺山を目指して旅を続けた。美優の父、田中さんは娘の話を信じ、私たちの旅に協力してくれた。
道中、美優は私の代わりに健一に電話をかけてくれた。
「もしもし、健一さん? えっと、私、佐藤美咲さんのことを知ってる者です……」
健一は驚きながらも、美優の話に耳を傾けてくれた。そして——。
「明日の夜、野辺山で待ってます」
その言葉に、私の魂が震えた。
***
野辺山高原に着いたのは、翌日の夕暮れ時だった。
「美咲!」
天文台の前で待っていた健一の姿を見た瞬間、私の想いが溢れ出した。
「健一……ごめんね」
私の姿は健一には見えない。でも、美優が私の言葉を伝えてくれる。
「お互い様だよ。約束、守れなくてごめん」
健一の目に涙が光る。
夜が更けていく。満天の星空が、私たち三人を包み込んだ。
「ねぇ、見て!流れ星!」
美優が空を指さす。
私は健一の隣に座り、彼の温もりを感じることはできないけれど、確かに同じ星空を見上げていた。
「美咲」健一が囁く。「君と約束が果たせて、本当に良かった」
その瞬間、私の体が淡く光り始めた。約束を果たした安堵感と共に、魂が安らかになっていくのを感じる。
「ありがとう、健一。美優ちゃん」
私は笑顔で二人に手を振った。体が徐々に透明になっていく。
最後の最後まで、私たちは同じ星空を見上げていた。それは、儚くも美しい、永遠の一瞬だった。
***
その後、健一は毎年この日に野辺山を訪れるようになった。美優も時々、父親と一緒に会いに来る。
そして、澄み切った夜空には、いつも一つの星が特別に明るく輝いている。
まるで、私が見守っているかのように。
(終)