2024.6.14 手軽さ

カッコイイと思うものも利便性には敵わない

もし利便性に対抗できるカッコよさは本当に好きかバカである。

ぼくはずっと馬鹿でいたい。



サーフィン

今日は友だちに誘われてサーフィンへ行ってきた。

人生初のサーフィンだ。

有名スポーツなのになかなかしてるひとが居ないことが印象的だ。

してみて分かったが、なかなか参入障壁が高い。

・海に行く
・ウェットスーツ、ボード、シャワー等準備するものが多い
・人口が少ないためどうやって始めていいかわからない

スノボと大差ないが、周りにやってるひとが居ないと余計遠い存在に感じる。



スポーツの苦手な僕だ。

案の定苦戦したが、久しぶりに海に入って癒された。

前回、山へ行ったときにも感じたが
自然に触れるとなんだか体調がすこぶる良くなる。

自然のもつパワーは素晴らしい。

謎の体調不良があるひとや鬱っぽいひとは足を運んでほしい。


と、まあサーフィンの話しはまた今後詳しくしたい。

これから何回か挑戦する。

自分が納得いくところまでやってからまとめてみなさんに共有したい。


今回話したいことが別にある。

それは、サーフィンに向かう朝の5時に戻る。


彼女の弁当をつくり、身支度を整えて5:15という時間に家を出た。

我ながら良く起きれたと褒め讃えたい。

家から駅までまだハッキリとしてない頭でゆっくりと歩く。

こんな時間にこの道を通るのは、たいてい朝帰りだ。

今度はその逆で向かっているのだ。

帰るときには感じられなかったことが向かうときにあった。

街が静けさを保ちながらゆっくりと新鮮な空気を深呼吸していた。

そのひんやりとした街に吸い込まれそうになりながらも、もう少し寝ていたかったと後悔をする。


それでもいつもより街は綺麗で写真を撮りたくなった。


いつもはデジタルカメラを持ち歩いてるが、今日は別に目的があったため置いてきた。

身軽なぼくはポケットからiPhoneを取り出して、いくつか写真を撮った。


毎日往復してる道だったが、なぜだがその時は違って見えた。

(身バレになるため写真は控える)

まだ何も目的を達成していないが、これだけでも来てよかったと思えた。


iPhone

ぼくが使ってるのはiPhoneである。

iPhoneのカメラの機能には「ポートレート」がある。

iPhoneXから付いたものだが、ぼくのiPhoneにはギリギリ搭載されていた。


普段はスクショか記録用の写メ、あとは悪趣味な動画程度にしかカメラ機能は使われていない。

今回はデジタルカメラがなかったため、仕方なくiPhoneを使った。


ポートレート機能をはじめて使った。

いや、正確に言えば遠い昔に一度使ったことがある、

そのときは使いずらいな、という印象をもった。

いきなりズームになって、人工的なボカシが加えられる。

「こんなもの」と過去の自分は言ったような気がする。


今朝は「こんなもの」に大変感動させられた。

友だちを待っている間
何枚かパシャパシャと撮ったが、
とてもいいものだった。

『良い写真が撮れた』というより、

テンションが上がるものが撮れた。

腕は素人とだからあまり何がいいのか言語化できないが、満足度が高かった。


なにしろ「こんなもの」と思っていた機能である。

好感度は元の期待値を上回ったときに高くなる。

予想を遥か上にいく仕上がりに、サーフィンをする頃には有頂天になっていた。


わざわざ重いカメラを持たずとも、自分の満足がいく写真が撮れるのだ。

もっと写真が撮りたくなった。


散歩

iPhoneとぼく

これからどこへ散歩しようか。

ぼくはシンプルさが好きだ。


身軽であればあるほどスタイリッシュさを感じられて、それだけで気持ちよくなれる。

身軽になるためには少しの不便さも受け入れる。

カフェへ行っても飲み食いしたものはすぐに下げてもらう。作業するときは使うものだけを目の前に置く。ひとと連絡をするのが面倒ならケータイだって解約する。

それほど身軽になることが好きだ。

ポートレート様に出会ってカメラを捨てた。


ぼくにはカメラの才能がないみたいだ。

所詮、撮れればなんでもいいのだ。

機能性が高いポケットの付いたパンツとiPhoneだけをもって街をウロウロする。

『いいな』と思ったらポートレート機能をつかって写真に収める。

そこから浮かび上がった言葉を紡ぎ、詩を書いてみる。

それでぼくの1日はほとんどが終わる。


ぼくはずっと馬鹿でいたい。


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