2024.5.25 シャイ
日本人はシャイである
自分の気持ちを上手にひとに伝えることができない
かくゆう僕もシャイである
何かを伝えようとしたときに、それが伝わりそうにないとき、勝手に諦めて勝手に落ち込む
お酒はとおい場所へ運んでくれる
酒を飲んだ
500mlのハイボールを10本くらいのんだ
めちゃくちゃに酔っ払った
周りに誘導されるがままになる
半自動的に終電を逃し、
半自動的に自分が知らない自分と立ち会える。
色んな場所で色んなひとと出会う
酔いながらも俯瞰して取り払えない自分
理性である。
それが自分とその周りの出来事を冷静に解説する。
「お前はシャイだ」
酔っ払って行動的になってるのにも関わらずだ。
どうして良いかわからずに立ち止まった。
そして『何も干渉されない』場所に距離をとった。
深くまでいけない
酔っ払うと遠くまではいける。
しかし深くまではいけない。
せいぜい自分の許可が降りたところまでだ。
掘る必要がある。
ぼく『わからない』場所に立ち会うと、すぐにキャパオーバーになる。
そして『わかる』場所に避難する。
それでも『わからない』ことが迫ってくれば、つよく拒む。
後日、『わかること』だけを頼りに振り返ってわかることを増やそうとする。
それが違う。
そもそも『わかっている』と判断してること自体、偉そうである。
謙虚さに欠ける。
一体、何がわかるというのか。
自分は何も分からない。
それに気付かされるのが怖かったのだ。
どんなに自分が陽気になっても、どんなに英語が喋れるようになっても、
本質的にはなにも変わらない。
なぜならば、
『わかること』だけで対処しようとしてるからだ。
『わからない』ことに出会った時のやり過ごす方法を増やしたらいい。
この世はわからないことの方が多い。
じゃあ『わかっている態度』より『わからない態度』の方が汎用性が高い。
むずかしい本と格闘する
では、どうしたらいいか?
本を読む。
それもとびきり理解できないものを読む。
ビジネス書とか専門書とかではない、
古典を読む。
エネルギーが詰まった意味不明な本を読む。
そこで『わからない』ときに出会った時の態度を増やす。
リラックス状態が正義ではない。
居心地の悪いシュチュエーションでの対応を増やす。
逃げるだけでなく、苦しそうな顔で過ごす。
そういった語彙を増やしていく
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